先日、新聞を見ていたら、「教育先進国・フィンランドで脱デジタル化」という記事が目に入ってきて、その内容に大変驚きました。教育水準が大変高いことで有名なフィンランド。先進的な教育制度とその効果は常に世界をリードしてきました。フィンランドでは、早くからICTの活用が進んできました。一人1台タブレットPCはもちろん、小学校では電子黒板が100%導入されています。
ところが、最近では少し様子が変わってきて、逆に「脱デジタル化」に舵を切り、ノートPCやタブレットではなく、「ペン(鉛筆)と紙」を使う学校が増えてきているというのです。
フィンランドでは、急速にデジタル化が進んだものの、子どもたちの学習成果が徐々に低下したことや、また、ICT機器の過度な使用が、目の問題や不安の増大、ネット依存症等、身体面・精神面へ大きな影響を及ぼすことが心配されることが「脱デジタル化」の理由だと言われています。
時代の流れとは言え、学校教育の「デジタル化」を無条件に推進することは考えないといけないなと思いました。「教育のデジタル化」の効果と弊害を見極めながら、慎重に進めるべきだなと改めて思いました。子どもたちが健やかに育つためには…、これからの社会を生きぬいていくための力(生きて働く学力やコミュニケーション力等)を確実に育てるためには…、やはり「不易」と「流行」を見極めながら、それらのバランスのとれた教育が必要なのだろうと思います。「便利で効率的、個別最適な学び」=「流行」を取り入れながらも、「見る力・聞く力・読む力・書く力・話す力」=「不易」の部分を地道に丁寧に育てていくことを忘れないことが大事だと思っています。
例えば、今、6年生が「戦争学習」のまとめとして、一人ひとりが「平和新聞」を作っています。机の上には、県立平和祈念館を見学した時の「メモ」とタブレットPCの両方を置いて、自分だけの「平和新聞」を手書きで仕上げていきます。


最近、タブレットPCを活用して「調べ学習」をし、それをまとめて「新聞・レポート」を作るという風景がよく見られます。ネットからは「知りたい情報」がピンポイントで引っ張り出せるので本当に速くて便利ですが、それらの情報をそのまま「書き写す」だけで、「新聞・レポート」ができたつもりでいる子どもたちも多いです。要するに「よく意味が分からなくても、何となくテーマに即した『情報』で紙面が埋まる」ことで、できた気になって満足してしまうのです。これでは、いわゆる「コピペ(Copy&Paste)の詰め合わせ」を作っただけで、子どもたちには何の力もついていません。
しかし、本校の6年生の様子を見ていると、基本的には、びっしり書き込まれた「自分の見学メモ」を基に、大事なことを抜き出し、見出しに合った「記事」を書き、その「記事」を確かめたり、情報を付け足したりするためにネットで調べている…そんな使い方です。「コピペ」ではなく、「自分の言葉」で綴っているのがすごくいいなあと感心しました。「見る・聞く・読む・書く・話す」の『不易』の力が基盤になって、それを補足(補強)するために「デジタル」=『流行』を活用する…とてもバランスがいい学習だなと思います。
「平和新聞」づくりとは別に、「卒業文集」づくりに取り組んでいる子たちもいました。


こちらは、原稿用紙に下書きした作文を、タブレットPCのワープロに入力していき、清書(仕上げ)としていきます。原稿用紙の方には、何回も書き直した跡や、担任の先生の添削(赤ペン)がたくさん入っていて、いかにも「ここまで苦労して書き上げてきた…」という感じがしました。それぞれの原稿用紙の試行錯誤を確認しながら、活字(ワープロ)に清書していくという作業です。この学習も基本は『不易』の学びを基本にしながら、最後に「見栄えよくきれいに仕上げる」というところは「デジタル」=『流行』を活用するという感じです。子どもによってはどうしても「書字が苦手」という子もいますから、文集の仕上げをワープロでするというのは、それぞれの子どもたちの実態に合わせた「合理的配慮」でもあります。
また、「作文」が苦手な子たちが、タブレットPCの文章を友達に見せながら、「なあ、ここんところどういうふうに書いたらいいかな…。」と相談している姿もあり、こんなところも今の6年生の素敵な姿の一つで私(校長)は大好きです。こういう「交流」の場面には、タブレットPCは持ち運びが手軽でとても便利です。こんな使い方ができるのは「デジタル」=『流行』ならではです。
今回の「平和新聞」づくりや「卒業文集」の取組(学習)は、担任の先生たちが「子どもたちにとって、真に『価値ある学習』になるように…。」と、よくよく考えて、取り組んでくれたものだと思います。卒業を目の前に、本当にいい学習ができているなと嬉しくなりました。