郷土を愛する心を育てる教育
昭和61(1986)年から今日までの長きにわたって、郷土の伝統文化(八日市大凧)を地域社会の協力のもと、学校の教育課程に計画的に位置づけ、総合的な学習を展開することにより、伝統文化を大切にしていこうとする意欲や態度を身につけさせ、郷土を愛し、郷土を誇りに思う豊かな心をもった児童の育成に取り組んでいます。
今日では、八日市大凧保存会の一員として伝統文化の継承と保存に取り組んだり、地域の子ども会などで大凧作りに取り組んだりしている卒業生も多くいます。
◎活動にあたっての目的・目標
・郷土に伝わる伝統文化(八日市大凧)の製作をとおし、郷土で受け伝えられてきた「ふるさとの心」を学ぶ。
・郷土の伝統文化の継承を契機に地域の人々との交流を図る。
・技術の習得や伝統文化を受け継ぐ誇りと地域を愛する心を養う。
・仲間と力を合わせて一つの物を作り上げることで、協力することの大切さを学ぶ。
◎活動内容
1.初年度の取り組みの様子
①活動の立ち上げ
八日市大凧作りに取り組むようになったのは、1986年のことである。当時の八日市南小学校区は、住宅地の開発により、年々児童数が増加していき、在校生も1200名を超える規模となっていた。そこで、「1200人からの子どもたちが心をひとつにして取り組めることはないだろうか」との教職員の思いから、郷土の伝統文化である「八日市大凧」作りに取り組むこととなった。
②設計図と製作マニュアル作り
大凧作りと言っても、当時の教職員は誰も大凧作りに関わったことのない者ばかりであったから何から始めて良いかわからなかった。そこで、八日市大凧保存会の西澤会長を訪ね、一から教えていただくこととなった。
しかし、八日市大凧は、20畳・50畳・100畳・200畳の大凧であり、子どもたちが挑戦できるような手頃なものではなかった。そこで、子どもたちが取り組めるような大きさの大凧 を考案する必要があり、子どもたちにとって手頃な大きさである2畳凧の設計図とマニュアル作りから始まった。設計図は、単に2畳用に縮小すれば良いわけではなく、バランスや風の受け具合などを考えなければなせなかった。
この時に試行錯誤して作られたマニュアルは、現在の「八日市大凧まつり」のミニ大凧の設計図と製作マニュアルとして多くの人に使われている。
③試行錯誤の材料作り
当初の設計図や製作マニュアルができ、最初は、凧の骨となる竹切りと竹割りから始まった。
しかし、大凧を空高く揚げるには凧の骨となる竹の太さや重さなどが重要なことから、何度も何度も試行錯誤を繰り返しながらの決定となった。また、はり紙については、重さと丈夫さを考えながら、最終的に、和紙を何枚も張り合わせて一枚の紙を仕上げた。
④子どもたちによる初めての大凧の製作
製作にあたって、子どもたちから凧の絵柄を募集した。当初は、八日市大凧の特色である「判じもの」でも「左右対称」でもなく、蛸の絵が描かれた凧が多かった。
製作は、各学級が3グループに分かれて2畳凧を3凧作り上げた。八日市大凧保存会の方に、ひとつひとつ教えていただきながらの進行であった。しかし、保存会の方たちとの交流は、子どもたちにとっても新鮮な経験であった。そして、5年生と6年生による2畳大凧30枚が完成することとなった。
⑤子どもたちによる初めての大凧揚げ
大凧揚げ当日は、大凧にとってはよい風(少し強い風)が吹いていたので、どの大凧もよく揚がった。でも、最初は、揚げ方もわからない状態であったから、悪戦苦闘をしていた。何度も何度も挑戦するうちに男の子も女の子もなく、みんながひとつになって、揚げることに集中していった。寒い中(12月22日)で行われたが、子どもたちは元気いっぱいに歓声をあげながら半日を楽しんでいた。(凧揚げ会場は、学校近くの田んぼを地域の方々が提供)
2.その後の取り組みの歩み
①3畳凧の設計図とマニュアル作り
取り組み開始当初は、5年生6年生ともに2畳大凧の製作をしていたが、5年生で2畳、6年生で3畳凧に挑戦することになり、その設計図と製作マニュアルを作成した。
②全校で凧作り
その後、全校での凧作りとなり、
1年生・・・骨のないグニャグニャ凧(個人で製作)
2年生・・・角凧作り(個人で製作)
3年生・・・連凧作り(グループで製作)
4年生・・・判じもんに挑戦(一人ひとりが製作した凧に判じもんを入れる)
5年生・・・2畳大凧作り(グループで製作)
6年生・・・3畳大凧作り(グループで製作)
③大凧作りの過程
11月上旬・・・大凧のデザイン
11月中旬・・・型紙とり 糸まき 紙巻き 下絵 墨入れ
11月下旬・・・大凧作り(骨組み 色ぬり 願い札)
大凧糸つけ(張り糸 ちち糸 つり糸)
12月上旬・・・南小祭り(集会 凧揚げ)
3.大凧作りを通して
大凧を揚げる子どもたちの姿は、21年前の開始当初も今も同じように、元気に走り回る姿と大凧が揚がった時にみんなでひとつのことを成し遂げた達成感が湧き出てくる姿が見られる。
21年間の長きにわたって続けられてきた陰には、大凧保存会の方々の協力とともに、八日市南小学校の教職員の熱意があったからこそである。今後も、八日市南小学校の伝統行事として続き、子どもたちの心に深く残る行事となればと考える。
現在の保存会の方には、八日市南小学校で大凧作りを学んだ卒業生もいる。やはり、伝統の継承には小さな時からの関わりが必要だと考える。今後も、子どもたちが、地域の一員として地域の伝統行事の継承者として活躍してくれることを願うものである。
また、この八日市南小の取り組みが、大凧保存会の継承者の育成となり、会員の増大と若返りとなっていった。また、地域で行われていた「八日市大凧まつり」が盛んになっていった契機ともなったと言える。
活動の成果
1.東近江市「大凧まつり」の発展に寄与
東近江市では、毎年5月に「八日市大凧まつり」を開催しているが、この「まつり」が盛んになったひとつとして、市民の参加がある。以前は、100畳敷大凧の綱を引き、大凧揚げの一員としての参加であったが、八日市南小学校の2畳凧製作による設計図とマニュアルの完成により、一般 市民でも大凧作りがやりやすくなり、子ども会やグループで凧を作っての参加へと広がっていった。今日では、「ミニ大凧コンテスト」なども行われ、盛大に開催され、子どもたちも学校で作った大凧を持って参加している。
2.伝統の継承と後継者の育成
八日市大凧保存会は、先の大戦をはさんで途絶えかけていた地元の伝統文化である大凧を保存継 承するために結成された団体である。昭和50年(1975)前後から、大凧保存会の長老たちは「後継者」づくりに努力してきた。八日市南小学校の子どもたちや教職員が、大凧保存会の長老たちと一緒に大凧を作ったり大凧揚げをしたりする中で、長老たちの大凧にかける夢やロマンをいっぱい感じ、年齢に関係なく互いに尊敬・尊重し合えるようになっていったことが、今日まで続いている魅力のひとつとなっている。
そして、その魅力にふれた子どもたちは、卒業後も大凧に興味・関心を持ち、大凧保存会の一員として活躍したり、子ども会活動などで大凧づくりの指導を行ったりと、郷土の宝物であり偉大な文化財を後世に伝えていくために活躍をしている。
今後も、「夢とロマン」がいっぱい詰まった八日市大凧が、新しい市(まち)の宝となり、誇りとして受け入れられるよう、八日市南小学校の子どもたちと共に、大空に舞い揚がらせていきたいものである。
3.凧づくりの魅力
長年にわたって続けられる行事には、子どもたちの成長を願う目的とともに、その行事の魅力があるからである。八日市南小学校で21年にもわたって続けられてきた大凧づくりには、次のような魅力がある。
①夢(願い)がある。
②科学がある。(具体的な知識 方法的な技術)
③芸術がある。(創意工夫 表現・・・形 色 絵 言葉 歌)
④労作、苦労がある。(道具を使う ひもを結ぶ)
⑤歴史と文化・伝統を継承する場がある。(地域の願いと文化)
⑥仲間づくりがある。(協力と団結)
⑦戸外(自然の中)での遊びがある。(自然 仲間 運動)
⑧感謝の気持ちを育てる場がある。
(教えてくださった方々 竹を切ってくださった方 田畑を貸してくださった方々)
大凧づくりには、このように、今失われつつある大きな魅力がいっぱいある。
4.地域の一員として「力を合わせて」伝統文化を受け継ぐ
凧作りは、子どもたちにとって「わくわくする」ものでありたい。八日市南小学校での凧は、
八日市大凧につながっていくものであり、古くから郷土の人々が大切にしてきた「力を合わせて作る」ことを学ばせてきた。4年生で大凧のいわれを学び、5年生で大凧の作り方を学び、6年生で大凧の伝統文化を学んでいる。1・2年生は、4・5・6年生の発表にふれることで大凧にあこがれ、3年生は、個人凧を作りながら、八日市大凧の特徴も学習している。このように、6年間を通じて、地域の一員として、八日市大凧の保存と継承の意識を高めている。