今日は2年生教室の廊下に掲示されている「ふしぎなたまご」の絵に、心惹かれて足が止まりました。実にのびのびと楽しい作品です。絵の具の使い方もいい効果をもたらしています。
「ふしぎなたまご」が割れて(孵化して)いろんなものが飛び出してくるっていう空想画なのですが、「ふしぎなたまご」の形や模様を考えることから始まり、そこから何が飛び出てくるか…子どもたちの想像は膨らみます。実在するもの、実在しないもの、想像は自由です。おそらく担任の先生が、この導入の段階で「自由な発想が広がる」ように、いろんなサンプルを見せたり、イメージを広げられるようお話をしたりして、うまく子どもたちの心を開放してくれたのでしょう。先生の指導が生きています。
子どもたちは、もともと「絵を描く」ことが好きだと思っています。画用紙やA4のコピー用紙のような「決まった枠」ではなく、どこにどれだけ描いてもOKという環境なら、どんどん想像力を働かせた絵を描き広げていきます。小さい頃の「おえかき」はまさにその世界です。
ところが小学校に入学して、学習として、決まった題材で、決まった大きさの紙に絵を描くとなったとたん、子どもたちの絵はだんだんと「堅いちっぽけな絵」になっていきがちです。「その紙に絵を収める」という意識が、絵を小さく堅くするのかもしれません。
それでも、低学年のうちは実際に「出会って、見て」とても驚いた「感動」をもとに絵を描くと、きちんとその「感動」=「心に強く残った印象」がそのまま絵に現れます。牧場で間近に牛を見て感じた「とてつもなく大きい」という感動や、サツマイモ掘りをして、両手で抱えるような「とても大きくて、重い」という感動は、そのまま絵に現れて、「上手い絵」ではなく、子どもにしか描けない「素晴らしい絵」になります。
しかし、学年が上がるにつれて、子どもたちにとって「上手い、下手」意識も出てきて、低学年の時のようになかなか「自由で大胆に!」という描き方ができなくなっていくような気がします。「感動」をそのまま、「見たまんま、感じたまんま」を描くということができにくくなってきて、だんだん頭の中にある「既成の形」や「常識的なイメージ」で描こうとします。つまり、「机を描いてごらん。」というと、まず「長方形」を描いてしまうという感じです。「物の形」と「それが実際どう見えるか」は全く別なのに、「物の形」で絵を描きます。
昔、高学年の子どもたちにこんな授業をしました。
「さあ、想像して描いてごらん。まず地平線を描いて…地平線の向こうには山があって…、はるか向こうからまっすぐな道がこちらに伸びていて、道の両側にはところどころ電柱が立っていて…、そして向こうから1台車が走ってきた…。」、「そんな風景想像できる?簡単でいいからその風景を描いてみて…。」というと、こんな絵になる子がたくさんいました。「道は同じ広さ」「電柱は道と垂直」…頭の中にある「物の形」や「常識」が、「上手く描けない…難しい。」を作り出します。本当は、なんとなくこんな感じを想像してたはずだと思うのですが…。
以前と比べて、図画工作の授業時数も減っていますし、昔よくやった「クロッキー(デッサン)」をする機会も少なくなりました。「見えるまんま」描くというトレーニングも積めていないのが現状です。限られた時間の中で、本来子どもたちが持っている「自由にのびのびと」、「見たまんま、感じたまんま」を絵や造形にする才能を呼び起こせるように、図画工作の学習について、もっともっと我々教員が研究しないといけないなと思う今日この頃です。
2年生の「ふしぎなたまご」…子どもにしか描けない自由でのびのび描いている傑作ぞろいです。素晴らしいです!ぜひ、ご覧あれ。