今日は1月17日。今から30年前(1995年)の今日、午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。国内初の震度7を記録した阪神・淡路大震災、戦後の日本が初めて経験した都市型の大災害でした。建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて6434人もの方が亡くなりました。(写真は神戸市提供)
当時私は、まだベッドにいましたが、経験したことのない大きな揺れに飛び起き、何が起こっているのかわからないままパニックになり、気がついたら出産間近の妻のお腹の上に、四つん這いで覆いかぶさっていました。反射的にお腹の中の赤ちゃんを守ろうとしたのだと思います。冷静に考えると、天井が落ちてくれば親子ともども潰されてしまうのは明白なのに…。パニックになると、人は冷静な判断や行動ができないということを思い知らされた瞬間でした。まさかこんな大きな地震に見舞われるなんて、正直考えてもいませんでした。地震(災害)に対する「構え」が全くできてなかったわけです。
NHKで、被害の大きかった地域に住む約2000人に被災者を対象にアンケートを行い、阪神・淡路大震災の起こったあの日から、何が変わり、何が課題として残されているのか、記憶や教訓はつながれているのか…ということを考える番組をやっていました。
このアンケートでは、「亡くなった家族や親しい人を思う時間に変化はあるか。」、「震災を体験した悲しみが今も続いているか。」などの質問があり、まだまだ多くの方々の心に、この震災が決して拭えない大きな傷や悲しさとして残っていることを知りました。
アンケートの中で、私(校長)が、「えっ?そうなんだ…。」と考えさせられたのは、「震災の体験を伝えることが難しくなった。」と半数の方々が思っておられること、そして「震災の記憶や教訓が風化している。」と感じておられる方が65%もいらっしゃることでした。
「記憶や教訓は、つながり続けないと徐々に風化し、やがて忘れさられ、そしてまた同じ過ちに陥る。」…そういうことなんだなと改めて強く思い直しました。「震災の記憶の継承に有効だと思うものは何ですか?」の質問の答えで最も多かったのが次の二つです。一つは「テレビや新聞などマスコミの震災報道…27.2%」、そしてもう一つは「学校の防災教育…25.0%」。やはり「学校の果たすべき役割と責任は大きいな。」と身が引き締まる思いがしました。来週の水曜日(22日)に避難訓練があります。しっかりと「記憶と教訓の継承」の一助となる避難訓練にします。
ところで、「記憶と教訓の継承」は災害に限ったことではありません。それは自然ではなく我々人間が起こす「戦争」というものにも、必要不可欠です。誰もが「なぜ戦争なんて馬鹿げたことをするんだろう?」と戦争を憎み、平和を望んでいますが、現実には世界中で「戦争」は今も続いています。
今、ちょうど6年生が「日清戦争~太平洋戦争」についての学習をしています。歴史の勉強というと、何となく「暗記科目」みたいなイメージがあって、「1902年に日英同盟を結んで…、その後1904年に日露戦争が始まって…、1910年韓国併合があって…」みたいな…一応歴史事象の背景や流れも意識しながら覚えていった記憶がありますが、やはり歴史の勉強は「知識理解」の部分よりも、「記憶と教訓の伝承」に重きをおいて学ぶ必要があると感じています。
だから、「日本はなぜ戦争に突き進んでいったのか?」、「戦争をして日本はどう変わっていったのか?」、「戦争中の国民はどんな思いで、どんな生活をしていたのか?」、「長い戦争の後、何を手に入れ、何を失ったのか?」…そんなことに思いを寄せながら(考えながら)、「戦争」の悲惨さと愚かさを、心の真ん中で学び取ってほしいなと願います。6年生は、2月に愛東にある県立平和祈念館の見学にも出かけます。できるだけ「戦争」を身近にとらえながら「記憶と教訓の伝承者」になってほしいと思います。
石垣りんさんという方の詩「弔辞」には、次のような一節があります。
「戦争の記憶が遠ざかるとき、 戦争がまた 私たちに近づく。 そうでなければ良い。 」
戦争の学習を見ると、いつもいつもこの一説を思い出します。