運動会というと、徒走や団体競技(リレーや綱引き)、そして団体演技がメインの種目で、保護者の皆さんの関心も高いと思います。それに比べ、「応援合戦」というのは、どことなくアトラクション(余興)的なイメージがあるかもしれません。確かに種目として行われる「色別応援合戦」は赤組・青組が互いの「団結力」を見せ合うという色が濃いような気がします。
私(校長)は運動会において、「応援」というものはとても大切だと思っています。「応援合戦」だけでなく、他の種目(競技)中の「常時応援」こそが、「応援」そのものの目的だと考えています。「一生懸命頑張っている仲間を、称え励まし、元気にし、仲間の力を最大限パワーアップするための「声かけ」が応援です。精一杯の「頑張り(挑戦)」に精一杯の「声援」を送る…そんな子どもたちの姿こそが「全力と協力」という目標を具現化したものだと思っています。特に、6年生の徒走やリレーの時の「応援」が楽しみです。チームを引っ張る6年生がいない児童テント席でいったいどんな動きが起こるのか…代わりに5年生がリーダーとなってチームを導くのか、それとも自然とチームでまとまった応援ができるのか…常に「応援」の絶えない児童テント席であってほしいなと節に願います。
もう一つ、運動会の応援には、「学校文化の伝承」という大きな役割があります。それは端的に言うと「応援団長」や「応援リーダー」の存在です。子どもたちにとって「応援団長(リーダー)」には特別な輝きを放つ「憧れの存在」となります。「6年生になったら、自分もあんなふうになりたい!」と思える憧れであり目標です。毎年「応援団長(リーダー)」を決定する過程でいろんなドラマが生まれ、立候補する者の強い思いと責任感に共感する中で、彼らを称え、支える仲間意識が大きく育ちます。そして運動会という大舞台で、応援団長(リーダー)を中心とした「あるべき最高学年」としての6年生の姿がはっきりと見えてくるのです。そのような「かっこいい6年生」の姿が代々受け継がれていくことで学校文化=校風が創られていきます。そういう意味で「運動会の応援合戦」というものは、子どもたちにとって、とても大切なものだと思っています。
コロナ禍以降、いろんなことが「簡略化」される傾向にあるのかなと感じています。少しでもリスクのあるもの、余計な手間がかかるものがどんどん省かれて、無難化・効率化一辺倒になっている気がします。時代の流れ的にしかたがない部分もあると思いつつ、「手間をかけなければ育たないもの」も多くあると強く思っています。学校という世界は「子どもたちが育ちあう」ところです。いつも子どもたちを「主語」にしながら、かけてあげられる「手間」はしっかりかけてあげたいと思っています。八日市北小学校はそんな学校です。