昨日、3年生が大変貴重な体験をさせてもらいました。3年生の国語、社会、総合的な学習の時間の3教科が関わる学習で「昔のくらしを知る」という学習があります。昔(明治~昭和のイメージ)のくらしに使っていた道具について知ったり調べたり、実際に体験したりしながら、くらしのうつり変わりについて考えていきます。
今回は能登川博物館のボランティアスタッフの方がた3名と、本校の地域学校協働活動推進員の奥さんをはじめとする4名の地域ボランティアさんのチーム(便宜上、私(校長)は勝手に、『アベンジャーズ』をもじって『建部ンジャーズ』と呼ばせてもらっています。『建部ンジャーズ』は本校のペース走大会や5年生の注連飾りづくりなど、日頃からたくさんの学校支援をしていただいてます。)の力をお借りして、3年生の子どもたちが、「七輪」体験と「灯り」体験をさせてもらいました。
子どもたちは事前の学習に、昔使われていた「黒電話」や「洗濯板」、「竹製の枕」などに触れていますが、今回能登川博物館から持ってきていただいたものは、「木炭」を燃料とした「七輪」や「炭消し壺」や炭の熱を利用する「アイロン」など、普段なかなかお目にかかれないレアな道具でした。くらしの中のエネルギーの中心が、「石油」や「ガス」、「電気」になるまでは、木材(炭)や植物油が燃料の中心であり、特に「木炭」は、「炎を出さない」、「火が長持ちする」、「遠赤外線効果」などの性質を持つ優れた熱源として、長い間くらしを支えてきました。今回は特に、現代のカセットコンロにあたる「七輪」について、「焼いたお餅を食べる」という目的のもと、自分たちで炭火をおこして、お餅を焼くという体験をしました。(そもそも「七輪」はなぜ「七つの輪」と書くのか…。その由来は、諸説あって定かではないのですが、人々の暮らしを支える最も大切なものである「火」や「食べ物(調理)」に関わる道具ですから、「七輪」という名前には深い意味があると思っています。)
焚き付け(新聞紙、杉葉)を底に置き、その上に「消し炭」、一番上に「木炭」を乗せて、新聞紙に火をつけます。マッチを擦る体験だけでも子どもたちには新鮮であり、緊張です。焚き付けはすぐに燃えますが、その炎を木炭に移していかなければなりません。炎を大きくするために、火吹き竹で空気を送り込みます。七輪の下にある窓から空気を送り込むと、空気が循環し、より早く炎が大きくなります。当然けむりまみれになりますから、風向きも考えながら作業しないといけません。「昔の仕事」には、知恵と甲斐性と、自然に対する知識も必要です。
別の会場では、「灯り」のうつりかわりをじっくりと見させてもらいました。本当に昔からある「ろうそく」や「行灯(あんどん)」から、エジソンが発明した白熱電球、そして蛍光灯、LED…と「灯り」のうつりかわりと、それぞれの「光の違い」について学ぶことができました。よくある「勘違い話」ですが、「灯台 もと暗し」という言葉がありますが、この灯台は岬に立ち、海を照らす「灯台」ではなく、昔のろうそくの燭台(しょくだい)=灯台を意味していいます。「ろうそくの燭台の下は灯りが届かず暗い」というところから来ています。
3年生の学級通信のある子の感想の中に、「昔は不便だったけど、いいところもあった。」というのがありました。この「いいところ」というのをもう少し掘り下げてほしいなと思います。
世の中は、加速度的に「便利」に、そして「快適」になっていきます。それは、「幸せなこと」に間違いがないのですが、「便利さ」や「快適さ」のかわりに、失ってきた「大切なもの」も多くあるのでは…と考えさせられます。「ものを大事に扱うこと」や「創意工夫すること」、「無駄をつくらないこと」や「辛抱すること」、「家族の中の子どもの役割(仕事)」…そして、世界に賞賛された「もったいないの心」…これから子どもたちが生きていく社会は、どうなっていくのだろうと漠然と不安になったりします。
今回の体験では、ちょっとしたハプニングがあり、七輪に使う燃料(木炭等)の数がグループの数より少なく、使える七輪の数が少なくなったようですが、子どもたちはもめることなく、文句を言うこともなく、うまく自分たちで役割分担しながら、上手に全員分のお餅を焼いたと担任のM先生から聞きました。「こういうところに子どもたちの成長が見られて嬉しかった。」というM先生の言葉を聞いて、その言葉に私(校長)も嬉しくなりました。