いつも授業中に校舎内をぶらついている私(校長)ですが、最近、「こりゃ、すごいわあ。めっちゃがんばってるし、めっちゃ素敵やわあ。」と感心した子どもたちの姿を紹介します。
それは、1年生の教室です。学期末に入ってきて、作品を最後まで完成させたり、テストやそのお直しをしたりする時間とかが増えてくるわけですが、そんな時はどうしても「すき間時間」ができてしまいます。つまり「手が空いた人は、本を読むとか、自分でできることをしていてください。」という感じの時間です。そんな時間に1年生が何をしているのか覗いてみると…たくさんの子たちが本を読んでいます。
しかし、その読書の風景が、「えっ?これが本当に1年生の姿なの?」と思うぐらい、みんな集中して読書に入り込んでいます。動物のことについて書いた本の文章を、指で押さえながら、ちっちゃな声で一生懸命音読する子、とても1年生が読めるとは思えない「ちっちゃな字で埋め尽くされた文章ばかりの本」にくぎ付けになっている子が何人も・・・とにかく集中して、熱中している姿にびっくりしました。
それから、何やらひたすらノートに何かを書いている子たちもたくさんいました。ノートに自分で「テスト」を作って、自分で解答している子、外国人児童のZさんは、自分でひたすら「マンガ」を描き進めていました。しかも吹き出しはすべてベトナム語です。「わあ、これの和訳版を見てみたい!」と思ってしまいます。私(校長)は、自ら「ベトナム語」を勉強しようとはせず、通訳の先生たちに「これ、ちょっと訳してください。」と頼んでしまいますが、外国人児童の子どもたちは、日々、母国語ではない難しい「日本語」と格闘しています。子どもたちに頭が下がります。
子どもたちが「自由帳」に書(描)いているのは、もはや「お遊び」とか「お絵描き」ではなく、自分が大好きな「学習」であり、「作品づくり(制作)」なんだなと感じました。
1年生が入学して約8か月…。園時代の生活から、小学校の「学校生活」に適応することは、そう簡単なことではないと思っています。「自分の机」「教科」「45分間の授業」「時間割」「集団(一斉)学習」、そして「授業規律」や「生活ルール」などなど、たくさんの「枠(フレーム)」に縛られながら学んでいかなければなりません。子どもたち一人ひとりは、それぞれにいろんな個性や特性をもっていますから、今の段階でもまだ「学校生活」「集団生活」に適応できない子どもたちがいて当然だと思っています。
そんな決して簡単ではない「学校生活」に果敢に挑み、たまにはけんかもして、しんどい思いや嫌な思いもしながら、それでも1年生は毎日毎日がんばってきました。
1年生の担任の先生や支援員の先生たちは、一人ひとりの子どもたちをめいっぱい愛し、子どもたちが安心して学べる学習(教室)環境を整え、学習規律を根気強く浸透させ…そんな惜しみない愛情のもとで子どもたちは安心し、そして今、子どもたちはそれぞれに「めいっぱい頑張れる自分」でいられるようになってきました。
園時代にめいっぱい「遊びこんできた」経験や、そこで手に入れた感性や甲斐性、そして人との関わり方…園時代に培ってきた「栄養やエネルギー」が、今ここにきて、一気に“芽吹いている”…そんな印象を受ける1年生の姿です。