5年生教室をのぞくと、黒板に「やってみよう! 総合の米作り新聞の見出しを考えよう」と書いてあったので、「今は、総合的な学習に時間の学習なんだな…。」と思っていると、何やら様子がおかしい…。子どもたちの机の上には「国語」の教科書が出ている…「うん?国語なんや…。」と思い直し、もう一回黒板をしっかり見て合点がいきました。
学習のゴール(目的)は、総合で「米作り新聞」をつくること。そして、いい新聞にするために「新聞の作り方や紙面の工夫」について国語で学習するという学習展開だったわけです。ただ単に国語の学習として「新聞について学ぶ」のではなく、「自分が新聞を作る」という目的のために「新聞について学ぶ」ということ…つまり「なぜ、これを学ぶのか?」という学びの必然性がはっきりしているということです。学びの必然性があれば、自然と子どもたちの学びは前向き(主体的)なものになります。
ペアやグループで、新聞記事を注意深く見ながら、「新聞の秘密(工夫)」を探っていきます。新聞1面あたり約10,800文字(原稿用紙27枚分)もあるのですが、見出し(小見出し)やリード(記事の大まかな内容をまとめた部分)の配置、写真やグラフ等の活用、そして本文によって、とても見やすくわかりやすく、書き手の意図を伝えています。経済や政治、スポーツ等、分野別に紙面が作られていることもあって、「狭く深く読む」ことも「広く浅く読む」こともできます。子どもたちはこのような「新聞づくりの手法」を、自分の「米作り新聞」に活かしていきます。仕上がりがとても楽しみです。
子どもたちの学習は、「それを学ぶ必然性が明確にある時」や「学校で学ぶことが、自分の生活や将来に結び付く(つながる)時」に主体的に動き出します。学校は、できるだけそうなるようにカリキュラム(教育課程)を工夫して編成(マネジメント)していかなければなりません。そういう意味で、今日の5年生の生き生きとした学習は、T先生のカリキュラムマネジメントが生きた授業だったと思います。