江口渙という作家の「つる」という名作があります。
所は朝鮮半島の東北のはし、咸鏡北道に雁回山という山があ
ります。この山の上には、シベリアから流れる気流でもあるの
でしょうか。毎年三月の中頃になると、十日ほどの間に何百、
何千というつるが南の方から飛んで来て、一たん高く空の上ま
で舞い上がってからその気流に乗って、まっすぐに北に向かっ
て飛んでいくのだということです。この物語は、たまたまある
一日、そのつるの編隊におこった出来事を書いたものです。
小さい粟つぶのように見えたつるは、たちまち何千羽という
編隊になって、雁回山の空高く舞い上がったときに、一羽のタ
カがおそいかかって来ました。静かに動いていたつるの輪が、
たちまち形をくずしたのは言うまでもありません。つるたちは、
皆おびえきった声であわただしく鳴きたて、ぱたぱたと入り乱
れて飛びながら、そのタカからのがれ去ろうとしました。
しかし、そのうちの一羽のつるが、とうとうタカに体をつか
まれてしまい、苦しそうに羽ばたきながら、下へ下へと落ちは
じめました。すると、幾十羽というつるのむれは、死にものぐ
るいでそのタカにとびかかっていきました。さすがのタカも、
そのつるの休みない襲撃に負けて、その手負いのつるを離して、
どこともなく飛び去っていきました。
そこでつるの群れは、また隊を組み直して北に向かって静か
に列を作り始めましたが、さきはどタカにつかまれたつるは、
飛び続けるカがなくなったのでしょう、ばたり ばたりとゆる
く羽を打つと、すうっと列を離れて下に落ちていきました。す
るとつるの群れから、悲しそうな鳴き声がおこりました。
そのつるは、その声にはげまされたのか、また舞い上がって
列に入ろうとします。しかし、それにしても痛手があまりにも
大きすぎたのでしょう。また、すうっと下に落ちていきます。
また、一斉に鳴き声がおこりましたが、そのつるはもう上へあ
がる力を失っていました。
すると、列の一番上の方から、大きなたくましいつるが二羽、
そろって、ひらりと飛び出しますと、疲れて落ちてくるつるの
そばまで、みるみるうちに降りていき、いかにも元気をつける
ように、そのつるのまわりを飛びまわるのでした。しかし、そ
の手負いのつるは、もう飛ぶ力がないのでしょう。ますます落
ちていくばかりです。
するとどうでしょう。さっきの二羽は、両側から羽を大きく
さしのべて、飛べないつるの体にぴったりとくっつき、その羽
の上に支えて、めいめいの片一方の羽だけ大きく動かして、仲
間の列に静かにのぼりはじめました。
その間、ほかのつるたちは、お互いにするどく鳴きかわしな
がら、ひとつところを飛んでいましたが、助けられた仲間のつ
るがのぼってくるのを見ると、はじめて安心したらしく、元ど
おり輪をかいて、上へ上へとのぼりはじめ、やがて一つの線と
なって、北へ北へ動きだしたというのです。
それからあと、このつるはどうなったか見るべき方法もあり
ません。そのたくましい二羽のつるが疲れたとき、別のまた大
きなつるが交替し、その二羽のつぎはまた二羽と引き継いで、
シベリアの果てまで運んでいったものかどうか。そのことにつ
いては作者はふれていません。