「先生こそ勉強だ!」を信念に
私が八日市南小学校に赴任した時にお世話になった川越孝一先
生が、以前、こんな話をされました。
1.「先生クビやなあ!」
それは、昭和42年5月22日のことです。当時、私は南小で
1年2組の担任をしていましたが、社会科で「がっこうにいる人」
の学習をしている時のことです。
子ども達は、校長先生、教頭先生、滝先生と元気よく発表して
くれました。しかし、まだ、1年生の他のクラスの先生(久田先
生、沖田先生、山田先生)の名前を正確に言える子どもは数える
ほどしかいませんでした。その先生の仕事について発表させると
「勉強を教えてくれる」ということはすぐでてきましたが、何故
かもたもたした授業でした。
と、その時です。Y君が何を思ったのか。
「先生は、あんじょう教えへんかったらクビやなあ!」
といったのです。ドキリ! ギクリ!!
「そうだよ。だからね。先生は君達が帰ってから、どのように教
えたらよくわかるか、どうしたら、みんな良い子に育ってくれる
か勉強したり、ほかの組の先生と話し合ったりしているんだよ。」
「ふうん!」
その場は難なくすごせましたが、私は、いまだにあの時のY君
の表情が忘れられないのです。
2.「先生は私たちの命」
下の詩は、昭和44年、つまり、子ども達が3年生になって問
もない頃、S子さんが書いてきた詩なのです。
川越先生
先生は
おもしろい時もある。
こわい時もある。
先生は
私たちの命。
S子
S子さんは、とてもまじめでしたが、何事にもひかえ目で無口
な女の子でした。そんなS子さんが、こんな詩を作ってきたので
すから、私はギキッ!としました。
「先生は私の命なのです。私を生かすのも先生、私をだめにす
るのも先生。私をよろしくお願いします!!」
S子さんが言葉少なく、強く、私に訴えているように思えたか
らです。
S子さんのように詩には書かなくても心の中ではみんなそう思
っているにちがいありません。受け持ちの42人(子どもは担任
を選ぶことはできないのです)の子どもを一人ひとり生かすよう
教材研究をし、ノートを調べ、そして指導案を書き、また、日記
も読まなければならないのです。
これが「教師」という職業を選んだ私たちの責務なのですから。
(古きノートより)