3連休明けの今日、また元気な子どもたちの笑顔が戻ってきました。子どもたちがやってくる教室の黒板には、担任の先生からのメッセージが書かれていることが多く、そのメッセージを受け取ることから子どもたちの一日が始まります。
つくづく本校の先生たちは、子ども思いで、きめ細やかだなあと頭が下がります。ちょっとしたことですが、子どもたちに「心を伝えよう」とする「熱意」を感じます。子どもたちに先生たちの「一生懸命」が伝わるから、子どもたちも「一生懸命」を返そうとします。こういった「心のやりとり」や互いの「信頼関係」によって、学校教育は成り立っています。
ところで、ご多分に漏れず、本校にも「インフルエンザ流行」の波がやってきました。特に1年生の欠席が多く、1年2組は学級閉鎖を余儀なくされました。たくさんの空席が目立つ1年2組の教室は、本当に寂しそうでした。
子どもたちは、一生懸命に集中して学習しています。1年間の思い出を季節ごとに「作文メモ」に書き出し、そのメモをつなげる形で作文を綴っています。本当なら、お隣さんとちょこっとおしゃべりでもしながら、笑顔で鉛筆を走らせることができるだろうに…。今日は、黙って一人ひとり作文に取り組みます。本来称賛されるべき1年生の、その「真面目さ」や「集中力」がかえって教室に「淋しさ」を増幅させている感じがして、何とも言えない気持ちになりました。
今罹患している子どもたちには早くよくなってほしいですし、学校では手洗いやうがいの励行やマスクの着用等の予防対策を徹底しながら感染拡大を最小限にとどめたいと思います。私(校長)としては、先生たちの体調も心配です。子どもたちが元気でも、先生たちがインフルエンザ等を罹患すると、学校が回らなくなります。先生たちの健康管理にも注意していきたいです。
4年生の教室では、ちょっとおもしろい「書写」に取り組んでいました。普段使っている「毛筆」ではなく、「割り箸」を使って、自分の好きな小倉百人一首の歌を半紙に書いています。「割り箸」のどの部分で書くのかによって、線の太さや感じが変わってきます。普段とは違う「墨をあまり吸わない、超硬い筆」に悪戦苦闘しながらも、割り箸が生み出す「おもしろい表現」を楽しんでいました。
今校内では、特に4年生と6年生が「小倉百人一首」に親しむ活動をしています。歌の意味は、子どもたちにとっては難しいとは思いますが、ある程度歌を覚えないと「百人一首かるた」は楽しめないので、お気に入りの歌を中心に少しでも覚えられるといいなと思います。(歌の意味は後から(中・高で)ついてきます。)
最後に、「小倉百人一首」と言えば、特に、近江神宮が「小倉百人一首 競技かるた大会」の聖地になるきっかけとなった巻頭歌、天智天皇の「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」という歌や、坊主めくりでもおなじみの「蝉丸」の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」は、滋賀にまつわる和歌で、誰もが知っている歌です。
しかし、東近江市民、特に「八日市住民」にとっては、蒲生野(船岡山付近)で、あの「額田王」が詠み、万葉集に収められた歌、「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」も、ぜひ覚えておきたい歌です。今から1500年~1000年前に詠われた和歌が、今の令和の世でも、楽しまれている…これも歴史ロマンですね、とても感慨深いです。