毎年度、滋賀県の5年生は「たんぼのこ」学習に取り組むことになっています。市役所の農政部局や農業委員会、JAさんなどの協力を得ながら、子どもたちは豊かな体験学習をさせてもらっています。特に「稲作体験田」を管理して(実質お米づくりをして)いただく種村さんや地域コーディネーターの奥さんには年間を通じてずっとお世話になっています。
さて、今年度の「たんぼのこ」学習は、例年よりも充実した学習が行えたと思います。下手をすると、子どもたちは「田植え」と「稲刈り」だけをさせてもらい、春から秋にかけてほんの数回、田んぼの観察にでかけるくらいで終わってしまうことがあります。いわゆる「いいとこ取り」の学習で、本来学ぶべき「お米づくりの苦労や努力」そして「お米づくりの大切さ(尊さ)」について十分実感や理解ができないまま終わることがあります。
その点、今年度は「お米づくりの苦労や、大切さについてしっかりと体験的に学ばせたい」という二人の担任の熱意のもと、「田植え」と「稲刈り」だけでなく、刈った稲を天日乾燥させる「はさがけ」や昔ながらの足踏み脱穀機を使った「脱穀」、そして今日もみ米を取った後の「藁(わら)」を使って、お正月に飾る「注連飾り」を作りました。
注連飾りづくりを指導してくださったのは、地域コーディネーターの奥さん率いる建部北町&日吉の米づくりの達人5名の皆さんです。注連飾りを作るためには、藁を「縒る(よる)または綯う(なう)」=(何本かをねじり合わせて1本にする)必要があるのですが、これがとても器用さを必要とする技なのです。さすがにこれを子どもたちがいきなりするのは無理があるので、実は数日前に、班に1~2人の子どもたちは5年生を代表して、奥さんから事前にレクチャーを受けているのです。そうすることで、今日は子どもたち同士が教え合いながら、スムーズに注連飾りづくりが進められるようになっていたのです。
「注連飾りづくりをするのは、今年の5年生が初めてやで。」と言われると、「やったー、めっちゃラッキー!」と喜んでいる子どもたち…。この難しい作業に嬉しい気持ちをもって、一生懸命取り組める子どもたちは、すでに「米づくり」の大事な部分を理解できているんだなと感心しました。
達人たちのように、きれいでしっかりした注連飾りはできませんが、子どもたちは自分たちで創った注連飾りにとても満足そうな表情を浮かべていました。
「お米づくり」の大切なこと…。お米は、長い歴史の中で、この国の人々の「命」や「生活」を支える中心にあったもので、それは人々にとって「なくてはならないもの」であり、「少しも無駄にしてないけない貴重なもの」であり、暮らしを支える「財産」でもあること…。「お米づくり」には一切無駄がない。いや、一切の無駄も許されない。「八十八」の苦労を重ねて、お米を育て、もみ米を取った後の「藁(わら)」は、わらじや筵(むしろ)、籠(かご)、や縄などに姿を変えて生活必需品となる。「もみがら」は緩衝材や燃料になり、玄米を精米した後に出る「糠(ぬか)」は漬物をつける糠床(ぬかどこ)となる。捨てるところは一切ないのが「お米づくり」なのです。米粒(白米)だけが貴重なのではなく、「稲」のすべてを無駄なく活かす…それが「お米づくり」の本質であり、そこを学んで初めて「たんぼのこ」学習の値打ちがあると私(校長)は思っています。
注連飾りづくりの後、達人たちに校長室で休憩してもらった時の話です。ある達人が、「校長先生、一人の子どもが、『これ、お米一粒落ちてました。』といって持ってきてくれたんですわ。「米一粒」を大事に拾える子どもの気持ちが、すごく嬉しかったですわ。」とおっしゃられて、子どもから預かった「米一粒」を校長室の机に置かれました。その話を聞いて、今年の「たんぼのこ」学習は、本当に意味のある学習になったなと、つくづく思いました。来年度は、さらに「もみがら」を使った焼き芋づくりと、「米糠」を使った漬物づくりができると、コンプリートです。