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■八日市北小学校■

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八日市北小子どもの様子

八日市北ニュース
12
2025/03/05

「卒業式に向けて~学校の空気感も変わっていきます~」

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3月19日(水)の卒業式まで、あと10日あまりとなりました。卒業生の練習が始まり、在校生も昨日から式歌の練習が始まりました。

 


先週の6年生を送る会の余韻なのか…体育館に入ってきた時から、在校生の「卒業生を送り出す」厳粛なムードが高まっている気がしました。卒業式が「他人事」ではなく、自分たちにとっても大切なセレモニー(儀式)であることがきちんと分かっている雰囲気がありました。それぞれの学級で、しっかりと卒業式の意義と、自分たちの目標について考えてくれたんだなと思いました。

大概、「1回目の全校歌練習」の風景というのは、ぴりっとしてなくて、歌もぐだぐだな感じから始まるのですが、今年は、始めから子どもたちの気持ちが張っていて、歌声にも勢いを感じました。在校生が卒業生に贈る歌「大空が迎える朝」なんかは、始めから「すでにいい感じに仕上がっている…」気がしました。

よくよく見て、聴いていると、そのいい雰囲気を創り出しているのは、やはり「5年生の姿」にありました。歌っているときの声、立ち姿、そして表情…気持ちが引き締まっているのがよく分かりました。歌指導してくれるA先生の話を聞いている時の態度、姿勢も、他の学年とは一線を画しています。


 

 この5年生の姿に「たのもしさ」を感じて、これからの全校練習でも在校生をしっかりとリードしてくれると思えました。

 今日は、教室でも学級ごとに卒業式の歌を練習する風景がありました。ただ歌を覚えるだけでなく、ただ大きな声で歌うだけでなく、「どのように歌うか」、「どんな気持ちを込めて歌うか」…担任の先生の細かな指導がされていました。その指導ひとつひとつにしっかりと応えるように、子どもたちは繰り返し、歌の練習に励んでいました。追い込まれるように歌わされている感じではなく、卒業式の雰囲気に浸りながら、歌を楽しんでいる感じがあるように感じました。

 


 6年生教室の前には、在校生からの「卒業おめでとうメッセージ」が貼り出されました。在校生一人ひとりが、卒業生へのお祝いと感謝の言葉を綴っています。卒業生はその一つひとつに目を通しながら、少しずつ「卒業」の2文字をかみしめていきます。

 

卒業生は、「有終の美」を飾るべく、最後に「一番凛々しく、かっこいい姿」を在校生に見せつけ…、そして在校生はその姿を目に焼き付けながら、心から卒業を祝福し、本校の子どもたちにしか創り出せない感動と温かさの中で、卒業生を見送ってあげる…そんな卒業式をめざしたいと思います。

運動会と同じように、また「みんな」が一つになって、最高の物語(想い出)を創り出します。

 


16:06
2025/03/04

おかしい?『ふつう』が『ちがう』だけだよ…~1年生国際理解教育~

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今日は県庁の総合企画部国際課から、ブラジル出身のジエゴ先生と担当の鈴木さんに来ていただいて、1年生がブラジルのことについて学ぶ「国際交流・国際理解教育」を実施しました。

ジエゴ先生の名前は、正確に言うと「ジエゴ・アレシャンドレ・アシス・ピント・デ・ソウザ」さんとお名前です。「ジエゴ・アレシャンドレ」が名前で「アシス・ピント・デ・ソウザ」が名字(姓)だそうです。ブラジルでは、名字(姓)は、お父さん、お母さんの姓を両方つけるのが「ふつう」で、ジエゴ先生の場合は、おばあちゃんの姓も入っているそうです。

それを聞いた子どもたちは、「ながすぎ~‼覚わらへんわ…。」と当然の反応です。名前のことを皮切りに、「見た目」だけではない、日本とブラジルの違いについてどんどん興味が湧いてきます。

ジエゴ先生は、ブラジルの国土のこと、学校のしくみのこと、食べ物のこと、お祭り(サンバカーニバル)など、いろいろと紹介してくれました。「わあ~すご~い!」、「いいなあ~!」と言うような反応が多かった子どもたちですが、この写真を見た時は、反応がちょっと違っていて…。

「わあ~、こんなんお寿司とちがうわ~。」、

「やっぱり日本のお寿司の方が美味しそうやわ。」などなど…。

ジエゴ先生は言います。「日本のお寿司とは違うけど、ブラジルの人たちに合うように、工夫されてきたんだよ。日本のカレーライスも、もともとのインドカレーはだいぶ違うでしょ。」と。子どもたちも納得です。

ブラジルのお金にも子どもたちは食いつきました。「お金には偉人の肖像画が印刷されている。」というのが、日本の「ふつう」ですが、ブラジルのお札には、「保護(大切に)していきたい動物」が描かれています。鳥(インコ)や魚(ハタ)や、海亀(タイマイ)、猿(ゴールデンライオンタマリン)、ジャガーなんかも描かれています。お金のデザインにたいするイメージも変わったというか、広がりました。ちなみに200レアル札(約6000円)には「タテガミオオカミ」という足の長―い狼が描かれていました。

 今回の学習で子どもたちが一番反応したのが、日本とブラジルの「あいさつ」の違いでした。日本では、お辞儀や会釈が「ふつう」ですが、ブラジルではそれが「ハグ」に変わります。おまけに男女のあいさつや女性同士のあいさつには「ほっぺにチュッ!」もついてきます。これには、子どもたちも、「いやや~。」、「むりやわ~。」と拒絶的・・・。ジエゴ先生は言います。「どっちのあいさつもおかしくないよ。それぞれの国の『ふつう』が違うだけ。『ふつう』の違いが分かり合えるようになると、みんなもっと仲良くなれるね。」って。

ジエゴ先生は、他にもブラジル式の「グータッチのあいさつ」や「じゃんけん」を教えてくれたり、子どもたちの「素朴な質問」にたくさん答えたりしてくれました。





ジエゴ先生の「グータッチあいさつ」のモデルに選ばれたのはベトナム人のTDさん…。国際色豊かなのが本校の自慢です。

本校には20人を超える外国にルールを持つ子どもたちがいてくれます。また、最近そして近々転入してきてくれる子どもたちは、三重、福島、京都、栃木からです。国内でもいろんな府県から来てくれるので、それは「多様性を認め合う」うえでは、最高の環境だと思っています。いろんな国の子どもたちが、いろんな地方の子どもたちが、たくさんいる八日市北小では、自分たちの「ふつう」と違うことを「間違ってる」、「おかしい」、「そんなの変」ととらえるのではなく、「君の『ふつう』はそうなんだ…「ふつう」がいろいろあって、なんだかおもしろいね。」ととらえられるようになってほしいと願っています。

それにしても、この見事なまでの美しい姿勢、まっすぐな手の挙げ方…他の国からすると「ふつう」ではないかもしれません。誇るべき美しき日本文化の一つかもしれません。いや~、感心します。明日は2年生が「国理解教育」の学習をします。どんな反応を示すかとても楽しみです。

 


15:56
2025/03/03

「これだけはマスターしておかないと!~2年生算数 九九~」

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今日は3月3日、桃の節句です。給食にも菱餅に見立てた「ひなまつりゼリー」がつきました。でもなぜか色は「桃・白・緑」ではなく「桃・白・赤」の三色でした。

さて、いよいよ3月に入り、いよいよ本格的に年度末です。今日から6年生…いや卒業生は、卒業式の練習に入りました。今日はオリエンテーションだけでしたが、卒業生の顔つきや姿勢は、先週までとは明らかに違い、少し緊張感のある凛とした表情でした。

この時期になると、進学・進級を意識するようになり、少し浮足立った感じになるのですが、今子どもたちにしっかりと「振り返り(確認)」してほしいのは、今の学年の「学習」はしっかりとマスターできたかと言うことです。「一年で習った漢字は全部覚えて、読みも書きもできるのか?」、完全積み上げ教科である算数では、その学年でマスターしておかないと計算や図形などの理解はだいじょうぶか?」…このへんをいい加減にしたまま次の学年に上がると、後からどんどんしんどくなってきます。

中でも、絶対に完璧にしておかないと、後々本当に困ってしまうのが、2年生の「かけ算の九九」です。これだけは得意・苦手に関係なく、どの子もすらすら唱えることができないといけません。

そこで、「算数の九九」をより完璧なものにするために、2年生の子たちは、最終校長室に来て、私(校長)の「九九テスト」を受け、それに合格してから3年生に進級しようということになりました。

中休みと昼休み、各学級の「九九検定」に合格した子たちが、最終関門として校長室にやってきます。

コンコン…と校長室のドアをノックして、「失礼します。2年○組の○○です。九九のテストを受けに来ました。」

1人ずつ校長室の中に入り、私(校長)の「バラバラ九九 10問読み上げテスト」を受けます。子どもたちは、普段と違ってとても緊張しますが、緊張の中で力を出し切るというのも大事な勉強です。場数を踏んでいかなければなりません。子どもたちは緊張とプレッシャーに耐えながら、1分以内に九九を読み上げていきます。

無事に10問を正確に唱えられると、とてもほっとした表情になり、合格の賞状をもらうと、とたんに満面の笑顔になります。緊張のせいか、実力が発揮できず「不合格」になる子もいますが、「大丈夫。明日は行けるさ!練習を積んでまた挑戦しにおいで!」と声をかけます。一発合格だろうが、十回目合格だろうが構わない。大事なのは、時間がかかっても今学期中に自分の力でマスターすることですから。



 今日は初日でしたが、早くも14名の子たちが「かけ算九九名人」の認定証を手にしました。合格した子たちは、今度は学級の全員が認定証をもらえるように、友だちと一緒に唱える練習をしてあげてほしいと思います。



 少し話は変わりますが、「かけ算の九九」は、意味や理屈をちゃんと理解していることはもちろん、瞬時に唱えられないと、実際の計算には役に立たないというシビアな一面がありますが、実は「数の不思議」的なことも結構あって「ちょっと楽しい!」と思える面もあります。

例えば、「9の段を忘れてしまった!?」と言う時に、下の写真のように両手を出して、左手の親指から順に、9×①(左手親指)→9×②(左手人差し指)→9×③(左手中指)→…→9×⑧(右手中指)→9×⑨(右手人差し指)→9×⑩(右手親指)と並んでいると思いましょう。

ここで例えば9×4を知りたい時は④の指(=左手の薬指)を折ります。すると折った指の左側には、3本の指が残ります。指1本を10と数えて3本で30です。次に折った指の右側には、左手の小指と右手の5本の指、合計6本ありますから。これはそのまま6と数えます。

折った指の左側の指3本が30、右側の指6本が6、合わせて30+6=36です。つまり9×4=36と言うことが、指を1本折るだけですぐに分かります。

 

同じように、9×8を考えると、左から8番目だから右手の中指を折って・・・、折った指の左は7本の指だから70、折った指の右の指は2本で2、合わせて72。9×8=72となります。

 実際に、こんな方法で9の段が求められない…では困りますが、覚え始めの頃には役に立つかもしれませんし、なんだかちょっと不思議で、数=算数のおもしろさに触れたような気になります。

 2年生の子どもたち、がんばるんですよ!とことんお付き合いしますからね!


15:47
2025/02/28

「全力尽くしてズームイン!~6年生を送る会~」

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今日は2月の最終日、今年度最後の参観日でもある「6年生を送る会」を行いました。基本的には、子どもたちの主体性を大切にし、子どもたちの発想やアイデア、子どもたちがやりたいことに基づいた会の運営であり、各学年の発表なのですが、そこに「一年間の成長」や「学習のまとめ」の視点で、「有意義な学習」に成り得るよう、いろんなコーディネートやサポートをするのが先生たちの役割です。

はじめの式で私(校長)からは、「せっかくの6送会、『中途半端』になって後悔するような発表はやめよう。やるなら『全力』で、『はずかしさ』や『緊張』に負けずにやりきろう!」というような話をしました。

1年生の発表は、私(校長)の言葉通りの、「今、持てる力をすべて出し切る!」と言わんばかりの『全力』の発表でした。単に『1年生って、かわいい~』なんて安っぽい言葉では済まされない「一生懸命さ」や「練習の積み上げ」を感じる立派な発表でした。何よりも「自分たちがやりたいことをしてるんだから、楽しくて仕方ない!」と言う気持ちが、子どもたちの笑顔からびんびん伝わってきました。

2年生の発表も「一生懸命」で「全力」の発表でした。6年生に対する「憧れの気持ち」をこめて力強くダイナミックな発表をしてくれました。「憧れの6年生の組体操を自分たちの力で精一杯練習して、表現しました!」という満足げな表情がとても印象的でした。1年生とは違って、「みんなで揃える」、「気持ちを合わせる」という意識が育っていて、「そろえることの美しさ」が意識できているなと思えました。

3年生の発表は、3年生の「一番のかっこよさ」を見てもらえる素晴らしい発表になりました。「元気さ、パワー、勢いではどこの学年にも負けたくない!」と言わんばかりのパワフルな発表でした。群を抜いて子どもたちの声が大きく、張りがあるのがとても気持ちよかったです。自分たちの「元気さと思い切りのよさ」に対して自信とプライドを持っているところが、とてもかっこよかったです。

4年生の発表は、変な言い方かもしれませんが、「きちんとした劇らしい劇」を見せてもらった気がしました。「観る人の立場」で、自分たちの劇を創り上げてこられたような気がします。「声の大きさ」だけでなく、「声の調子」や「表情・身振り手振り」、そして「動き」にいたるまで、「どういうふうに演じたら、その場の雰囲気や世界観が伝わるか…」を子どもたちなりに意識して練習してきたことがよく伝わってきました。ナレーターの声がとても大きく、聴きやすく、お話の世界に引き込まれました。

5年生の発表は、まさに「自分たちの発想とアイデア」で創ってきた発表だなと感じました。今まで何度も見てきた「6年生を送る会」。その中で印象に残っている「発表の型」や「発表の編成」を自分たちで再構築したんだろうなと感じました。

5年生は、ステージでの発表だけでなく、会の運営(司会進行)や会場準備、また、ステージ看板や、プログラムの作製などなど、他の学年よりうんとたくさん準備や取組を進めてきてくれました。特に今日は、始めのあいさつをしてくれたOYさんと、終わりのあいさつをしてくれたUHさんのあいさつが本当に凛々しくて、かっこよかったです。今年度の運動会で見せてもらった6年生のKYさんとTRさんの本当に「かっこいいあいさつ」がしっかりと目標になっていて、そこをめざして今回頑張ってくれた二人のあいさつは、同じように立派なものでした。次の行事の「あいさつ」の目標になってくれると思います。

5年生はいろんな「裏方の仕事」や「進め役」の経験を積みながら、「段取り能力」や「企画力」、「責任感」などを培っていきます。これから最高学年として、全校を引っ張る立場になり、その責任は大きなものがありますが、それらの経験で得られる力は、まさしくこれから歩んでいく人生において必要な力です。文字通り「生きる力」になっていきます。この後、休む間もなく「卒業式」の準備に入っていく5年生。大変ですがどうぞよろしくお願いします。

今年の「6年生を送る会」の講評(振り返り)は、私(校長)ではなく、H先生&F先生がしてくれました。それも「漫才」風に…。本当に北小の先生たちは「手間」を惜しみません。子どもたちも、そんな先生たちの「愛情」をしっかりと分かっていてくれます。先生たちのRPGの合奏は、たった4回の短時間の練習で仕上げました。合奏の練習は、譜面づくりからパートごとの指導まで音楽が得意なT先生が仕切ってくれます。短時間で仕上げるので、大変厳しい指導になりますが、北小の先生たちはT先生を頼りにして、必死で練習します。こんなことをしながら先生たちのチームワークが高まっていきます。

最後は6年生が「お礼の出し物」と言う形で「6年生を送る会」を締めてくれました。「ステージ発表」というよりも、「事前に作品を創り上げて見せる」という、今の時代を反映したような発表でしたが、それでもステージに立って声を出し、演技する子どもたちの表現力は下学年とは「レベチ」でした。ここでもまた、6年生の「すごさ」、「かっこよさ」を見せつけてくれました。

6年生は、いよいよ来週から「卒業証書授与式」の練習に入ります。卒業式における「みんなが楽しい!」は今までの行事と、ちょっと違います。卒業式の「楽しい」は「呼名の返事」や「証書授与の姿」、椅子に座っている「姿勢」や「呼びかけ」、「歌」などに、「6年間の自分の成長」を表現できることです。小学校生活の最後の最後、厳粛な雰囲気の中で、成長した凛々しい「自分」を、自分を育て、見守ってくださった人たちに見せることが「卒業」の意味であり、「人生の節目をつける」ことになります。来週からまた、少し違った気持ちで一日一日を過ごしてほしいと思います。


16:05
2025/02/27

体はまだまだ小っちゃいけど、中身(心・頭)はとても大きくなった!

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冬の厳しい寒さは峠を越したのか、今日は春の訪れを感じさせるような暖かな陽気です。「6年生を送る会」を明日に控え、各学年は体育館での最後のリハーサル練習に取り組んでいました。ステージ発表では、各学年の「よさ」「らしさ」を発揮しながら、「一年間の成長」の姿を存分に見せてほしいと思っています。

どの学年もそれぞれ大きな成長があるのですが、やはり去年の4月に入学してきた1年生の「一年間の成長」というものには、凄まじいものを感じます。「ぐんぐん伸びる!」…そんな言葉がぴったりきます。

園時代は「自由な空間・時間・仲間」の中で、のびのびと遊び込んできた1年生の子どもたち。ところが入学すると同時にたくさんの「枠(フレーム)」のある世界で頑張らなくてはなりませんでした。「45分間の授業」、「教科別の学習」、「一日5時間の週時程」、また集団(社会)で過ごすための「ルール」や「規律」などなど、そんな「大きな変化」に「自分」を一生懸命「適応」させながら、一年間頑張りぬいてきました。年度途中で疲れて、しんどくなって当たり前、学校に行きにくくなっても当たり前…1年生の子どもたちは、先生や家族に背中を押してもらいながら、それぞれの「しんどさ」をやっとこさのことで乗り越えてこられたんだろうなと思います。それって、本当にすごいことだなと今更ながらしみじみ思います。

 


送る会の発表の練習…小さな体をめいっぱい大きく動かして、全力で演技をします。1年生の子どもたちを見ていると、全く「やらされ感」が感じられなくて、自分たちで「表現」をめいっぱい楽しんでいる感じが伝わってきます。お世話になった6年生に「お礼(感謝)を伝えたい」、「自分たちができるようになったことを全部見てほしい!」…そんな気持ちにあふれています。

 



今日は、道徳の授業も見せてもらいましたが、どの子も一生懸命「お話の登場人物」になりきって、「正しいことをすることの大切さ」と「分かっていてもそうはできない人間の弱さ」の間で葛藤しながら考えています。どの子も「自分の考えを最後までしっかり言おう。」としています。恥ずかしがらずに「動作化(演技)」もできます。お隣さんと「考えの交流」をすることも当たり前のようにできるようになっています。担任の先生の授業の進め方が抜群なのもありますが、子どもたちの「成長ぶり」には、ほんとに目を見張るものがあります。

書くことにも抵抗がなく、みんなしっかりとした字で、文章を綴れます。「6年生を送る会」の「自分」のめあてをしっかりもつこともできています。本当に感心することばかりです。

 


教室の中も実にすっきりしています。どこも乱れていないのです。心が落ち着いている証拠です。こんなに頑張り屋さんの1年生ですから、本当はその勢いについていくのに、あっぷあっぷしている子もいるかもしれません。そんな子どもたちの「しんどさ」をちゃんと看取りながらサポートしてあげないといけないですし、子どもたち同士で支え合えるような親和的で支持的な学級集団づくりも進めていかなければと思っています。

 

明日、初めての「6年生を送る会」を迎える1年生…。2~6年生が、びっくり仰天するような「成長ぶり」を見せてほしいと願っています。

 今(午後3時過ぎ)、5年生が体育館の会場準備をしていてくれます。5年生は5年生で、大きく「意識」の変わるこの時期です。学校のリーダーとしての責任とやりがいが、大きく子どもたちを成長させてくれます。そんな5年生の動きも目が離せません。どうか明日の「6年生を送る会」が素晴らしいものになりますように…。


15:42
2025/02/26

「しみじみと想う…一日一日を大切に…」

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毎朝、乳橋の方からやってくる登校班。きれいに1列に並んでやってくるわけではありませんが、いつもみんな笑顔で楽しそうに登校してきます。「おはようございます!」のあいさつも元気で、毎日のルーティンでハイタッチしてくれる子も何人かいて…、子どもらしい子どもたちがたくさんいる楽しい雰囲気に、私(校長)はいつもとても安心します。

時々、登校班長の6年MTさんが、大きな声で「お~い!走れ~!」と叫びます。MTさんは、学校前の職員駐車場前に差しかかると、必ず車の侵入口で登校班旗を掲げて、車の侵入を止めて、子どもたちを安全に通過させてくれます。MTさんは、車の運転手さんが、登校班が通過するのを待ってくださることに感謝しながらも、あまり長く待っててもらうのは悪いと思い、少しでも早く登校班を通過させるために、「お~い!走れ~!」と叫んでいてくれるわけです。MTさんの登校班の安全を守る意識と、運転手さんへの気遣いにはいつも感心しています。班長さんのこんな「かっこいい姿」がちゃんと下級生に受け継がれていくことを願っています。

あっという間に2月は逃げていき、来週からは3月に入ります。いよいよ6年生は卒業まで秒読みとなり、嫌が上にも「あと○日」というカウントダウンの意識が強くなっていきます。6年生教室にいたり、6年生の子どもたちとおしゃべりしたりしていると、意味もなく「しみじみした」気持ちになり、「もう少しで、お別れだな…。」とセンチメンタルになったりもします。6年生の子どもたちの卒業と同時に、私(校長)も「役職定年」を迎えるわけで…そんなことも手伝って、より「しみじみした」気持ちになってしまうのかもしれません。

6年生教室には、3学期のスタートとともに掲示された「卒業カレンダー(卒業までのスケジュール表)」があります。縦に長~いカレンダーでしたが、そのカレンダーも残り少なくなってきました。3月に入ると、卒業式まで残すところ「あと12日」となります。3学期のスタート時には「あと48日」でしたが、本当にあっという間です。これまで6年生は「卒業プロジェクト」と銘打って、いろんな「恩返し」の取組をしてくれました。特に、校舎内外のいろんなところの大掃除をしてくれたことは、本当にとても助かりましたし、6年生の「たのもしさ」を強く感じました。

 



私(校長)は、6年生の子どもたちが大好きです。一緒にいてとても落ち着きます。ずっと一緒にいたくなります。何か穏やかで温かな空気に包まれます。それは、子どもたちが持っている「人懐っこさ」や、「仲間同士支え合える優しい雰囲気(空気感)と安心感」からくるものなのかもしれません。また、担任の先生と子どもたちの強固な信頼関係から生まれる安定感と安心感なのかもしれません。

6年生教室には、全力で作った「平和新聞」が掲示されています。子どもたちの「一生懸命」と「全力」がストレートに伝わってきます。「ネット情報のコピペ」ではない力作ぞろいです。私(校長)は、この「真面目さ」と「一生懸命さ」にも惹かれています。子どもたちの作品を見るのは、本当に楽しいです。

 



今日は、家庭科室で「ミシン(裁縫)で作品づくり」もしていました。これもある意味「恩返し」の取組のようです。何を作っているか…私(校長)は知っていますが、子どもたちからは口止めをされています。この時間の子どもたちも「真剣そのもの」…。「心を込めて作っている」感じがひしひしと伝わってきました。仕上がりを楽しみにしていてください。

 

 


卒業式までの残された日々。何をしていても「しみじみ」としてきそうです。できるだけたくさんの「楽しい想い出」ができるように、「新たな出発に向けての勇気と希望」が膨らむよう祈っています。

「卒業カレンダー」の見出しには「全員の力を出し切ろう!~笑顔・協力・一日一日を大切に~に書かれています。この見出しの通り、今6年生の子どもたちは一日一日を大事に生きているなと思えます。いよいよ来週から卒業式の練習が始まります。私(校長)も心尽くして、子どもたちと向き合いたいと強く思っています。人生の節目にふさわしい卒業証書授与式にしたいです。


14:00
2025/02/25

「『みんなが楽しい!』を実現できるか!?」6年生を送る会

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強い寒波に見舞われた3連休が明け、今日からまた学校が始まりました。今週の金曜日には、「6年生卒業お祝い週間」のトリを飾る「6年生を送る会」があります。体育館では毎時間、いろんな学年が入れ代わり立ち代わり発表の練習を頑張っています。


 

4年生は、劇の発表をします。内容については詳細を控えますが、最近はあまり劇の発表をがっつり見せてもらったことがないので、とても楽しみにしています。劇の発表に取り組むのは、実はなかなか難しいことだと思っています。というのも、「劇」を成功させるためには、まず「恥ずかしさ」や「緊張」からくる「中途半端さ」をやっつけなければ、観る人には何も伝わりません。それから、「見せる、観てもらう」という意識がしっかりしていないと、下手をすると「演じている自分たちだけが楽しんでいる…」という見る人にとっては、とてもつまらないものになってしまいます。本来なら「観ている人たち(みんな)が、とても感動する、感心する(楽しい)劇」になるべきはずが、「やっている自分たち(みんな)だけがおもしろがっている(楽しい)劇」になってしまいます。同じ「みんなが楽しい」でも、「みんな」の幅がとても狭く、「楽しい」の質がうんと落ちてしまいます。大人(先生)はそのことをよくよく分かっていますから、練習(演技)中には、担任のK先生(監督)のこまかな指導とアドバイスがバンバン入ります。子どもたちにとっては、正直「そんなこと言われても…」と最初は思っているのでしょうが、おそらく練習を重ねるうちに「監督の演技指導」の大事さがだんだんわかってくるようになり、劇の質がだんだん上がっていきます。

回議(校長決裁をとる)に回ってきた4年学年通信を見せてもらうと、担任の先生たちがしっかりと「劇をする目的(値打ち)」を子どもたちに伝えてくれています。演じている4年生も、見せてもらう観客も、その両方が、心の底から湧き上がってくる感動や達成感が味わえるような…最上級の「みんなが楽しい!」発表になることを大いに期待しています。


3年生の発表は、まだ詳しくは見てないのですが、3年生の「よさ」である「元気(パワー)」と「チームワーク(仲間との一体感)」が活き、そしてちょっと『笑い』を取りに来る発表を考えていてくれるようです。3年生と言えば、音楽でリコーダー演奏を始める学年なので、1年間の「リコーダー演奏」の上達ぶりも聴かせてくれるのではないでしょうか。もちろんいつも「パワー全開」の3年生ですから、元気いっぱいの歌声にも期待しています。

 


最後は5年生です。5年生の発表の練習はまだほとんど見せてもらってないので、ほとんど「未知」で、内容を楽しみにしています。5年生教室の廊下には、『誇り高き!北小5年生!』の合言葉のもとに、この3学期にかざすべき「目標」や頑張るべき「力点」が整理され掲示されています。

一歩踏み出す勇気をもつ(積極的になる)

学習も運動も遊びもとことんがんばる(手を抜くな)

とても分かりやすく5年生としての方向性が示されています。これらの「目標意識」と「5年生の発表」が100%結び付き、最後の「6年生の発表」を凌駕するような、5年生の本気の発表が見せてくれると、本当の意味で最高の「6年生を送る会」になると思っています。

各学年の「よさ」や「一年間の成長の姿」、そして「本気(一生懸命)」が全部見られますように…、あと3日ほどの体育館練習を精一杯頑張ってほしいと願っています。


14:09
2025/02/21

「卒業お祝い週間が始まっています」

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昨日までの大雪はちょっと休憩に入り、今朝は雪かきをしないで済みました。それでも子どもたちは、まだまだ雪で遊ぶ気満々です。みんな「それ用」の格好で登校してきました。一通り、子どもたちの登校を迎え終えた後、いつものように下駄箱の靴の整頓に入るわけですが、昨日今日と大変感心しているのが、1年生の下駄箱です。入れにくい「長靴」を、それぞれに工夫しながらきちんと下駄箱に収めています。私(校長)が整理し直す必要は全くありません。1年生なのに、しっかりと「地に足がついている」この状況がとても嬉しいです。

さて、今週から、今まで学校のリーダーとして全校を引っ張り、まとめてくれた6年生に感謝の気持ちを込めて、卒業をお祝いする「卒業お祝い週間」の取組が始まっています。「お祝い放送」では、給食の放送で各学年から6年生へのビデオメッセージを流します。また、「お祝いの寄せ書き」は6年生へのお祝いの言葉を学級ごとに書き、6年生教室前廊下に掲示します。そしてさらに「なかよし遊び」では各学年が6年生を遊びに招待して昼休みに一緒に遊ぶというような取組をします。

最終日の2月28日(金)には、卒業をお祝いするとともに、それぞれの学年が自分たちの一年間の成長を表現、実感するための「6年生を送る会」を開催します。子どもたちの一年間の成長を見ていただく今年度最後の参観の機会になります。多くの保護者の皆様に参観いただけると嬉しいです。




昨日早速、給食の時間に、5年生による「卒業お祝いメッセージ」が放送されました。5-1も5-2もそれぞれ工夫を凝らしたメッセージ放送で、とても楽しむことができました。また、昼休みには、早速5年生と6年生との「なかよし遊び」がありました。

高学年の遊びですから、私(校長)は勝手に「ガチのドッジボール対決」とか「大縄8の字跳び対決」みたいなものを想像していて、これから最高学年になろうとする5年生の「意気込み」と、まだまだ負けるわけにはいかない6年生の「意地(プライド)」が火花を散らす…そんなイメージを持っていました。

しかしそれは本当に私の「勝手な思い込み」であって、実際の遊びは5-1と6-1は「折り返しリレー遊び」と、5-2と6-2が「だるまさんが転んだ」でした。


 

正直、「高学年が『だるまさんが転んだ』って、どうなのよ?」と思いましが、これがまあ、盛り上がる盛り上がる!「折り返しリレー」も同じく、みんな応援し合って、全力で走る子どもたちの姿…。

自分の勝手なイメージやフレームで、子どもたちの活動を見ようとしていた自分が恥ずかしくなりました。一番大事なのは、何をするかではなくて、「みんなで楽しもう!」とする『気持ち』であって、結果としてみんなが『楽しめる』ことです。子どもたちが自分たちの力で、そんな『雰囲気』をつくって、5,6年生が目いっぱい「楽しめている」この状況を、もっとほめて(認めて)あげないといけないなと思いました。

反対に、今の北小の「課題」みたいなものも見えてきました。ビデオメッセージの中でも、「なかよし遊び」の中でも、相手に伝わるように「話す(伝える)」場面や、みんなに理解してもらうためにルール等について「話す(説明する)」場面がたくさんあるのですが、この「相手意識をもって話す」ということについては、本校の弱みであり、課題だなと感じました。

伝える相手がいるのだから、主語は「相手」であって、「相手が理解する」、「相手が○○のように感じてくれる」と言うのが「話す」ことの目的なのですが、多くの子どもたちの「話す」は、「自分が話す」ことで精一杯になっていて、「相手に届く」かどうかまで意識できていないように感じます。「声が小さくて聞こえない」、「早口すぎて、何を言っているか分からない」、「話す内容が整理されないまま話していて、要領を得ない」…そんな状況でもお構いなしです。「自分は話した」という事実だけで、そこに「相手意識」はありません。それは、子どもたち主体の他の行事や、放送委員会等の放送の中でも一緒で、「相手意識」の弱さを感じます。「話すこと」に自信が持てない子どもたちの姿があります。

改まった場や、大勢の前で「話す」ことは、大人でも緊張しますし、うまく話せないことが多いことは確かです。子どもたちにしっかりと「相手意識」をもって「きちんと話す(伝える)」力をつけるためには、6年間の系統的な「積み上げ」も必要ですし、話す「場数」も必要だと思います。

もう一つ、我々学校の教師が反省しないといけないのは、「教師が話し過ぎていないか」と言うことです。教師が話しすぎて、子どもたちの「話す機会」、「話す練習」を奪ってしまっているのではないかということです。授業中でもよくある場面です。子どもたちに「話させるべきところ」を、教師がサポートのつもりで代弁してしまっている…。これが続くと、子どもたちの中で、「最後まで話しきれなくても、先生が助けて(代弁して)くれる…。」という感覚が普通になり、自らの「話す」を高めようとしなくなっているのではないかと…。子どもたちの「話す力」の向上の課題は、我々(学校・大人)の方に多くの原因があるのかもしれません。


14:06
2025/02/20

「1年生に味方してる?~1年生生活科 冬を楽しむ~」

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しつこく居座る寒波のせいで、ここんところずっと「雪」に悩まされています。昨日も一日降り続くので、子どもたちの安全な下校を考えて、「集団下校」の形をとりました。

災害や悪天候等、いわゆる有事の際に、子どもたちの安全確保の一つの手立てとして「集団下校」があります。子どもたちは、まだまだその意識は強くはないですが、「避難訓練」同様、身につけておかなければならない大切なこととして、これからも「集団下校」に取り組んでいきます。昨日は、地域の民生委員・児童委員の皆さんも、安全確保のために子どもたちの下校に付き添ってくださいました。いつもいつもありがとうございます。

正直、大人にとっては「もういい加減に勘弁してほしい・・・。もう雪はいらない!」とうんざりしているのですが、子どもたちにとっては「自然の恵み」、「空の神様のプレゼント」的な最高のおもちゃですので、積もれば積もるほどテンションが上がります。

今朝も北小教職員チームの皆さんが朝早くから雪かきをしてくれました。二日連続で同じような雪かき作業で、もう慣れたものです。しかしまあ、朝の7時にこんな職員写真が撮れるのも、北小ならではだなと思います。

雪がちらつく中、子どもたちが「雪遊びグッズ」を携えながら元気にやってきます。不思議と「平時」よりも、「おはようございます!」の子どもたちの声が大きく元気になります。いつも元気いっぱいで、だれよりも笑顔で気持ちのいいあいさつをしてくれる6年生のTKさんは、いつも以上にひょうきんぶりを爆発させ、雪の中に顔を突っ込んで、雪の上に「笑顔の顔型」をとって、周りのみんなを笑わせてくれていました。

私(校長)は、「いつもTKさんはすごい子だなあ。」と思っています。今まで一日も「笑顔」を絶やさないのです。日によっては嫌なことや不安なこともあるだろうに、TKさんは絶対いつも「笑顔」でいます。きっと「何があっても、笑顔を絶やさない!」と心に決めているのでしょう。私(校長)は、こういうTKさんをとても素敵だと思いますし、毎日その「笑顔」に元気をもらっているのでとても感謝しています。自分もTKさんのようでありたいとも思っています。

さて、最近の「雪」を一番楽しんでいるのは、だれでしょう…?それはきっと1年生だと思います。1年生のために「雪」が降っているのではないか、完全に「1年生に味方してる!」という思いにさえなります。1年生は、生活科で「冬を楽しむ」という学習をしています。雪遊びや氷遊びを通して、五感をフルに動かしながら「冬の自然」を感じ取り、その不思議さやしくみ等について、「知的好奇心」「探求心」を育んでいきます。

 

だれもまだ踏んでいない新雪の上を歩くふわふわ感や、雪の上に寝ころび背中で感じる雪の冷たさと白い世界に反射する光のまぶしさ、次第に大きくなっていく雪玉を転がす重たさと転がる音などを全身で感じながら、「雪」いうものに対して知的好奇心を高めていきます。「降りたての雪と、昨日降った雪の違い」なんかを感覚的につかんでいきます。

 


子どもたちの中には、雪よりも「氷」に魅力を感じている子たちもいます。いろんな「水」を凍らせる実験をしたり、できるだけ「透明」な氷をさがしたりしながら、氷について好奇心と不思議感を高めていきます。できるだけ大きくて長い「つらら」を探し回っている子どもたちもいました。

「校長先生、みんなには内緒やけど、ぼくな、めっちゃ長いつららがあるところ知ってるね。でもすごく高いところにあるから、校長先生とってくれへん?」とこっそりお願いにくる子もいました。傘を使ってその立派なつららを取ってあげたら、その子はとても喜んで、つららの美しい輝きに負けない、きらきらの瞳で、にやーっと笑う表情がとてもとてもかわいかったです。

 

 大雪が降ると、「雪かき」もしないといけないし、道路は「大渋滞」を起こし、「スリップ事故」のリスクもうんと高まって、とにかく大人の生活にとっては厄介で、うんざりでしかない雪ですが、やっぱり子どもたちにとっては、なくてはならない「大切なおもちゃ」なんですよね。とても価値のある「遊び」を生み出す「自然の魔法」みたいなものなんですね。少しはうんざりする気持ちを抑えて、感謝もしないといけませんね。


13:17
2025/02/19

関わる力が幸せな社会(学校)を創る 5年福祉学習・身体障がい者理解

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今日も朝方から猛烈に雪が降ってきて、あっという間に雪が積もっていきました。ここ東近江、特に八日市というところは、天気予報の見方が、夏季は「滋賀南部」で見るのに、冬季は「滋賀北部」で見なければいけないという、「予報地域区分が夏と冬で違う」全国唯一の地域です。

こんな日の北小の先生たちは、「早朝出勤」してくれる人がたくさんいて、6時半過ぎには、手分けしながら雪かけを始めてくれます。玄関前、昇降口周り、校門前、横断歩道、学校周辺の通学路などなど…こんなところでも「子どもたちのために」という気持ちで率先して動いてくれる先生たちの「温かさ」に学校は支えられています。また、こんな朝の子どもたちの姿にも、北小の素晴らしいところが見えてきます。6年生を中心とする登校班長さんたちが、きちんと班を並べて、安全に登校してきてくれます。


 

すべての登校班が…とは言えないところもありますが、多くの班がきちんと並んで安全に登校できているのも北小の素晴らしいところ「北小プライド」の一つです。班長さん、副班長さん、毎日本当にありがとうございます。

 

さて、今朝は、この厳寒の中においても、私(校長)の心が本当に温まる…そんな子どもたちとの素敵な会話がありました。

私(校長)が雪かきをしながら、子どもたちの登校を迎えていると、6年生のTMさんが、「おはようございます。…お疲れ様です。」と声をかけてくれました。朝のあいさつだけでなく、雪かきをしている私(校長)に対して、「お疲れ様です。」と声をかけてくれたのです。そんなことを言ってくれたのはTMさんだけなので、それだけで嬉しくて心が温まります。しかし、会話はこれだけで終わりませんでした。2,3分後、TMさんが再び戻ってきて、また「校長先生、ありがとうございます。」と言ってくれるのです。「何度も嬉しいけど、なんでまた言ってくれるの?」と聞き返すと、TMさんは「雪かきしてもらっているのに、『お疲れ様です。』って言うのは、おかしい(失礼)かなと思って…。」と答えてくれました。わざわざこんなことを言い直しに、私(校長)のところに戻ってくるというTMさん…。もう私(校長)の心はぽっかぽかです。こんな子がいることが、これまた「北小プライド」です。

TMさん…、「お疲れ様です。」で全然おかしくないですよ。何も間違っていませんよ。そんな素敵な言葉をかけてくれて、こちらこそ「ありがとうございます。」です。(ちなみに「お疲れ様」は誰にでもOKですが、これが「ご苦労様」という言い方になると…これは目上の人に対しては使えない言葉になります。)

あと、もう一人。5年生のKAさんが、昇降口から雪かきをしている私(校長)をじーっと見ていて、しばらくしてから「校長先生、手伝いましょうか。」と声をかけてくれたことにも、心がじーんと温かくなりました。雪かきをしている私を見ながら、いろいろ感じて考えてくれたんでしょうね。そのことがとても嬉しかったです。TMさんや、KAさんの言葉(行動)に「共通点」があるとすれば・・・、それは、①何かをしている人にまず「関心」をもつ。そして②その人の思いや気持ちを「想像」する。③そこに何かを感じて、「心」が動く。④そのことが自分の「行動」を決める…、ということではないでしょうか。

 

実は昨日、5年生が福祉学習(身体障がい者理解)を行うにあたって、車椅子サッカーコーチで活躍されている髙橋 平(たいちゃん)さんに来校いただき、障がい理解についてお話を聞かせていただくという機会を持ちました。

 


その話の中で高橋さんは、

「『みんなが幸せな(楽しい)学校や学級にしたい(という結果を求める)』のだったら、まずは『みんなの関係性』をよくすることが大事です。そのためには、『周りの人に関心を持ち、人の気持ちや思いを想像すること』が絶対必要なんです。お互いが関心をもって、お互いの気持ちを考えながら、関わっていく…。そんな『関わり』や『関わる力』が高まれば、何でも話せるような『安心』できる関係性になっていきます。そんな関係性があると、どんなことも言い合えるようになり、分かり合えるようになり、みんなの考え方(思考)が『前向きな、ポジティブなもの』に変わっていきます。そうすると自然とみんなはいろんなことに『チャレンジ』しようとする積極的な『行動』が増えてくるわけです。そうすることによって、結果として学校や学級が『楽しい』ものになっていくんです。」というような話をしてくださいました。(①関係の質→②思考の質→③行動の質→④結果の質→①関係の質…のスパイラル)

今朝のTMさんやKAさんの「温かな言葉」の根底には、高橋さんがおっしゃる①人に関心を持つ→②人の気持ちを想像する…という一番大事な部分がちゃんとあるということなんだなと思いました。子どもたちだけでなく、大人の世界も次第に「人間関係の希薄化」が叫ばれるようになってきています。いろんなものを「自分には関係ない」と判断し、周りの人達も含めて「ただの風景」にしてしまっている現代人の淋しさを感じたりもします。本校の教育の方針の一つ「体験と関わり」…「人に関心をもって、人の思いを想像しながら、人と関わる心と力を育てていく」…。これからも大事にしないといけないなと改めて思った朝でした。


13:22
2025/02/18

「バレーを楽しむ!~3年ソフトバレーボール」

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昨日、各学年の週案(1週間の時間割が書いてある表)を見ていると、3年の週案に体育「ソフトバレーボール」と書いてあるのを見つけて…。「3年生にバレーボールってできるんかなあ?ちゃんとゲームになるんやろか?」と思って、体育の時間に見学に行きました。

私(校長)はてっきり基本の練習として、「レシーブ」とか「トス」の練習から繰り返し練習するのかなと想像していたのですが、体育館に行ってみると、なんともうすでに試合を始めているではありませんか!おまけにちゃんと「ラリー」が続いていて…めっちゃ盛り上がってるではありませんか!?

 

実は、これには少し「しかけ」があって…。今の段階では「キャッチバレーボール」と言う方が正しいのかもしれません。「レシーブ」をする代わりにボールを「キャッチ」するのです。そして「サーブ」や「パス」、「トス」は「投げる」というルールにしてあるのです。それからルールとして、相手コートから来たボールは、①「レシーブ」=キャッチして、セッターにパス(投げる)②セッターが「トス」を上げる(投げる)③アタッカーが相手コートにアタック(スパイク)する(これはちゃんと打ちます)という3回で攻撃するのが約束です。「レシーブ」や「トス」の代わりに「キャッチ&スロー」ですから、今の子どもたちの力で十分にラリーが続きます。ゲームの「動き」はちゃんとした「バレーボール」の動きになっていくわけです。

この「ラリーが続く」と言うのが、バレーボールなどのネット型ゲーム(スポーツ)の醍醐味であり、楽しさですから、子どもたちは大喜びで、「楽しくて楽しくてしかたない!」と言わんばかりに盛り上がりますし、子どもたちの動きがだんだんバレーボールらしくなっていきます。

今日の授業を見ていて、「やっぱり授業と言うのは、工夫次第で『子どもたちが夢中になる授業』になるんだなあ。発想の転換が大事やな。」と今更ながら思い知らされました。「ゲームを楽しむにはまずは基礎基本から。」という考え方で、始めのうちはゲームなどしないで、ひたすらレシーブやトスの練習ばかりしていたら、苦手な子にはバレーボールが「辛いもの」になってしまうでしょうし、バレーだからと言ってレシーブやトスありきのゲームにすると、とてもじゃないけどラリーは続かず、結局ゲームが面白くない…バレーボールなんかしたくないということになってしまいそうです。

そうではなく、「まずはバレーボールの楽しさを味わう!」という視点で「キャッチバレーボール」から始めて、バレーの「楽しさ」と「動き」を先に知る…というのが今回の授業のねらいだったんだと思いました。これだけ子どもたちが楽しそうに頑張っているのですから、放っておいても、「次はちゃんとレシーブやトスができるようになりたい!」と思って、主体的に本格的なバレーボールに向かっていくんだろうなと思いました。この授業を考えた担任の先生も「あっぱれ!」なら、めいっぱい楽しく、全力で運動している子どもたちの姿も「あっぱれ!」です。

 

「あっぱれ!」な姿は他にもありました。例えば、ゲームをしているメンバーを全力で応援する仲間の姿です。「ナイス~!」「ドンマイ!」「おしい!」などのポジティブな言葉ばかりが飛び交います。この仲間への温かな関わりが3年生の子どもたちの一番素晴らしいところです。さらには、M先生が「集合~!」と声をかけた時の、子どもたちの動きの速さと聴く姿勢も見事なものです。いつの間にか「切り替える力」「メリハリの力」がしっかりと身についています。前にもブログで3年生の体育の様子を書いたことがありましたが、やっぱり3年生の体育の学習は、「本当にすばらしい!」のひと言に尽きます。本当に「あっぱれ!」でした。


14:48
2025/02/17

「教育の不易と流行 大事なのはバランスかな…」

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先日、新聞を見ていたら、「教育先進国・フィンランドで脱デジタル化」という記事が目に入ってきて、その内容に大変驚きました。教育水準が大変高いことで有名なフィンランド。先進的な教育制度とその効果は常に世界をリードしてきました。フィンランドでは、早くからICTの活用が進んできました。一人1台タブレットPCはもちろん、小学校では電子黒板が100%導入されています。

ところが、最近では少し様子が変わってきて、逆に「脱デジタル化」に舵を切り、ノートPCやタブレットではなく、「ペン(鉛筆)と紙」を使う学校が増えてきているというのです。

フィンランドでは、急速にデジタル化が進んだものの、子どもたちの学習成果が徐々に低下したことや、また、ICT機器の過度な使用が、目の問題や不安の増大、ネット依存症等、身体面・精神面へ大きな影響を及ぼすことが心配されることが「脱デジタル化」の理由だと言われています。

時代の流れとは言え、学校教育の「デジタル化」を無条件に推進することは考えないといけないなと思いました。「教育のデジタル化」の効果と弊害を見極めながら、慎重に進めるべきだなと改めて思いました。子どもたちが健やかに育つためには…、これからの社会を生きぬいていくための力(生きて働く学力やコミュニケーション力等)を確実に育てるためには…、やはり「不易」と「流行」を見極めながら、それらのバランスのとれた教育が必要なのだろうと思います。「便利で効率的、個別最適な学び」=「流行」を取り入れながらも、「見る力・聞く力・読む力・書く力・話す力」=「不易」の部分を地道に丁寧に育てていくことを忘れないことが大事だと思っています。

 

例えば、今、6年生が「戦争学習」のまとめとして、一人ひとりが「平和新聞」を作っています。机の上には、県立平和祈念館を見学した時の「メモ」とタブレットPCの両方を置いて、自分だけの「平和新聞」を手書きで仕上げていきます。

 

 

 

 

最近、タブレットPCを活用して「調べ学習」をし、それをまとめて「新聞・レポート」を作るという風景がよく見られます。ネットからは「知りたい情報」がピンポイントで引っ張り出せるので本当に速くて便利ですが、それらの情報をそのまま「書き写す」だけで、「新聞・レポート」ができたつもりでいる子どもたちも多いです。要するに「よく意味が分からなくても、何となくテーマに即した『情報』で紙面が埋まる」ことで、できた気になって満足してしまうのです。これでは、いわゆる「コピペ(CopyPaste)の詰め合わせ」を作っただけで、子どもたちには何の力もついていません。

しかし、本校の6年生の様子を見ていると、基本的には、びっしり書き込まれた「自分の見学メモ」を基に、大事なことを抜き出し、見出しに合った「記事」を書き、その「記事」を確かめたり、情報を付け足したりするためにネットで調べている…そんな使い方です。「コピペ」ではなく、「自分の言葉」で綴っているのがすごくいいなあと感心しました。「見る・聞く・読む・書く・話す」の『不易』の力が基盤になって、それを補足(補強)するために「デジタル」=『流行』を活用する…とてもバランスがいい学習だなと思います。

 

「平和新聞」づくりとは別に、「卒業文集」づくりに取り組んでいる子たちもいました。

 


こちらは、原稿用紙に下書きした作文を、タブレットPCのワープロに入力していき、清書(仕上げ)としていきます。原稿用紙の方には、何回も書き直した跡や、担任の先生の添削(赤ペン)がたくさん入っていて、いかにも「ここまで苦労して書き上げてきた…」という感じがしました。それぞれの原稿用紙の試行錯誤を確認しながら、活字(ワープロ)に清書していくという作業です。この学習も基本は『不易』の学びを基本にしながら、最後に「見栄えよくきれいに仕上げる」というところは「デジタル」=『流行』を活用するという感じです。子どもによってはどうしても「書字が苦手」という子もいますから、文集の仕上げをワープロでするというのは、それぞれの子どもたちの実態に合わせた「合理的配慮」でもあります。

また、「作文」が苦手な子たちが、タブレットPCの文章を友達に見せながら、「なあ、ここんところどういうふうに書いたらいいかな…。」と相談している姿もあり、こんなところも今の6年生の素敵な姿の一つで私(校長)は大好きです。こういう「交流」の場面には、タブレットPCは持ち運びが手軽でとても便利です。こんな使い方ができるのは「デジタル」=『流行』ならではです。

 今回の「平和新聞」づくりや「卒業文集」の取組(学習)は、担任の先生たちが「子どもたちにとって、真に『価値ある学習』になるように…。」と、よくよく考えて、取り組んでくれたものだと思います。卒業を目の前に、本当にいい学習ができているなと嬉しくなりました。


14:23
2025/02/14

「6送会の練習が始まりました」

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私(校長)は、毎朝、昇降口の子どもたちの上靴を整頓してから子どもたちの登校を迎えるのですが、その「靴の整頓に要する時間」がずいぶんと短くなっていることに最近気づきました。1年前は、全校分整頓するのに20分くらいかかっていたと思うのですが、今朝時間を計ってみると、なんと「8分」でした。整頓するのが手際よくなった部分もあると思いますが、整頓時間が短縮した一番の理由は、「整頓しなくても(触らなくても)いい靴」が増えたということだと思います。

 


高学年の靴は、安定して「きれいに整う」ようになりました。ほとんど整頓し直す必要がありません。他の学年も「きちんと靴を整えられる子」がうんと増えました。本当にうれしいことです。毎日毎日ひたすら整え続けてきた甲斐があったなと思えます。「きちんと整えなさい!」と言う指導でなくても、「きちんと整っている風景」を当たり前にすれば、時間はかかっても少しずつ少しずつ子どもたちの「心が整ってくる」…それが「涵養(かんよう)」であり、「心の内」に響く教育だと思っています。

 

さて、学校では、2月28日(金)に行われる「6年生を送る会」の練習が始まっています。6年生の卒業をお祝いする気持ちと、今までお世話になったことへの感謝の気持ちを込めて、6年生に喜んでもらえるように学年ごとに発表をします。

また、この学年発表は、各学年の「一年間の成長」を表現するための「まとめの発表」でもあるので、保護者の皆様にも子どもたちの成長を感じていただきたく「行事参観日」として設定しています。

今日の午前中、体育館を覗きに行くと、低学年が体育館練習を始めていました。


 

発表内容を詳細に書くと「ネタバレ」になってしまうので、あまり詳しく書きませんが、写真から大いに想像を広げてくださればと思います。1年生の練習を見ていると、「自分たちが一番好きなことを、一番自信のあることを、6年生に見てほしい!」という気持ちが伝わってきます。1年生は「ダンス」が大好きなんです。やっぱりそれを見てほしいと思っているのです。みんな本当にいい笑顔で楽しく踊れます。1年生が一番輝ける発表だと私(校長)は思っています。

要所要所に「ダンス」を散りばめながら、楽しい劇を発表してくれます。まだまだ「声を出す(セリフ)」ことについては「不完全燃焼…」みたいな部分がありますが、これからの練習で完成度を上げていってくれるでしょう。


 

2年生も「呼びかけ」の練習や、発表の中で披露する「組体操」の練習を始めました。2年生の子どもたちは、「組体操がしたくてたまらない!」って感じで、とても意欲的に練習に取り組んでいました。やはり6年生(高学年)に対する「あこがれ」の気持ちが強いのだと感じました。運動会で見たあの「組体操」…2年生の脳裏にしっかりと焼き付き、「自分たちも早く、あんなことができるようになりたい!」という気持ちがあふれている気がしました。全校でやる行事の「値打ち(価値)」はここにあるのだと確信しています。下の学年が上の学年に「あこがれ」や「目標」を見出してこそ、子どもたち自身に高みを目指すエネルギーが沸き起こり、それが延々と繰り返される中で「校風」や「学校文化」が醸成されていきます。本校が「体験と関わり」を教育の柱に据え、「学校行事」を大切にしている理由がここにあります。

どうやら、6年生送る会には「先生たちの発表」もあるようです。「ただでさえ忙しいのに、放課後に発表の練習をするなんて、働き方改革に逆行している!」、「先生たちの発表があると、肝心の子どもたちの発表が薄れて本末転倒だ!」

外からはいろんなご意見を頂戴しますし、「確かにそうだな…。」と思ったりしますが、それでもやっぱり「北小の先生たち」はやってしまうのです。この北小は「先生たちの一生懸命(本気)」と「子どもたちの一生懸命(本気)」が響き合って、高まっていく学校だと思っているからです。

運動会と同じように、どの子にとっても満足感と達成感にあふれる「6年生を送る会」になりますように…。日々、子どもたちを見守っていきます。



15:31
2025/02/13

「正直、悩んでしまいます~令和における図工の指導~」

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今日は、朝からとんでもない天気になりました。台風並みの強風と横殴りの雨が子どもたちに襲いかかりました。ほとんどの子どもたちがずぶぬれになって登校してきました。校門は「子どもたちの通り道」であるとともに、「風の通り道」です。すさまじい強風にさらされます。今朝は「おはようございます。」をいう間もなく、「校門の近くで傘を閉じて!さもないと傘がぶっ壊れるから。」と声をかけ続けました。かわいそうに何人もの子の傘がぶっ壊れました。一緒に立っていてくれるH先生の傘は早々とぶっ壊れ、ずぶぬれになりながら安全立哨をしていてくれました。

昇降口の中であいさつ運動をしていてくれるベテランK先生と中堅K先生に、「至急、各教室のストーブをつけて回って!子どもたちが風邪をひいてしまうから!」と頼むと、二人ともさっと動いてすべての教室のストーブをつけて回ってくれました。北小の先生たちは、みんなこんな先生たちです。子どもたちを大事に思い、どんどん動いてくれます。いつもいつも感謝、感謝です。

さて、話は変わりますが、3学期の図工と言えば、どの学年でも「版画」に取り組みます。「版画」には、「版をつくる」ことと「版を写す」ことの2つの活動があります。つまり「彫る・貼る」ことと「刷る」ことを楽しむのがメインですから、絵柄(図柄)自体にそこまでオリジナリティは求めていません。だから絵本や百人一首、写真なんかを「模写」したり「トレース(写す)」したりすることもあります。ここで活躍するのが令和の学校の必須アイテム「タブレット端末」です。図鑑や写真をネットから引っ張り出したり、自画像をカメラで撮ったりして、それを見ながら絵柄(図柄)を描くことができます。



これは、4年生の作品ですが、「モチモチの木」や「花さき山」の絵本の世界を、上手に版画にしました。白黒版画は黒:白の割合が、6:4~7:3くらいが一番バランスよく、美しく落ち着いて見えます。初めて彫刻刀を使い、それぞれの彫刻刀の彫の特徴を感じながら、丁寧に仕上げた作品です。とても素敵な作品に仕上がっています。

 

5年生も今「木版画」に取り組んでいます。テーマは「○○している自分」でしょうか。○○している自分をタブレットで写真に撮り、それを見ながら版の絵柄を描いたようです。いわば「写真を写す」という作業になりますが、版画の場合は、線を単純化(簡略化)する必要があるので、写真の中の「どの線を活かすのか」を考えながら絵柄を完成させます。彫刻刀で彫るのは2回目(2年目)ですので、顔や腕の丸みや、服の質感なんかが出るように、彫り方や彫る方向に気をつけて彫り進めていきます。




気をつけなければならないのは、「写真を撮る」ことで絵柄を決めるということになると、どうしても「画面にこれも入れよう、あれも入れよう。」と欲張ったり、「体全体を入れこもう」としたりして、結局、被写体(主役の自分)が小さくなってしまうこと。自分が小さくなるほど、彫りにくくなります。顔の表情や腕、指先が大きく描けるように、画角を考えたり、トリミングをしたりしなければなりません。「写真」ではなく、「実物」を見ながら描くと、描きたいところが勝手にデフォルメ(強調・誇張)され、自然と「絵の主役」が大きく、はっきりと描かれるのですが、「写真を写す」という描き方ではそうはなりません。どうしても「説明的な絵」になり、作者の「思いや感情」は絵の中に入ってこなくなります。

 

私(校長)は、正直悩みます。今はマストアイテムとなったタブレット端末を活用した「写真を写す」というような絵の描き方、つまり「2次元→2次元」の描き方は、果たして学校教育としての「図画(絵を描く)」として成立するのか…。昔のように「図工」の時間はたくさんとれませんし、少ない時間で効率的に「絵を描く」と言う意味では効果絶大です。絵の上手い下手に関わらず、そこそこの絵が描けて、どの子も「描くことが楽しくなる(苦でなくなる)」という効果もあるかもしれません。




確かにタブレットを使うと、詳しく描きたいところは大きく画面をズームして、しっかり見て描けますし、中学年くらいだと写実的に描こうと思っても、子どもらしくあちこちデフォルメされますから、それなりに楽しい絵になっています。何よりも、子どもたちが自信をもって描き進めている感じがします。そんな子どもたちの様子を見ていると、令和の図工には、「タブレット写生」もありかな…と思ったりします。

しかしやっぱり「2次元→2次元」で描く絵と、実物を見て描く「3次元→2次元」の描き方では、根本が違う気がしてなりません。「3次元の世界」を無理やり「2次元の画用紙」に押し込むという作業があって初めて、子どもたちの「感動や感性」を絵の中に入れ込めるような気がします。子どもの絵ならではの、「ゆがみ」や「誇張」、いい意味での「いい加減さ」こそが、子どもの絵の値打ちのような気がして…。正直、明確な結論が出ないままもやもやしている私がいます。


14:20
2025/02/12

中学生”が身近に感じられた日~生徒会による学校説明会~

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今朝の校門の「あいさつ運動」、はとても賑やかな風景になりました。いつもお世話になっている黄色いジャンパー「建部地区主任児童委員」の南川さんと澤さんに加え、今日はなんと聖徳中学校の新生徒会役員(現1,2年生)がのぼり旗をもって「あいさつ運動」に参加してくれました。さらに、いつもは昇降口の中で行っている6年生による「あいさつ運動」を今朝は校門で行ったので、校門周囲は結構な人数になり、賑やかな朝の風景になりました。

校門に立ってくれた聖徳中学校生徒会役員のみなさんは、いずれも本校の卒業生です。中1の生徒さんは私(校長)もよく知っています。先日も聖徳中学校に授業参観にお邪魔した時も、とても意欲的で、積極的に発表していた姿を見て、とても嬉しく、とても誇らしく思っていました。小学生だと、よく知っている関係になると、会話はだんだんフランクなもの(ため口)になっていきますが、さすが中学生は違います。礼儀正しくすべきところは、きちんとメリハリつけて、敬語で話したりしてくれます。小学校の時と比べて、もちろん体は大きく成長していますが、体格の成長よりも「きりっとした凛々しい表情」に体以上の「心(精神)の成長」を感じさせられます。

本校の子どもたちも、いつもと違う校門の風景に戸惑いながらも、中学生の「凛とした姿」や「すごく大人っぽくなった先輩の姿」に大いに心が動いたようでした。


午後、5校時には北小出身の生徒会執行部5名が6年生を対象に「聖中入学説明会」を開いてくれました。せっかく聖中生が来てくれるので、玄関で迎えなきゃと思っていたのですが、急に別の用事が入って迎えられず、玄関に戻ってきた時は、すでに中学生の靴がきれいに並んでいました。その靴を見ただけで、来てくれた聖中生がどんな生徒さんなのかよく分かりました。

4月に入学する6年生が、不安なく、楽しみな気持ちで入学を迎えられるようにと、中学校での学習(授業)や行事、また部活動などについての説明が書いてある「入学のしおり」まで用意してくれ、パワーポイントを使って分かりやすく話してくれました。

 

説明会の後半には、わざわざ6年生からの質問も受け付けてくれたのですが…。こちら側はあまり意味のある質問もできず、「せっかくの機会なのに…」と少し残念に思いました。もっと授業や定期テストのこと、部活動や進路、日頃大事にしないといけない意識(心得)などについて聞ければよかったと思うのですが…。

それにしても本校の卒業生は、立派な中学生に育っていてくれました。おかげで今日、6年生の子どもたちは、少しだけ先の未来の「自分のイメージ」、「自分の目標」みたいなものが見えたと思います。先生たちではなく、中学生自身がアクションを起こしてくれることで、子どもたちにとってはより「自分ごと」として伝わるんだなと強く感じました。聖徳中学校生徒会の皆さん、本当にありがとうございました。

最後に、入学説明会とは直接関係ないのですが、私(校長)は、今日の「入学説明会のしおり」の表紙のデザインに度肝を抜かれました。誰がデザインしてくれたのか分かりませんが、すごすぎます。今のままでも十分仕事にできそうなセンスだなと、本当に感心しました。隅から隅まで見たくなっちゃいます。






20:24
2025/02/10

「福祉学習のめざすところ」

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子どもたちには申し訳ないのですが…。「今年は雪が降らなくて助かる~。」と安心していたところ、先週の金曜日の夜から、強い寒波に襲われ、特に土日は大変な雪に見舞われ、積雪も結構ありました。長浜の方はもちろん、愛荘町(秦荘)あたりでもたくさん積雪があり、「休校措置」がとられるほどでした。今日は、天気の心配はいりませんでしたが、積もった雪のせいで、子どもたちの登校や、学校での雪かき等、心配になることもありました。

学校に来ると、すでに何人かの先生が雪かきを始めていてくれました。こういう時は、わざわざ先生たちに「非常事態ですから、朝早く出勤し、雪かきをしてください。」と職務命令みたいなものを出さなくても、家庭事情の許す先生たちは、いつもより早く出勤してくれて、授業の準備もあるだろうに、「雪かき」を優先してくれます。本当にありがたいなと思いますし、これが「北小のよさ」、「北小の強み」の一つだと思っています。

 

さて、今日は4年生が、社会福祉協議会の皆さんと、講師の呉本さんを招いて「福祉学習」に取り組み、聴覚障がいについて学び、手話等の体験をしました。耳が聞こえない(聞こえにくい)方は、生活の中でどんなことに困り、どんなふうにコミュニケーションをとるのか等について体験談を伺ったり、手話について教えてもらったりしました。呉本さんのお話で印象的だったのは、「昔は(呉本さんが小学1年生の時)、聾学校では、『手話』を使うのは禁じられ、『口話(=相手の口の動きで、話の内容を読み取る)』でコミュニケーションが取れるように教えられた。」ということでした。生活の中で困らないようにという教育だったと思いますが、私(校長)は、「それって、聴覚に障がいを持っている側が、努力してコミュニケーションを成立させる。」って考え方なんだなと思いました。一方「手話」は、障がいの有無にかかわらず、双方向で行えるコミュニケーションだから、やっぱりみんなが「手話」で話せることが理想なんだと思います。

 

 

 

呉本さんは、「口話」の難しさを「くるま・うま・くま」を例に出して説明してくださいました。この3つの言葉は、「音」は違いますが、「口の形(動き)」は同じになります。また、ボタンを押すと、機械が「振動」や「フラッシュ(光)」で知らせてくれる「玄関チャイム」も紹介し、実際に使用体験させていただきました。

本校では、学年をまたがって、系統的に福祉学習を進めています。3年生では「視覚障がい」について学び、アイマスク体験や点字体験を行います。4年生では「聴覚障がい」について、5年生では「肢体(身体)不自由」について学び車椅子体験をします。そして、来年度からは6年生が「高齢者福祉」や「認知症」等について学び、4年間かけて「福祉」について幅広く学ぶ教育課程にしています。

 

福祉とは「みんなの幸せということ」であって、「みんなちがっても、みんな同じ大切ないのち」というとらえ方が原点です。「福」・「祉」というそれぞれの言葉は、どちらも「さいわい(福い・祉い)」と読めて、どちらにも「幸せ」という意味が込められています。私(校長)の勝手なイメージかもしれませんが、これまでの福祉では、「福祉=高齢や障がいなどにより、生活に課題を抱えた人のもの」と捉えられ、社会的に“困っている人”や“かわいそうな人”だから、お手伝いを「してあげる存在」なのだと考えられがちだったような気がします。

しかし、現在は「地域に住むすべての人が幸せに暮らすためにはどうしたらいいのかを考え、それぞれ行動していくこと」が「福祉」と考えられています。地域には、いろいろな人が暮らしています。一人ひとりが尊重され、支え合いながら、それぞれ自分らしい暮らしを実現していくことが「ウェルビーイング」の構築につながります。

そのために学校では、子どもたちが「自分の大切さとともに他人の大切さを認めること」ができるようになること、共生社会での「生きる」あり方について考えることを真ん中に据えながら福祉学習を進めていきます。地域に暮らす障がいのある人や高齢者を含め、さまざまな人と関わり、体験的に学ぶことを通して、多様な生き方にふれ、命の大切さや思いやりの心、相手を理解しようとする豊かな心を育んでいけたらと考えています。


16:37
2025/02/07

「戦争の記憶~6年生最後の校外学習~」

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今日は、6年生の小学校生活最後の校外学習であり、最後の「おでかけ思い出づくり」の日でした。

出発式では、司会のMYさんが、「今日が最後だと思うと、楽しみな気持ちが半分、淋しい気持ちが半分。ぼくは今、とても複雑な気持ちです。…(中略)…しっかり学んで、しっかり楽しむ、そんな一日にしましょう。」と、最後にふさわしいしっかりとした挨拶をしてくれました。その後の学級代表挨拶したMSさん、KHさんの気持ちのこもった挨拶も最後の校外学習にふさわしい立派な姿でした。

午前中は県立平和祈念館で「滋賀県・八日市の十五年戦争(太平洋戦争)」を学びました。授業で学んだのは、「日本という国としての戦争」でしたが、今日は、滋賀県や八日市の当時の様子を中心に、いろんな実物資料や映像などで学びました。実際使われていた「軍服」を着たり、「鉄帽」と呼ばれた兵隊のヘルメットをかぶらせてもらったり、「本物の戦争」に触れさせてもらうことで、よりストレートに「戦争の実際」が心に入ってきます。今は、「戦争の傷跡」などほとんど見られなくなった八日市ですが、80年前には自分たちの身近なところで、たくさんの命が奪われる戦争の実態があったことを学んで、少し「自分ごと」として戦争を捉えられたようです。



 

資料展示室で、子どもたちが見学している様子を写真に撮っていると、いつも笑顔を絶やさない明るいTKさんが、「校長先生撮って~!」と言って、ピースサインをしましたが、なぜかすぐに手を下ろし、少しばつの悪そうな顔をして、「こんなところで、ピースはあかんよな…。」とつぶやきました。たくさんの命が奪われた「戦争」の資料館では、してはいけない「不謹慎なこと」だと考えたのだと思います。そう考えたTKさんをとても素敵な子だなと思いました。その後すぐに私(校長)が「TKさん、ピースでいいんちがう?だってピースってPEACE(平和)なんだから…平和を願ってることになるんだから、むしろふさわしいんじゃない。」と言うと、もとの素敵な笑顔で「そっか~。」と言いながらピースサインをしてくれました。私にとって、思い出に残るTKさんとのやりとりになりました。

午後は、安土に移動して、安土城考古博物館と信長の館の見学をしました。戦国時代、天下統一を目の前に、本能寺の変でその生涯を終えた織田信長。信長が実現したかった国、信長らしい奇想天外な考え方…貴重な資料や映像などでたっぷりと学ぶことができました。特に、信長の館で、再現された安土城天守は、まさに「豪華絢爛」で、信長の力と名声を強く、強く感じる機会となりました。


 

担任の先生の話によると、いつも大人しいNSさんが、「本能寺の変がなかったら、今頃安土やその周りはめっちゃ栄えて、都会になっていたはずなのに…。なにしてくれんね!明智め!」と興奮気味につぶやいたらしいです。その話を聞いて、その発想と言うか、NSさんならではの歴史のとらえ方がとても面白くて、楽しい気持ちになりました。「奈良時代に、疫病が蔓延しなかったら、最初の予定通り信楽(紫香楽)に大仏が立っていたはず。そしたら今頃滋賀県は鹿だらけになっていたかもしれない…。」と、昔担任していた子どもがつぶやいていたことを思い出しました。

 

今日は他にも、貴重な縄文土器や弥生土器を触らせてもらったり、「きりもみ式」の火起こしを体験させてもらったりして、本当に充実した校外学習になりました。出発式の挨拶通り、「しっかり学んで、しっかり楽しめた」素敵な一日なりました。楽しかった思い出と同時に、平和祈念館の見学のまとめに出てきた「戦争の記憶が遠ざかる時、戦争がまた私たちに近づく…」という言葉をしっかりと心に刻んで、残り少ない小学校生活をしっかりと、そして楽しく過ごしてほしいと思います。


18:51
2025/02/06

「心にタネをまき、育てたい~4年生もりのこ学習ファイナル~」

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昨日、今日ととても寒い日が続いています。朝、校門に立っていると、鼻水は出まくるし、耳はちぎれそうになります。寒いのがとても嫌いな私(校長)です。でも寒い朝は空気が澄んでいて、遠くの景色がとてもきれいに見えるので、「冬の朝もいいな…。」と時々思います。今日も、伊吹山がなんとも鮮やかに美しく輝いていたので、しばし見とれていました。

子どもたちの登校を「あいさつ」で迎えていると、ある女の子が、「校長先生、さっき玄関のところでムクドリを見ました。」と報告してくれました。春や夏の「生きものが活発な季節」には、やれダンゴムシだの、カナヘビだの、たくさんの子どもたちが「生きもの」について話しかけてくれるのですが、冬になるとほとんどそんな会話はなくなります。それだけに「ムクドリを見ました。」という言葉は、とても新鮮な気持ちがしましたし、「そうなんや。ムクドリってちょっと大きい鳥やん。」と言うと、「体長24cmくらいです。」と即答してくれたことにちょっと感動すら覚えました。ちなみに、ムクドリは、スズメとかに比べると大柄で、黒や茶色の体色に白がちょこちょこ混じります。見分けるポイントは「くちばしと足がオレンジ色(黄色)」なところです。

さて、今日は4年生の「もりのこ学習」の最終日でした。昨年5/15の「春のもり探検」に始まり、6/27「水辺調査」、10/9「秋の森探検」、10/30「竹細工」、11/29「やまのこ森林学習」、12/11「焚火」、12/12「もりのこ学習発表会」、そして今日2/6「冬の森探検」の年間7回の「もりのこ学習」展開してきました。

今日、冬枯れの森に入った子どもたち。どんぐりの木などの落葉樹はすべての葉を落とし、いかにも寒々しく眠っているような森の風景でしたが、「ミクロの目」で細かくよーく見ていくと、そこには「目立たないけど力強い生命の営み」や「直向きに春の訪れを待つ、忍耐強い春への準備」の姿が垣間見えてきました。

落ちているどんぐりをよく見てみると、頭から「根」を出し、地面に突き刺すように、地中に根を伸ばしている様子が見られました。水辺には魚やサワガニなどの生きものはすっかり息をひそめてしまいましたが、石をひっくり返すと、カゲロウやカワゲラの幼虫であるカワムシやトンボのヤゴたちがが、元気に動いていました。



 

私(校長)が個人的に感動したのは、高校生の時以来、実に43年ぶりに「プラナリア(ナミウズムシ)」を見られたことでした。子どもたちは小さなヒルのような水生昆虫に、さほど興味が湧かなかったようですが、私が「なあ、知ってる?この『プラナリア』ってやつは、体を真ん中でちょん切ると、頭の方からはしっぽが生えて、しっぽの方からは頭ができてきて、2匹に増えるんやで。」と説明してあげると、「なんなんそれ!残ってるしっぽから頭が出てくるって、どういう生きもの?」と驚きのリアクション。自分たちが見つけた小さな「発見」は、少し知識が足されるだけで大きな「びっくり(驚き、感動)」に変わります。ここで「心が動く」わけです。

今日の冬探検は「生きもの」見つけだけではありません。せっかく出てきた「小さな芽」がしっかり育つように、上にかぶった枯れ葉をかいて、お日様があたるようにしてあげました。また、冬の自然の「芸術作品」のような、きれいででっかいメガ級の「霜柱」を見つけたりできました。


 

今年度最後の「もりのこ学習」にふさわしく、子どもたちにとってたくさんの発見がありました。でも、この「もりのこ学習」が「発見」と「驚き・感動」だけで終わっていては、本当に「値打ちのある学習」にはなりえません。「発見」→「驚き・感動」…その次に「なぜ?(疑問)」が生まれないと、そのあとの「探求」にまで続かないのです。「発見」→「驚き・感動」→「なぜ?(疑問)」→「探求(調べる)」→「比較・検討」→「まとめる」→「表現する」→「新たな疑問や関心」…のサイクルを繰り返すことで、子どもたちに「これからの社会を生き抜く生きる力」としての「課題設定力」や「問題解決力」を育てていくのが学校の仕事です。

今日、少し嬉しかったのは、ちゃんと「地図」を見て、現在地を確認しながら森の中を散策する子どもたちが少しいてくれたことです。残念ながら、ほとんどの子は、「地図」が読めません。正確に言うと「地図」を見ようとしません。自ら「地図」が読めなくても、「大人に聞く」と言う方法と、「みんなについていく」という他力本願力?で、なんとなく行動(森を散策)していきます。そんな子どもたちの姿には、やはり少し「危機感」を覚えてしまいます。これも「便利すぎる世の中」の代償かもしれません。

河辺いきものの森の展示コーナーには、こんな言葉が書かれていました。

「心にタネをまき、育てたい…森に入ると土の感触や風の音、花の匂いに心が躍る。子どもたちは森での発見、驚き、チャレンジを通して喜びや楽しさを感じています。このような心の動く体験が、豊かな心や自然を大切にする心を育んでくれると確信しています。」

河辺いきものの森の指導員やスタッフの皆さんの全面バックアップにより、豊かな自然の中で、心が躍る豊かな体験=「発見」→「感動」をさせていただいています。この「心が動く体験」をもとに、それを「頭が動く体験」=「疑問・課題意識」→「探求」→「表現」につなげていくのが学校教育の使命です。この「探求的学習」こそが、「総合的な学習の時間」のねらいです。


16:25
2025/02/05

大きな表彰状をいただきました!~善行少年表彰&絵画コンクール表彰~

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去年の7月頃の話になりますが、5年生の学級通信の中に、

『5人の英雄、ありがとう。』という記事が載っていて…<以下、学級通信から引用>

 

「7月2日の下校後、堺町や外町方面の通学路に、たばこやお菓子のごみなどが散乱していたということがありました。それを見た5年生の5名の英雄(NSさん、MMさん、NYさん、KMさん、SKさん)は、見て見ぬふりをせず、自分たちにできることを考えました。その中の1人がカバンに袋を入れていることを思い出し、その袋を使って5人で道に散らばったごみを拾ってくれました。その中には、どうしてもそのごみに触れるのが嫌だけど、自分も何かしたい!という思いで、最後にごみを持って帰ってくれた子もいたようです。この話を聞いて、本当にすごい人たちだと思いました。私自身が、これまでの自分の行動を考えさせられた部分もありました。ごみが落ちている状況がよくないと思う人はたくさんいると思いますが、実際に自分たちでできることを探し、行動に移すことができる人は少ないと思います。NSさんは、教室でもごみを拾っていると、一緒に拾ってくれます。今回の5人以外にも、学級には気づいた時に自分ができることをやろうとする人がいます。「友だちから学ぶ」ことができるのも、学校のよさのひとつだと改めて感じました。」

 

この5人の善行を市の善行少年表彰に推薦していたところ、この度表彰を受ける運びとなりました。(本校は、昨年度のSNさん&SRさんの受賞に続き、2年連続の受賞となりました。)

昨日の昼休みに、教育委員会の福井次長と東近江少年センターの藤村先生が来てくださって、校長室で5人の子どもたちに表彰状を授与してくださいました。

もちろん、道端に落ちているゴミなどにむやみに触れることは、感染症等のリスクもあり、学校としても慎重に指導すべきところですが、今回はこの5人の気持ちと行動力を大いに誉めてあげたいと思います。5人の皆さん、受賞おめでとうございます。

 

実はでっかい表彰状はこれだけでなくて、去年の夏休みの作品募集「土砂災害に関する絵画コンクール」において、本校4年生のNKさんが、最優秀賞(滋賀県知事賞 県で2点)に次ぐ、優秀賞(滋賀県河港・砂防協会長賞 県で2点)に入賞しました。これまた、なかなかお目にかかれない立派な表彰状です。せっかくなので校長室で特別表彰式を行いました。

担任の先生に、きちんと理由を言わずに、「NKさんに、校長室に来るように伝えてくれる?」と気軽に頼んだだけなので、「えっ?なんで校長室に呼び出されるんやろう…。別に叱られるようなことしてないけど…。」みたいに、とても不安そうな表情で、恐る恐る校長室にやってきたNKさんでしたが、「君はすごい賞を取ったんやで!その表彰をするために来てもらったんやで。」と言うと、ほっとしたようにニコッと笑顔を見せてくれました。NKさんには、不要な「心配」をさせてしまって申し訳なかったです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、なかなか獲れない大きな賞を見事にゲットしてくれました。すごいぞ!北小っ子!NKさん、本当におめでとうございました。

これからは、「校長室に来てください。」というお知らせは、「とても幸せなお知らせなんだ。」と子どもたちが思ってくれるよう、校長室のイメージをどんどん変えていかなきゃ…と改めて反省しました。


12:47
2025/02/04

「これが凧揚げですよ!~1年生大凧チャレンジ~」

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1月23日(木)に大凧会館の鳥居館長に来ていただいて、1年生が凧づくり&凧揚げに挑戦しました。あまり経験がないとはいえ、少しだけ糸を出して、風向きに関係なく、縦横無尽に走り回る子どもたちを見て、「これが凧揚げだと思われては困る…。何とか子どもたちに凧揚げの醍醐味を味わわせたい。風の大きな力を感じさせてあげたい。」と考えて、思いついた「巨大ぐにゃ凧づくり」でした。


 凧の生地にしたのは、90ℓの透明なゴミ袋。これを切り開いて、貼り合わせて縦180㎝×横240㎝のシートを作って、これに凧の骨となる100均の園芸ポール(180㎝)を2本貼り付けます。この凧の設計図はとても簡単で、12マスの方眼に図のように線を入れるだけでOKです。凧のシートの周囲を透明ガムテープで補強して、凧の本体は出来上がり。この後は1年生に仕事を任せます。

 

子どもたちの仕事は「お絵描き」です。巨大ぐにゃ凧に好きな絵を描きます。透明のシートですから凧が空高く揚がっても、絵がちゃんと見えます。楽しい絵をたくさんたくさん描いてくれました。

「校長先生、凧ができました~!」と子どもたちが大きな凧を担ぎ上げて、校長室まで持ってきてくれました。写真を見ると凧の大きさがよく分かります。180㎝×240センチの凧は、子どもたちにとってまさに「巨大」です。

昨日、2月3日(月)昼休み。風は少し弱かったのですが、「一気に凧を引き揚げれば上空の風はつかめるはず…。」ここは私(校長)の経験則で「凧揚げ実施」を決定。1年生は「全員、運動場集合!」です。


真冬なのに、昨日はなぜか「南西の風」…。奥の砂場の方から、上運動場の雲梯をめがけて、みんなで一斉に走り出しました。すると凧は、一気に空に舞い上がり、すごい力でロープを空の方に引っ張っていきます。

「わ~っ!めっちゃ高く揚がった!すごいすごい!」…子どもたちの歓声が響きます。「凧も見ずに、縦横無尽に走り回る」だけの凧揚げではなく、「しっかりと揚がった凧を見ながら、凧と綱引きを楽しむ」…これぞ凧揚げの醍醐味です。これだけ大きな凧になると、引っ張る力は半端ではありません。細い凧糸では太刀打ちできないので、丈夫なロープを使います。太いロープを使うことで子どもたちの指の安全も確保します。子どもたちは班ごとに、凧揚げをしながら風の強さを体感しました。その様子は、本当に「大凧との綱引き」のようでした。


 

園時代から、「五感」をフルに使って、自然の中で遊びこんできた子どもたちです。そんな「豊かな体験」を小学校でも、できるだけ味わわせてやりたいと思います。担任の先生たちは、本当に忙しくしているので、こんな「遊び」は暇な私(校長)が引き受けるのが一番です。というか、「こういう遊びのための『甲斐性』は、どの先生にも負けないぞ!」という、昭和世代の意地に過ぎないのかもしれません…。1年生に喜んでもらえて、本当に良かったです。


12:53
2025/02/03

「60歳…12歳に敗れる~6年算数 おおよその面積~」

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 毎年、全国学力・学習状況調査や、学校の「学校アンケート(児童対象)」の質問に、「算数の学習はよく分かりますか。」や「算数の学習は楽しいですか。」というのが必ずあります。そして、その調査結果を見ると、「算数が分かる」という回答に比べて、「算数が楽しい」と回答する数(割合)が少ないことが課題として挙げられます。極端に言えば「算数は分かるけど、別に楽しくない」と思っている子どもが多いということです。


それは、なぜか…?まあ私(校長)のように「算数(数学)に芸術的な美しさを感じる」と思う変わり者は別として、多くの場合は、子どもたちの意識の中で「算数で学習していることと、日常にある事象がつながっていない」ことが原因じゃないかなと私(校長)は思っています。つまり、算数が日常生活の事象や課題(疑問)に役立っている…生かされているという実感がないのではないかと…。




高学年の算数を「算数専科教員」として担当しているF先生の授業を見ていると、いつも2つのことをねらいにしているんだなと感じます。ひとつは前述したとおり、「算数の世界と日常の世界をつなげる」ことを大事にして、子どもたちが自ら課題(探求)意識をもって、自分たちで「自走」するような授業をめざしていること。ふたつ目は、「筋道を立てて説明する力(論理的思考)」や「多角的に考える力」を育てるために、自分の考えだけでなく、「人の考え」を説明させること(Aさんの解答を、Bさんに説明させること)を大事にしていること。明確なねらいをもって、日々教材研究と授業改善に努める姿に頭が下がります。




今、学校では、一昔前の「先生の説明をよく聞いて、知識を理解し、やり方を学び、正しい答えを導き出す」というような授業ではなく、「自らの課題意識をもって、今まで学んだ知識や方法を駆使しながら、自分自身の答えを導き出し、また他者の考えも理解・比較しながら、さらに多様・多角的に解決策を模索していく。」…そんな授業スタイルをめざしながら授業改善に取り組んでいます。





さて、今日の6年生の算数では、今まで学んだ「面積の求め方」を活かして、実際にある「びわ湖の面積」や「都道府県の面積」を求めるという授業でした。方眼(1マス5km)に描かれたびわ湖のおおよその面積を求めるために子どもたちはいろんな方法を考えます。

びわ湖の面積は約670㎢です。そんなことネットでちょっと調べれば分かることなのですが、「それを今までに学んだ知識と技能だけで求めることができるのか…」という挑戦です。「算数」と「日常」をつなぐ典型的な課題です。子どもたちの解答(考え)は、タブレット端末を介して、リアルタイムで前のモニターで閲覧できます。(いわゆるICTの活用です。)


考え方は大きく2つあって、手間はかかっても「マス目」の数を数えて、「マス目の数×1マスの面積(5×5㎢)」で面積を導き出す方法と、びわ湖の形を自分たちが知っている多角形に見立てて、その多角形の面積を求めることでびわ湖の面積を出そうとする考え方。



しかし、子どもたちは気がついていきます。「今はマス目があるから数えられるけど、琵琶湖が白紙(無地)に描かれていたら数えられない…。」ってことを。現実的には、「何かの多角形に見立てる」という方法がいいということに落ち着いていきます。


実際、「びわ湖の形」は単純ではありませんから、多角形に見立てても「はみだす部分」と「欠ける部分」がでてきます。「このはみだしでここの足らん部分を埋めて…。」などと、折り合いを考えながら、思い切って「えい!やぁー」と簡単な図形に見立てて、その図形の面積を「びわ湖の面積」の近似値として自分の結論を導き出すわけです。


写真の場合は、思い切って「直角三角形」に見立てました。底辺は11マス分で55km、高さは5マス分で25km、つまり面積は55×25÷2=687.5㎢と予想しました。実際の面積は670㎢ですから、その誤差わずか17.5㎢…。大雑把に見立てても、この誤差…「我ながらなかなかやるやん!」って自分を誉めたくなります。この感覚が子どもたちに不足していた「算数って楽しい」って感覚なんだろうなと感じました。


その後、問題は発展問題と続いていきました。今度は「埼玉県」そして「岐阜県高山市」の面積を求める問題。「埼玉県」は誰が見ても「台形」に見立てられますが、「岐阜県高山市」の形は少々複雑です。


さあ、どうするか・・・。「ここらで実力の違いを見せつけてやろうじゃないか。」と私(校長)もプリントもらって問題に挑戦することにしました。その結果・・・。







高山市の形を2つの「台形」の組み合わせに見立てて、ごちゃごちゃ計算した私(校長)と、大胆に潔く「直角三角形」に見立てて、1~2行ですっきり計算した子どもたち…なんと誤差は子どもたちの方が小さいという結果に…あ~なんてこった…!?


私(校長)が座らせてもらった席のとなりにいたTNさんは、さらっと言いました。「校長先生って60年生きてるんやね。私らの5倍もってことか…。なのに私らの計算の方が正解に近いやん、校長先生に勝ったぁ!」と喜び勇んでいます。真面目にちょっと悔しかったです。せっかく「人生5倍」の実力を見せつけて、尊敬のまなざしで見つめさせようとしたのに…。でも最後につぶやいたTNさんの一言を私(校長)は聞き洩らしませんでした。「あ~、算数って楽しい!」…それを聞いた時、なんともいえず嬉しい気分になりました。結果オーライです。




15:40
2025/01/31

「1月は行く…早くも2月…」

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今日は朝から吹雪いていて、とても寒い朝になりました。

遠い字から歩いてくる1年生のNMさんは、横殴りの雪と寒さのせいで登校の途中泣き出しそうになりました。そんなNMさんの気持ちに寄り添いながら、上級生のTR兄弟のふたりが、NMさんを励ましながらゆっくりなペースで学校に向かってくれたようです。いつもなら8時前には学校に着くはずが、今日は8時を回っても、3人の姿がまだ見えませんでした。心配しながら待っていると、ようやく3人の姿が見えてきました。TR兄弟がNMさんを挟む形で、やさしく連れてきてくれました。

やっとのことで学校に到着したNMさんに、「Mちゃん、よく歩いてこられたな…寒かったやろ。よく歩けたね、えらい、えらい。」と声をかけると、今までぐっとこらえていた涙が一気にあふれて、泣き出してしまいました。「すごく寒くて冷たくて、しんどかったんだね…よくがんばった。もう泣かんでいいよ。」と背中をさすりながら、一緒に校舎に入りました。

集団登下校をしていると、いろんな日があって、時には本当につらくなる日もあると思います。特に遠い字は、途中で雨が降ろうが、雪が降ろうが、最後まで歩いて帰るしかないので、ひたすら耐えて進むしかありません。そんな経験を幾度もしながら、体も心も強くなっていくのだろうと思います。

今朝の登校は、NMさんにとっては大きな試練になったと思いますが、最後まで足を止めずに歩ききりました。そのつらさに涙しましたが、確かに大きく成長した瞬間でした。また、そんなNMさんにずっと寄り添いながら、励まし続けながら、一緒に歩いてくれたTR兄弟の優しさにも感動します。1年生を守ってくれて、本当にありがとう。

さて、「1月は行く」の言葉の通り、今日で1月が終わってしまいます。明日から2月で、2月2日は「節分」です。普通「節分」は2月3日であることが多いのですが、今年は2日になります。なぜ、今年は2月2日なのか…その辺のところは学校だより「みんなのひろば」2月号をご覧ください。

校舎内の掲示も「節分」モードです。「節分」は1年の始まり(立春)の前日に、「邪気(鬼)」をはらうための行事ですが、子どもたちも自分の邪気=「弱い心」が克服できるよう、改めて「目標」を持ってほしいなと思います。ひまわり学級の廊下には、「心の中の鬼退治~やっつけたい○○鬼~」が掲示されていました。「なかなか行動にうつせない鬼」、「めんどくさがり鬼」、「わすれ(もの)鬼」…みんな、ちゃんと自分の「弱いところ」…分かっているんですね。これからしっかりとその「弱い心」と向き合って、克服してほしいと願います。

 


1年生の廊下には早くも「校内版画展」の作品が掲示されていました。題材が「鬼退治」ですから、「節分」に間に合わせたのかなと思いました。握力のある「鬼」に小っちゃくてかわいい「自分」のコントラストが楽しい作品です。「校内版画展」については、また改めて紹介したいと思います。

 


 いつも「センスのよさ」が光るすみれ学級前の掲示板もすっかり「節分モード」です。今でも、「鰯の頭に柊の葉っぱ」を玄関に飾る風習は残っているのかなあ…。

 


12:51
2025/01/30

「分数ってすごい!?」

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算数の学習を積み上げていく時、子どもたちが「つまずく」分野のひとつが「分数」です。

数字の世界は、「数えられる数」=「正の整数=自然数」から始まります。やがて、「整数」では表せない半端な数を、「小数」(十進法)という数字を使うことで細かく表すようになります。この辺までは、子どもたちの生活の中にある「目にする=触れる」ことができる数字の世界なので、子どもたちもわりと理解できるのですが…。


「分数」という数は、まったく概念の違う数字の表し方で、「1を○等分した□つ分」を「○/□」という形で表します。この「1を…」というのが、くせもので、「1」が絶対的な数としての「1」を示す場合と、「全体(もと)としての1(全体を1とすると)」を表す場合でとらえ方が全く違ってきます。

1mの1/4は1/4m、1mの1/3は1/3mです。1/4mと1/3mはどちらが長いですか?」と聞かれれば、当然「はい。1/3mです。」と答えます。

しかし「Aのケーキの1/4と、Bのケーキの1/3はどちらが大きいですか?」と聞かれたら…答えはどちらか分かりません。なぜならもとになるケーキの大きさがAとBで違うからです。「分数」は何を「もと=1」にしているかによって、数字の大小は変わってきます。このへんの「理屈」が子どもたちには難しいのかもしれません。ですから小学校の算数では、2年生から6年生まで5年間かけて、「分数」の学習を丁寧に積み上げていきます。

 

4年生では、「1(=もと)よりも大きな分数」…例えば9/4のような分数(仮分数)や2¾のような分数(帯分数)について学習しています。仮分数を帯分数に直したり、それらの加減法について理解したりします。子どもたちは、「9/4は1/4の9個分だから…4/4+4/4+1/4と表せて…それで4/4=1だから…1+1+1/4ということになって…2と半端が1/4になるから、2¼になる!」って感じで考えていきます。昔は、計算問題は「答え」が出せればいい…みたいな学習だったような気がしますが、今は「自分の考えをいかに筋道を立てて説明できるか」ということに力を入れています。計算の方法を「機械的」に覚えたところで、「思考力」や「応用力」は育ちませんから、「考える過程」を大切にする授業づくりに努めています。子どもたちのノートを見ていると、「正しい答えを求める」というのではなく、「どうやって答えを求めたか」を書こうとしていることがよく分かり、素晴らしいなと思いました。


 

私(校長)は数学教師ですから、子どもの頃から「算数(数学)」は大好きでした。私にとっては、算数(数学)は「手品」みたいな不思議で、感動的な学習でした。数学の世界は常に「鮮やか」で「すっきり」していて、どちらかというと「芸術」な学問に感じています。(残念ながらこのへんの感覚はあんまり理解してもらえません…(泣) )

「分数」を初めて習った時も、「小数では書ききれない数字も分数なら書ける!」と知っただけですごいと思いましたし、ずっと謎だった「1÷3=0.333333333…なのに、0.333333333…×3=0.9999999999…≠1?えっ?なんで1にもどれないの?」というもやもや感が、「1÷3=1/3 と書けば 1/3×3=3/3=1 ちゃんと1に戻るやん!すごい!」となり、目から鱗が落ちた気分でした。

おまけに「分数」を使えば、分数は1/4=2/8=3/12みたいにいくらでも姿が変えられるので、それを使えば、あの面倒くさい「小数の筆算や割り算」がかなり簡略化されることを知ってからは、ほとんど筆算や割り算することがなくなりました。例えば「3÷25=」という問題は割り算なんかしないで、3÷25=3/253×425×4(分母分子に4をかける)=121000.12ってすぐに計算できます。

子どもたちが「分数」の本当のすごさや便利さの意味を実感するのは、もう少し後になるかもしれませんが、それまで、きちんと理解しながら学びを積み上げてほしいと思います。算数は「完全積み上げ教科」ですから、どこかの段階で分からなくなると、その後ずっとしんどくなります。算数の苦手な子どもたちも、簡単にあきらめないで粘り強く、粘り強く「基礎基本」をきちんと積み上げていってほしいです。先生たちも「分かる授業」「苦手へのサポート」を充実させられるよう頑張ります!


12:33
2025/01/29

「おうちの方の力は大きい!~最後の参観~」

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今日は朝から冷たい風が吹く寒い日になりましたが、子どもたちは元気!元気!やっぱり「子どもは風の子」は本当だと思うこの頃です。お昼休みにはたくさんの子どもたちが、外で元気に遊んでいました。

 


昇降口前では、縄跳びで遊ぶ子がたくさん。自分の技を磨こうと、友だちと一緒に頑張る姿は立派です。また5年生の子どもたちが男女混じって大縄跳びで遊んでいる姿は、なんだかとてもいい雰囲気です。温かな学級集団に育ってきていることを嬉しく思いました。

 


いつもなら水曜日は、そうじなしのロング昼休みなのですが、今日は参観もあるということで、普通の昼休みになりました。やがて昼休み終了の合図(メロディ)が鳴って、その2分後に掃除が始まります。掃除の時間は、必要最低限の10分間しかとってないので、子どもたちには、さっさと掃除に取りかかって10分間は集中して掃除をやり切ることを指導しています。昼休みから掃除へ、さっと気持ちを切り替えて動ける子たちが増えてきたように思いますが、まだまだの子もたくさんいます。

 

 

 

 

 

 

                                                                                       

今日は、職員室前の廊下を真剣に掃除(雑巾がけ)する6年生の姿がありました。6年生がこんな姿だと、学校全体の掃除の風景がしまります。やはり6年生は「学校の顔」です。良くも悪くも、6年生の姿は、全校に大きな影響を与え、学校全体の雰囲気をつくっていくことになります。掃除の時間は先生たちも一生懸命掃除をしますが、先生と子どもたちが、黙々と掃除をしている風景は、やっぱり気持ちがいいですし、「みんなが楽しい!」のひとつだと感じます。

掃除が終わって、読書タイム、そしていよいよ学習参観の時間を迎えました。参観のたびに「やっぱりおうちの方の力はすごいな」と痛切に感じます。いつも以上に子どもたちは張り切って発表しようと頑張ったり、普段ふざけてばかりいる子が「借りてきた猫」になったりします。子どもたちは、だれよりもお父さんやお母さんに認めてほしくて、かっこわるい自分は見せたくなくて懸命に頑張ります。その気持ちが強すぎて、変に緊張したり、「頭が真っ白状態」になったりして十分に力を発揮できなかった子どもたちも多くいます。頑張って練習してきた1年生の発表はみんなうまくいったでしょうか…。きっと「ぜんぜんだめだった…。」と落ち込んでいる子もいるでしょうが、どの子にも「よくがんばれたね。」と声をかけてあげてほしいと思います。


 

2年生の参観授業「明日へジャンプ~わたしが生まれた時~」は、私(校長)にとっても思い入れのある学習です。2年生の子どもたちは、冬休みの間に家族にインタビューをしています。「自分が生まれた時の様子や家族の気持ち、そして自分の名前の由来等」を聞き取っているのです。それをもとに自分で文章を書いて、今日学級の仲間やお家の方に発表しました。感心するのは、どの子も文章がしっかり分かりやすく書かれていること、そして、しっかりとした声で発表できていること、そして何よりも、自分は家族に祝福されて生まれてきたことや、自分の名前に込められた家族の思いをしみじみと感じ、今自分をとても大切に思えていることです。冬休みから1か月以上かけて創り上げた「自分史第1章」の発表…本当に素晴らしかったです。



余談ですが、私(校長)の長女が2年生だった時、同じような参観授業があって…、その時の娘の発表は今でもはっきりと覚えています。それを思い出すと、今でも涙腺が緩みます。ということで、今日の2年生の授業も、長居をすると胸にぐっと来てしまいそうなので、もっと聞きたい気持ちをこらえて、教室を後にしました。


17:21
2025/01/28

「1年間の成長を見せる!~1年生できるようになったこと発表会~」

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明日は、今年度最後の授業参観日です。(6年生を送る会の行事参観がありますが…)どの学年、学級でも子どもたちの1年間の成長を見てもらえるような授業(学習)を準備しているところです。特に1年生は、入学して以来「学校(社会)」という新たな世界で、いろんな「枠(フレーム)」に適応しながら、必死で頑張り、まだまだ小さい体ながら、その中身は大きく、大きく成長してくれたと思います。

明日の参観日では、「できるようになったこと発表会」という形で行われるようで、今日はそのリハーサルを参観させてもらいました。(私は1組に、教頭先生は2組に参観に行きました。)


 

発表会は、子どもたちの司会進行で進めます。元気な「校歌」の発表から始まり、その後はグループごとにできるようになったこと、得意になったことを順に発表していきます。詩の暗唱やこままわし、漢字名人やあやとり、なわとびや計算名人、そして鍵盤ハーモニカ演奏などなど、子どもたちは緊張しながらも精一杯「自分」を表現します。

 



1年生を見ていると、いろんな「できるようになったこと」も成長の姿なのですが、私(校長)にとっては、「友だちの発表を見守るようにしっかりと見つめている姿」や「緊張しながらも精一杯やろうとする集中力と一生懸命さ」、「失敗してもあきらめないで最後までやりきろうとする粘り強さ」、そして「友だちのがんばりをじっと見つめて応援する優しさ」…などに子どもたちの大きな成長を感じずにはいられませんでした。

最後に担任の先生から感想を求められたので、こんなことを1年生に話しました。

「さっき、『人』って漢字の成り立ちを説明してくれたけど、校長先生はこんなふうに思います。『人』っていう字は、「ふたり」でできていて、お互いに倒れないように支え合っている形なんだよ。『人』は絶対、ひとりでは生きていけなくて、成長もできない。仲間どうしで支え合っているから、みんな成長していけるんだよ。『仲間』っていうのは、たまにはけんかもするし、いじわるされたり、いじわるしちゃったりする時もあって、時にはいやだなと思う時もあるけど、それでも『仲間』と一緒に1年間いろんなことを頑張ってこられたから、一人一人の成長があるんだよ。自分の成長は、友だちのおかげ。友だちに感謝しないとね…。」 子どもたちは、にこにこして私(校長)の話を聞いてくれます。子どもたちの目がキラキラしています。私(校長)の大好きな子どもたちです。

次の時間は、体育館でバレーボールとドッジボールを合わせたようなゲームを楽しんでいました。ビニール袋に柔らかいものを詰めて、口をひもで縛ったものを投げ合います。袋の口を握って投げる感じになるのですが、実はこの動き(運動)が、「投げる」という動作(運動)の基本を定着させるのにかなり有効なのです。「投げる」運動は、近年ずっと「課題」になっていますから、その課題を克服すべく、よく考えられたゲームだと思いました。1年生の先生たちの教材研究、さすがです!


 

子どもたちは、ゲームのルールに基づいて、仲間どうし声をかけ合って、ゲームを楽しんでいました。そんな姿にも1年生の1年間の大きな成長を感じていました。

 

最後に余談ですが、1年生の子どもたちにこんなことも話してしまいました。

「校長先生は、たくさんの人の前で話をする時、緊張しないように、目の前にいるたくさんの人たちを野菜畑と思うようにしています。『あそこにたくさん大根があるなあ。』、『こっちは白菜畑や。』っていうふうにね。そうすると不思議と緊張せずに話すことができます。みんなも明日の参観日、お家の人たちがいっぱいいても、大根やジャガイモが並んでいるって思ったら緊張しないで発表できるよ。がんばってね。」って。

今日明日、1年生の子どもたちがお家でお父さんやお母さんを見て、「あっ、大根や。」、「こっちはじゃがいもだ。」なんて失礼なことを言ったとしたら、それは子どものせいではなくて、私(校長)のせいです。あらかじめ謝っておきます。どうもすみませんでした。


12:44
2025/01/27

「国スポ・障スポ 応援のぼり旗 完成!」

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今年の9月~10月には、昭和56年(1981年)の「びわこ国体」以来44年ぶり(2度目)に、滋賀県で国民スポーツ大会および全国障がい者スポーツ大会が開催されます。ここ東近江市でもサッカーやボクシング、自転車ロードレースなど7種目が行われます。毎回国スポ・障スポでは、全国から集まった選手たちにエール(応援)を送るために、コース上の道路脇に「応援のぼり旗」が設置されます。東近江市でもそれぞれの小学校で47都道府県を分担し、それぞれの都道府県を応援するのぼり旗を作製することになりました。

本校が任されたのは、近畿地方2府5県と、福井県、そして四国4県の全部で12府県。のぼり旗を目にした選手に、元気と勇気が湧いてくるようなそんな思いのこもった「応援のぼり旗」を、責任をもって作らなければなりません。私(校長)はこの大きなミッションを5年生に任せることにしました。5年生は社会科で全国いろんなところの地理や気候、産業等の特徴を学習します。それらの学習の発展として、応援を任された12府県についてしっかりと調べ、選手を元気づける「ご当地エキス」のいっぱい詰まったのぼり旗を作ってもらおうと考えました。

先週に入って、「応援のぼり旗」を完成させた班が、順に校長室まで「完成報告」に来てくれました。



 

最初に報告にきてくれた班は、「報告」というより、完成したのぼり旗を早く私に見てもらいたくて校長室にやってきた感じでした。「校長先生、できました~!」と喜び勇んで校長室に入ってきて、のぼり旗を披露してくれましたが、のぼり旗に込めた「熱い思い」はなかなか語ってくれません…。しかたないので、私(校長)のほうから、「そもそもこの旗は何のための旗?」、「この県の特産物は他にどんなものがあるの?」、「越前ガニって、図鑑に載ってる名前?」などなど、いろいろと突っ込んで聞くものだから子どもたちは、だんだんたじたじになって、しゅんとなって意気消沈…。



 

最初の方に報告に来てくれた班が、教室で校長室でのやり取りを伝えてくれたのでしょう…。だんだん子どもたちは、旗に描いたものの説明や、自分たちの思いについて、きちんと準備して、説明の練習もしてきてくれるようになりました。どんどん報告が上手になっていきます。

 

中には本当に感心する解説もありました。

「大阪のグリコの看板のポーズは、グリコの江崎社長が子どもの時に、駆けっこをしていた子供が両手を大きく上げてゴールインした姿が印象的だったのであのポーズになったそうです。」

「太陽の塔は、前の大阪万博の時に、岡本太郎さんがデザインされたものです。」

「三重県は、イセエビやカキの名産地でもあります。」

「道後温泉は、夏目漱石の小説の坊ちゃんの舞台になったところです。」

「香川県は、うどんだけでなくオリーブも有名です。それは主に小豆島で作られています。」

などなど、自分の出身県のように、自慢げに説明してくれました。私(校長)は、子どもたちのその自慢げな表情がとても嬉しかったです。


 

ひとつの県を応援するなら、「まずは自分たちがその県のことを好きになってほしい、誇りに思ってほしい。自慢したい気持ちになってほしい。そのためにその県のことをいろいろと調べて、知ってほしい。」と思っていました。そうすることがこの「応援のぼり旗」をつくる学習の「値打ち」だと思っていました。だからこそ、子どもたちの「自慢げに解説する顔」が、私(校長)にとっては一番の喜びだったのです。5年生の子どもたちは、本当によく頑張ってくれました。素敵な「応援のぼり旗」がたくさん完成しました。5年生の子どもたちに任せて、本当に良かったと思っています。ありがとうございました。

 


16:22
2025/01/24

「凧 凧 揚がれ~!」

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昨日は、東近江市大凧会館の鳥居館長さんに来校いただき、1年生が「四角凧づくり」と凧あげを教えていただきました。ご存じの通り、大凧会館は本校の校区にある博物館です。八日市の伝統文化である大凧づくりや、世界の凧などについて展示されている貴重な施設であり、本校の自慢すべき「教育資源」でもあります。ところが、学校として、なかなか「大凧会館」を学習に活かすことができていなくて、校長としては物足りなく思っていました。そこで今回、「出前授業」という形ですが、大凧会館と連携を図り、1年生が「凧」にふれる機会を設けた次第です。



 1年生ですから、「凧の骨から作る…」というような本格的な凧づくりはできませんが、自分で凧に絵を描いたり、しっぽをつけたり、凧の糸目に凧糸を結んだり、1年生にとってはなかなかの作業です。子どもたちは、今年の干支「巳年」にちなんだデザインなど、自分で好きな絵柄を考えて、楽しくカラフルな凧を作っていきました。

  

 

凧に絵を描いて、のりで凧のしっぽをつけるところまでは、どの子も順調に作業を進められたのですが…、その後に「難関」が待っていたのでした。それは、「凧の糸目」に凧糸を結びつけること。凧の糸目の輪っかに、凧糸を通して、「かた結び」するだけなのですが、これがかなり難しいようでした。「凧糸が細くて結びにくい…」といった困り感ではなくて、「結ぶということ自体が分からない…やったことがない…」というようなものでした。考えてみれば、今の子どもたちの生活や遊びの中で「結ぶ」という作業はほとんどなくなっているような気がします。「切る」や「貼る」、「折る」…などの作業は、それなりに経験が多いのですが、「結ぶ」だけは、子どもたちの経験の中から消えてしまいそうな気がします。

ほとんどの子が、凧糸を「結ぶ」ことができず、先生や支援員さんが総出で、子どもたちのお手伝いをしました。




何とか凧を完成させることができた子どもたちは、早速運動場に飛び出しました。凧を揚げるためには、「風下から風上に向かって走ること」、「糸が絡まるので、友だちと距離を取って揚げること」など、最低限度の「揚げ方」と「約束」をレクチャーしてもらって、いざ凧揚げに!

 

 昨日はとてもお天気が良く、風は凧揚げをするには少し弱めの「そよ風」程度でしたが、そこそこ糸を伸ばして、一気に高いところまで凧をもっていくと、うまく風をとらえられてよく揚がりました。本当なら、何度も、何日も凧揚げを楽しんで、そのうちに「走りながら糸を出していく(伸ばしていく)感覚」や「糸をしゃくりながら、風が吹いている層まで凧を引っ張り揚げていく技」などの甲斐性を獲得していくのですが、学校ではそこまで時間が取れないので、どうしても「凧揚げ」が一時的なイベントで終わってしまいます。できることなら、お休みの日なんかにお家の人と、田んぼなどの安全で広い場所で、凧揚げが楽しめるといいなと思います。

 最後に、これも「凧揚げあるある」ですが、みんなで凧揚げをしていると必ず発生するトラブルが「友だち同士、糸が絡む」という事態…。でもこれも経験で、いい学びの場です。昨日も子どもたちは、自分たちで丁寧に根気よく、糸の絡みを直していました。その姿にとても感心しました。

 来週には、私(校長)が作った「2mくらいの大凧」を1年生の子どもたちと一緒に揚げて、「凧揚げの醍醐味」と「風の力のすさまじさ」を十分に味わってもらおうと思います。


11:04
2025/01/23

「昔のくらしから考える~3年生七輪&灯り体験~」

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昨日、3年生が大変貴重な体験をさせてもらいました。3年生の国語、社会、総合的な学習の時間の3教科が関わる学習で「昔のくらしを知る」という学習があります。昔(明治~昭和のイメージ)のくらしに使っていた道具について知ったり調べたり、実際に体験したりしながら、くらしのうつり変わりについて考えていきます。

 

今回は能登川博物館のボランティアスタッフの方がた3名と、本校の地域学校協働活動推進員の奥さんをはじめとする4名の地域ボランティアさんのチーム(便宜上、私(校長)は勝手に、『アベンジャーズ』をもじって『建部ンジャーズ』と呼ばせてもらっています。『建部ンジャーズ』は本校のペース走大会や5年生の注連飾りづくりなど、日頃からたくさんの学校支援をしていただいてます。)の力をお借りして、3年生の子どもたちが、「七輪」体験と「灯り」体験をさせてもらいました。

 

 

子どもたちは事前の学習に、昔使われていた「黒電話」や「洗濯板」、「竹製の枕」などに触れていますが、今回能登川博物館から持ってきていただいたものは、「木炭」を燃料とした「七輪」や「炭消し壺」や炭の熱を利用する「アイロン」など、普段なかなかお目にかかれないレアな道具でした。くらしの中のエネルギーの中心が、「石油」や「ガス」、「電気」になるまでは、木材(炭)や植物油が燃料の中心であり、特に「木炭」は、「炎を出さない」、「火が長持ちする」、「遠赤外線効果」などの性質を持つ優れた熱源として、長い間くらしを支えてきました。今回は特に、現代のカセットコンロにあたる「七輪」について、「焼いたお餅を食べる」という目的のもと、自分たちで炭火をおこして、お餅を焼くという体験をしました。(そもそも「七輪」はなぜ「七つの輪」と書くのか…。その由来は、諸説あって定かではないのですが、人々の暮らしを支える最も大切なものである「火」や「食べ物(調理)」に関わる道具ですから、「七輪」という名前には深い意味があると思っています。)

 

 

焚き付け(新聞紙、杉葉)を底に置き、その上に「消し炭」、一番上に「木炭」を乗せて、新聞紙に火をつけます。マッチを擦る体験だけでも子どもたちには新鮮であり、緊張です。焚き付けはすぐに燃えますが、その炎を木炭に移していかなければなりません。炎を大きくするために、火吹き竹で空気を送り込みます。七輪の下にある窓から空気を送り込むと、空気が循環し、より早く炎が大きくなります。当然けむりまみれになりますから、風向きも考えながら作業しないといけません。「昔の仕事」には、知恵と甲斐性と、自然に対する知識も必要です。

 

別の会場では、「灯り」のうつりかわりをじっくりと見させてもらいました。本当に昔からある「ろうそく」や「行灯(あんどん)」から、エジソンが発明した白熱電球、そして蛍光灯、LED…と「灯り」のうつりかわりと、それぞれの「光の違い」について学ぶことができました。よくある「勘違い話」ですが、「灯台 もと暗し」という言葉がありますが、この灯台は岬に立ち、海を照らす「灯台」ではなく、昔のろうそくの燭台(しょくだい)=灯台を意味していいます。「ろうそくの燭台の下は灯りが届かず暗い」というところから来ています。

3年生の学級通信のある子の感想の中に、「昔は不便だったけど、いいところもあった。」というのがありました。この「いいところ」というのをもう少し掘り下げてほしいなと思います。

世の中は、加速度的に「便利」に、そして「快適」になっていきます。それは、「幸せなこと」に間違いがないのですが、「便利さ」や「快適さ」のかわりに、失ってきた「大切なもの」も多くあるのでは…と考えさせられます。「ものを大事に扱うこと」や「創意工夫すること」、「無駄をつくらないこと」や「辛抱すること」、「家族の中の子どもの役割(仕事)」…そして、世界に賞賛された「もったいないの心」…これから子どもたちが生きていく社会は、どうなっていくのだろうと漠然と不安になったりします。

今回の体験では、ちょっとしたハプニングがあり、七輪に使う燃料(木炭等)の数がグループの数より少なく、使える七輪の数が少なくなったようですが、子どもたちはもめることなく、文句を言うこともなく、うまく自分たちで役割分担しながら、上手に全員分のお餅を焼いたと担任のM先生から聞きました。「こういうところに子どもたちの成長が見られて嬉しかった。」というM先生の言葉を聞いて、その言葉に私(校長)も嬉しくなりました。


13:52
2025/01/22

「自分の身(命)は自分で守る~第3回避難訓練(地震)」

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今日は、地震発生を想定した避難訓練を行いました。避難訓練については、「万が一の時に、だれも命を落とすことがないように…」という思いで、常に真剣に取り組んでいます。子どもたちには、「避難練習」ではなく「避難訓練」であることの意味を理解させ、緊張感をもって取り組めるよう指導してきました。

子どもたちも、避難訓練の意味をよく分かっていて、ほとんどの子どもたちは避難訓練に真剣に取り組んでいます。体育館に全校が避難するのにかかった時間は4分ちょっと。「おはしも」の約束通り、おしゃべりしないで、静かに集まれました。先生たちも、この時だけは「命令口調」です。「静かに!」、「並べ!」…全員の命がかかった一大事、指示は「はっきり、明確に!」です。子どもたちには、学校で災害が起こった時は、とにかく「先生の指示に従う」という意識を徹底しています。しかし、中には「へらへらと笑いながら…」、「ポケットに手を突っ込んだまま…」というような態度で臨む子もいます。災害について、まだまだ「自分ごと」ととらえられない子がいるのが少し残念です。これからも指導を続けていかなければと思います。

 

阪神・淡路大震災や東日本大震災、そして能登半島地震…このうち、子どもたちが学校にいる時間帯に起こった地震は東日本大震災だけです。地震はいつどこで起こるか分かりませんが、単純に時間割合で考えると、子どもたちがお家や地域にいる時間に地震が起こる確率の方が高いことになります。つまり「先生の指示」なしで、「自分の身(命)は自分で守る」という意識と知識、行動をもって、災害から自分を守らなければならなくなります。「外にいる時に地震にあったら、『落ちてくるもの』や『倒れてくるもの』から離れて、しゃがんだ状態で、頭を守る」のが基本だと、今日もう一度子どもたちに話しました。また、避難訓練の宿題として「家にいる時に地震が起こったら、どうするか?」また「災害時に家族がバラバラになったら、まずどこに向かうか?(第1次避難所)」について、家族で話し合っておいてください…と話しました。

「天災は忘れたころにやってくる…」、昔から言われている言葉ですが、私(校長)なんかはすぐに「喉元過ぎれば熱さを忘れる…」に流れてしまいそうになるので、「危機意識」のアップデイトを怠ることのないよう気を引き締めていきたいと思います。


14:40
2025/01/21

「にじクイズが始まるよ~!」

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本校の外国にルーツを持つ子どもたちが通級する「にじ教室」(日本語指導教室)では、子どもたちが日本語への理解をより深めるために、そして、母国を中心として世界中の国々の文化や生活について伝えるために、「にじクイズ」を考え、全校児童を対象にアピールすることにしました。


 

「にじクイズ」は、にじ教室に通う子どもたちの母国をはじめ、世界各国の「お正月」ついて出題するクイズで、全部で12問あるようです。クイズの内容は子どもたちが考えました。それらのクイズを校舎内のあちこちに貼り、全校児童が校舎を巡りながら解答していくという企画です。クイズのヒントは、職員室前に大きく貼り出されている「北小世界地図」に盛り込まれています。

今日の1時間目に、にじ教室に集まった子どもたちは、担当のK先生から「にじクイズ」の進め方やそれぞれの役割についてレクチャーを受け、いよいよ行動開始です。今日は、地域の「外国人児童学習支援ボランティア」さんがたくさん来てくださり、子どもたちも安心して「にじクイズ」の運営に張り切っている様子でした。15名ほどの子どもたちが通うにじ教室での学習は、担当のK先生と支援員のN先生の2人だけでは、とうてい十分な指導支援はできません。そこに地域のボランティアさんが来てくださってこそ、子どもたち一人ひとりへのきめ細かな支援が可能になります。ボランティアさんがいてくださることで子どもたちは安心して学べています。本当に感謝しかありません。


 

にじ教室の子どもたちは、これから各学級に、「にじクイズ」への参加の方法を説明しに行かなければなりません。これが子どもたちにとっては、最も緊張することであり、プレッシャーになることですが、大勢の前でしっかりと「日本語で話す」ということがもっとも大切な学習でもあります。しっかりと読む練習をして、本番に備えます。

 

最近、にじ教室の高学年の子どもたちは、児童会の執行部に入ったり、放送委員会に入ったりして、全校の前で話すということに積極的に挑戦する姿が見られて嬉しく思っています。

日本語を学びながら、同時に自分たちの国について積極的に伝え、北小のすべての子どもたちの多様性を認める意識や共生意識を高めていってほしいと願っています。「にじ教室」の名前通り、世界の架け橋になる、本校にとってとても大切な子どもたちです。みんな、がんばれ!

 

校長室前廊下で子どもたちを見守っているカエルちゃんのコスチュームも冬バージョンに変わっています。毛糸で編んだ帽子と手袋がとてもキュートです。カエルちゃんの季節に合わせた衣装は、スクールサポートスタッフのSさんの手作りです。ちょっとしたところにも「気配り」と「センスの良さ」が感じられるのも本校の自慢です。

 

         


14:47
2025/01/20

「校内書き初め展 開催中!」

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先週学級閉鎖だった1年2組の子どもたちも元気に登校してくれて、学校が「平常」に戻りました。このままインフルエンザの波も治まってくれたらと願います。

さて、今週から「校内書き初め展」が始まりました。低学年は、マジック(フエルト)ペンによる硬筆、中高学年は、書き初め用紙に毛筆で書きます。

 




低学年の作品を見ていると、1年生も2年生も、とても落ち着いて、集中して書けているなと感心します。また、名前までしっかりと丁寧に書けているところが素晴らしいです。丁寧に書こうと思って、慎重にゆっくりペンを動かすと、かえって線がびびったり(ぶるぶる震えたり)、線の流れが止まってしまって、結果として字のバランスが悪くなったりするので、集中・緊張しながらも、びびらずに思い切って線を引く思い切りも必要で…このへんのバランスに子どもたちは苦労したんだろうなと、作品から読み取れました。どの子の作品も「全力で、最後まで丁寧に書いた」という気持ちが伝わってきて、とても晴れやかな気持ちにさせてくれました。

中高学年は、例年の通り、廊下掲示板にずらりと書き初め作品が並びました。



学年が上がるほど、題材もいろいろで、毛筆の基本がしっかりしていて、字形が整っている見ごたえのある作品がたくさんありました。




あくまで私(校長)の好み(感性)によるものですが、普段半紙に書いている「習字」の作品よりも、うんと力強く、自分らしさを主張した作品が多いような気がして嬉しく感じました。

 特に私が、感動したというか、心をつかまれたのは、3,4年生の作品の数々です。何とも言えず「全力感」があるというか、「自分のすべてをぶち込みました!」と言わんばかりの力強さを感じる作品がたくさんありました。


 





「これでどうだ~!」と言わんばかりの迫力のある作品が並んでいて見事でした。書き出しがど~んと力強いだけでなく、「最後の一画にめいっぱい力を込めた!」みたいな気合いを感じる作品に釘付けになりました。「みかん」の最後の「ん」のはらいや「山の光」の最後の「光」のはね、そして「生きる」の「る」の最後のマルのところのかすれなんぞ、たまりません。

「書写」ですから、「美しい文字」というのが賞賛されるべきで、そんな作品はもちろんすばらしいのですが、他の筆記具のように簡単には扱えない「毛筆」という面白い道具を使ったよさや面白さを感じながら、「力いっぱい」、「自分らしく」表現している作品にもとても魅力を感じます。

今回(このブログ)では、私(校長)の見立てで、「書き初め」についていろいろと紹介させてもらいましたが、「校内書き初め展」は1月31日(金)まで開催しておりますので、特に29日(水)の学習参加日には、たくさんの皆さんに鑑賞していただきたいと思います。


17:08
2025/01/17

「記憶と教訓をどう引き継いていくのか…」

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今日は1月17日。今から30年前(1995年)の今日、午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。国内初の震度7を記録した阪神・淡路大震災、戦後の日本が初めて経験した都市型の大災害でした。建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて6434人もの方が亡くなりました。(写真は神戸市提供)

 

当時私は、まだベッドにいましたが、経験したことのない大きな揺れに飛び起き、何が起こっているのかわからないままパニックになり、気がついたら出産間近の妻のお腹の上に、四つん這いで覆いかぶさっていました。反射的にお腹の中の赤ちゃんを守ろうとしたのだと思います。冷静に考えると、天井が落ちてくれば親子ともども潰されてしまうのは明白なのに…。パニックになると、人は冷静な判断や行動ができないということを思い知らされた瞬間でした。まさかこんな大きな地震に見舞われるなんて、正直考えてもいませんでした。地震(災害)に対する「構え」が全くできてなかったわけです。

 

NHKで、被害の大きかった地域に住む約2000人に被災者を対象にアンケートを行い、阪神・淡路大震災の起こったあの日から、何が変わり、何が課題として残されているのか、記憶や教訓はつながれているのか…ということを考える番組をやっていました。

このアンケートでは、「亡くなった家族や親しい人を思う時間に変化はあるか。」、「震災を体験した悲しみが今も続いているか。」などの質問があり、まだまだ多くの方々の心に、この震災が決して拭えない大きな傷や悲しさとして残っていることを知りました。

アンケートの中で、私(校長)が、「えっ?そうなんだ…。」と考えさせられたのは、「震災の体験を伝えることが難しくなった。」と半数の方々が思っておられること、そして「震災の記憶や教訓が風化している。」と感じておられる方が65%もいらっしゃることでした。

「記憶や教訓は、つながり続けないと徐々に風化し、やがて忘れさられ、そしてまた同じ過ちに陥る。」…そういうことなんだなと改めて強く思い直しました。「震災の記憶の継承に有効だと思うものは何ですか?」の質問の答えで最も多かったのが次の二つです。一つは「テレビや新聞などマスコミの震災報道…27.2%」、そしてもう一つは「学校の防災教育…25.0%」。やはり「学校の果たすべき役割と責任は大きいな。」と身が引き締まる思いがしました。来週の水曜日(22日)に避難訓練があります。しっかりと「記憶と教訓の継承」の一助となる避難訓練にします。

 

 

ところで、「記憶と教訓の継承」は災害に限ったことではありません。それは自然ではなく我々人間が起こす「戦争」というものにも、必要不可欠です。誰もが「なぜ戦争なんて馬鹿げたことをするんだろう?」と戦争を憎み、平和を望んでいますが、現実には世界中で「戦争」は今も続いています。

今、ちょうど6年生が「日清戦争~太平洋戦争」についての学習をしています。歴史の勉強というと、何となく「暗記科目」みたいなイメージがあって、「1902年に日英同盟を結んで…、その後1904年に日露戦争が始まって…、1910年韓国併合があって…」みたいな…一応歴史事象の背景や流れも意識しながら覚えていった記憶がありますが、やはり歴史の勉強は「知識理解」の部分よりも、「記憶と教訓の伝承」に重きをおいて学ぶ必要があると感じています。

 

だから、「日本はなぜ戦争に突き進んでいったのか?」、「戦争をして日本はどう変わっていったのか?」、「戦争中の国民はどんな思いで、どんな生活をしていたのか?」、「長い戦争の後、何を手に入れ、何を失ったのか?」…そんなことに思いを寄せながら(考えながら)、「戦争」の悲惨さと愚かさを、心の真ん中で学び取ってほしいなと願います。6年生は、2月に愛東にある県立平和祈念館の見学にも出かけます。できるだけ「戦争」を身近にとらえながら「記憶と教訓の伝承者」になってほしいと思います。

石垣りんさんという方の詩「弔辞」には、次のような一節があります。

「戦争の記憶が遠ざかるとき、 戦争がまた 私たちに近づく。 そうでなければ良い。 」

戦争の学習を見ると、いつもいつもこの一説を思い出します。


15:46
2025/01/16

「版画を楽しむ」

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朝、子どもたちの登校を迎えようと昇降口に行くと、久しぶりに「ありがとうメッセージ」がたくさん貼られているのに気がつきました。「ありがとうメッセージ」は普段の何気ない「ありがとう」の気持ちをカードに書いて伝えようという継続的な取組なのですが、最近は子どもたちの中で少しマンネリ化してきたのか、あまりメッセージは貼られなくなっていました。

久々にたくさん並んだ「ありがとうメッセージ」。内容は「遊んでくれてありがとう。」「優しくしてくれてありがとう。」というものが多いのですが、ちょっとしたことでも「ありがとう」と伝えようという気持ちがとても尊いと思います。

最近、「あたりまえ」という言葉はとても難しいなとつくづく思うようになりました。「あたりまえのことを、あたりまえにできることはとても素晴らしい」と言いますが、これが本当に難しい。「あたりまえ」の代表といえば、「3つのあ」です。「あいさつ・あんぜん・あとしまつ」…人としてのあたりまえですが、「あいさつ」も「あんぜん=例えば、廊下は走らない」も、そして「あとしまつ=例えば、そうじ」も、なかなか定着させるのは根気のいることです。「あたりまえ」は、なかなか「あたりまえ」にはなりません。

また、この「あたりまえ」という言葉は、いろんな「こわさ」も含んでいます。つまり、子どもたちの中で「あたりまえ」になることが、子どもたちを鈍感にさせたり、悪い方向へ流したりすることが往々にしてあるからです。例えば、トイレのスリッパが、いつもぐちゃぐちゃになっていて、散らかっている状態が「あたりまえ」になると、だれも整頓しようとは思わなくなります。「ランリュックにつけていいキーホルダーは1つだけ」というのが本校のルールですが、そのルールを守らない子が増えて、ジャラジャラのランリュックの風景が「あたりまえ」になると、ルールを守るという意識はどんどん弱くなっていきます。いわゆる「割れ窓効果」というやつです。ものごとを「あたりまえ」にするということはとても大変なことなのに、「あたりまえ」になることによって、いとも簡単に崩れていくこともある。「あたりまえ」はとっても難しいです。

 

さて、今日の教室の風景ですが、今日はたくさんの学年で図工の「版画」に取り組んでいました。「版画」をつくるという学習は、「版板をつくる」と「版に写す(刷る)」という2つの仕事(活動)があります。版画の種類もたくさんあって、下学年では、「紙版画」…紙等を切り貼りして、その凹凸で版を写す、「スチレン版画」…柔らかいスチレンボードに、尖ったもの等で凹みをつけて写す、「板紙凸版」…分厚いボール紙の表面を削り取ったり、はがしたりしながら凹凸をつける…が主なものです。

上学年では、「木版画…べニア板を彫刻刀で彫る」が中心になりますが、普通の「白黒版画」だけでなく、「一版多色刷版画」というカラー版画もあります。

 

 

 

1年生は「鬼の版画」に取り組んでいました。鬼の顔のパーツ(目、鼻、耳、角など)ごとに画用紙を切り出し、貼っていきます。最終的には鬼の体も切り出して、版板に貼って、「紙版画」に仕上げていくようです。2年生も同じく「紙版画」に取り組んでいますが、テーマは「〇〇をしている自分」のようです。自分の体をパーツごと(頭、胴、肩、腕、掌、指…)に切り出して、それをつなげていくことで「リアルな人体(からだ)」に仕上げていくようです。

 


3年生は「スチレン版画」で「お城」を表現していくようです。自分が描いた「お城」の下絵をスチレンボードに重ねて、プラスチックのペンのようなもので強くなぞり、スチレンボードに線(溝)を彫っていきます。4年生は「白黒の木版画」で「モチモチの木(斎藤隆介 作・滝平次郎 絵)」の世界を表現するようです。こちらは版をつくるまでがなかなか手間がいります。「下絵を描く」→「下絵をトレーシングペーパー(写し紙)に写す」→「トレーシングペーパーを裏返して、反転させた絵を、カーボン紙を使って版板に写す」という段取りを踏みます。しかし、本当に大変なのは、版板を彫る作業でしょう。4年生は初めて彫刻刀を使います。丸刀や三角刀、平刀など、それぞれの特徴を生かした彫ができるよう、丁寧に、かつ安全に頑張ってほしいなと思います。

出来上がった作品はまた、校長ブログで紹介したいと思います。校内版画展も楽しみにしていてください。


14:17
2025/01/15

「理科室の椅子はなぜ丸椅子なのか?」

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今日は久しぶりに理科室に「実験」の授業を見に行きました。学習していたのは5年生。「水に溶けたものは、どうやって取り出すのか?」という課題に対しての実験をやっていました。

理科という教科は、学年が上がるにつれて「好き・きらい」が結構分かれてくる教科かなと思っています。「理科ばなれ」という言葉もよく聞きますから、現代の子どもたちは、理科に魅力を感じなくなっている傾向があるのかもしれません。

 

子どもたちが生まれて初めて「知的好奇心」を抱くのが何歳くらいなのか分かりませんが、初めて「なぜ?」という疑問を抱くのは、間違いなく身の回りの「理科的な事象」だったはずです。「なぜ太陽はのぼる?」、「雨ってどこから降るの?」、「水の入ったバケツを振り回しても水がこぼれない?」、「青虫はどうやって全く姿かたちの違うチョウになるのか?」などなど、遊びや生活の中で「なぜ?」が生まれ、何でもかんでも「なぜ〇〇なの?」と質問攻めを食らう時期があります。その「なぜ?」に丁寧に付き合ってあげることが、子どもの探求心や思考力を育てることになるということもよく聞きます。理科はまさに「なぜ?」を追求する学習であり、いろんな「なぜ?」の答え=現象の起こる訳や根拠、理屈や道理を学ぶ…まさに「理」を学ぶわけです。

小学校理科の「実験」の学習は、基本的な実験器具の正しい名前や使い方を理解することも大切で、それが中学校や高校の理科につながっていきます。だから先生たちの説明や話の中で、きちんとした用語を使うことはとても大事で、「この棒で、入れ物の液をまぜまぜして…」なんていいかげんな説明は許されません。令和4年度の全国学力・学習状況調査の理科の問題で、「メスシリンダー」の名称を答える問題が出題されましたが、器具を見て「メスシリンダー」と答えられなかった子どもたちがたくさんいたことが話題になりました。これはそもそも教師側が意識して「正しい用語」を用いていないことも大きな理由なのではと私は思いました。「理」を学ぶ学問なのに、「なんとなく…」や「適当に…」、「だいたいで…」という思考はいただけません。

漏斗(ろうと)を使って濾過(ろか)をする時、ガラス棒をつたわせて液体を注ぐことにも、漏斗の先端をビーカーの内側に沿わせることにも、きちんと理由があります。ガラス棒につたわせて注ぐのは、液はねの防止、一度に液を入れすぎて液がろ紙からあふれ出ることを防ぐためですし、漏斗の先端を内壁に沿わせるのは、ポタンポタンとろ液がはねることを防ぎ、またろ液が途絶えることなく流れ落ちることによりろ過速度が上昇させるためです。すべてに「理」があり、それを知るたびに「なるほどな~」と納得するところにも理科の面白さがるような気がします。

 

ところで、理科の実験の風景も私(校長)が担任をしていたころと比べると大きく様変わりしています。一番大きな変化は、熱源として「アルコールランプ」や「ガスバーナー」を使わなくなったこと。今はほとんど「カセットコンロ」を使用するようになりました。もちろん「より安全に、より簡単に」という理由からですが、そのせいで子どもたちが「マッチ」を使うことはほとんどなくなりました。今でも4年生で少しだけアルコールランプを使うことがあるそうですが、その機会やマッチを擦る経験はうんと減りました。それなのに6年生の理科では「ろうそくにマッチで火をつける」という場面があり、6年生になって初めてマッチを使うことになり、まずマッチを擦る練習からする…といったようなおかしなことにもなっています。

子どもたちの「安心・安全」は、学校教育の一番大事なところの「一丁目一番地」ですが、子どもたちから「危険」を取り去るだけでなく、「危険であることを知る」、「自分で危険が回避できる」という学習も大事にすべきだろうと考えています。

 

さあ、今日の実験で子どもたちは、食塩やミョウバンの水溶液を蒸発させて、無事に食塩やミョウバンを取り出せたのでしょうか。子どもたちを見ていて、自分が小学校の時、できるだけ大きくて、形のきれいな「塩の結晶」を作るのに夢中になっていたのを思い出しました。

 最後に、理科室の児童用の椅子が、必ず「丸椅子」になっていることにも「理」があります。「背もたれがない」ということに意味があります。危険を伴う学習ですから、いざという時にさっと後ろに逃げられるように、そして避難しやすいようにという理由です。また、テーブルの下に完全に格納できて、すっきりした環境の中で実験等ができるようにするためです。調理室も同じ理由で、背もたれのない椅子になっています。すべて「理」に適っています。


14:03
2025/01/14

「インフルエンザの猛威と小倉百人一首」

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3連休明けの今日、また元気な子どもたちの笑顔が戻ってきました。子どもたちがやってくる教室の黒板には、担任の先生からのメッセージが書かれていることが多く、そのメッセージを受け取ることから子どもたちの一日が始まります。


 

つくづく本校の先生たちは、子ども思いで、きめ細やかだなあと頭が下がります。ちょっとしたことですが、子どもたちに「心を伝えよう」とする「熱意」を感じます。子どもたちに先生たちの「一生懸命」が伝わるから、子どもたちも「一生懸命」を返そうとします。こういった「心のやりとり」や互いの「信頼関係」によって、学校教育は成り立っています。

ところで、ご多分に漏れず、本校にも「インフルエンザ流行」の波がやってきました。特に1年生の欠席が多く、1年2組は学級閉鎖を余儀なくされました。たくさんの空席が目立つ1年2組の教室は、本当に寂しそうでした。

子どもたちは、一生懸命に集中して学習しています。1年間の思い出を季節ごとに「作文メモ」に書き出し、そのメモをつなげる形で作文を綴っています。本当なら、お隣さんとちょこっとおしゃべりでもしながら、笑顔で鉛筆を走らせることができるだろうに…。今日は、黙って一人ひとり作文に取り組みます。本来称賛されるべき1年生の、その「真面目さ」や「集中力」がかえって教室に「淋しさ」を増幅させている感じがして、何とも言えない気持ちになりました。

 

今罹患している子どもたちには早くよくなってほしいですし、学校では手洗いやうがいの励行やマスクの着用等の予防対策を徹底しながら感染拡大を最小限にとどめたいと思います。私(校長)としては、先生たちの体調も心配です。子どもたちが元気でも、先生たちがインフルエンザ等を罹患すると、学校が回らなくなります。先生たちの健康管理にも注意していきたいです。

 

4年生の教室では、ちょっとおもしろい「書写」に取り組んでいました。普段使っている「毛筆」ではなく、「割り箸」を使って、自分の好きな小倉百人一首の歌を半紙に書いています。「割り箸」のどの部分で書くのかによって、線の太さや感じが変わってきます。普段とは違う「墨をあまり吸わない、超硬い筆」に悪戦苦闘しながらも、割り箸が生み出す「おもしろい表現」を楽しんでいました。

 

今校内では、特に4年生と6年生が「小倉百人一首」に親しむ活動をしています。歌の意味は、子どもたちにとっては難しいとは思いますが、ある程度歌を覚えないと「百人一首かるた」は楽しめないので、お気に入りの歌を中心に少しでも覚えられるといいなと思います。(歌の意味は後から(中・高で)ついてきます。)

最後に、「小倉百人一首」と言えば、特に、近江神宮が「小倉百人一首 競技かるた大会」の聖地になるきっかけとなった巻頭歌、天智天皇の「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」という歌や、坊主めくりでもおなじみの「蝉丸」の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」は、滋賀にまつわる和歌で、誰もが知っている歌です。

しかし、東近江市民、特に「八日市住民」にとっては、蒲生野(船岡山付近)で、あの「額田王」が詠み、万葉集に収められた歌、「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」も、ぜひ覚えておきたい歌です。今から1500年~1000年前に詠われた和歌が、今の令和の世でも、楽しまれている…これも歴史ロマンですね、とても感慨深いです。

 


18:04
2025/01/10

雪と子どもたち~子どもの歓喜と大人の憂い~

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今季最強寒波が南下していて、昨日から大雪を心配していましたが、朝の時点で積雪はほとんどなく、子どもたちの登校にもあまり影響はなかったので安心しました。

それでも横殴りの雪の中、登校班できちんと並んで、安全に登校してくれる子どもたちの様子を見ていると、「班長さんをはじめ、しっかりとやってくれているな。」と感心します。

 


1~2時間目、いろんな教室をうろうろしていると、やはり子どもたちは外の様子が気になるようで、「もっともっと降って、運動場に雪がいっぱい積もってほしいなあ。」という心の声が聞こえてきそうでした。

学習の方はというと、今日は3年生が「書き初め」をしていました。前にも紹介しましたが、滋賀県の毛筆指導は、「秘密の〇〇ミンショー」で取り上げられるくらい、他府県とは趣を異にしています。「整った文字をきれいに書く」ことより、「筆のよさや面白さを味わいながら、自分の思いをも表れるように書く」ことを目的にしています。(逆に、硬筆は字形を整えて、筆圧にも注意しながら書くということを大切にしています。)

 


滋賀県特有のぶっとい筆の付け根までに墨をたっぷりと吸わせて、しっかりと筆を立てて一気に書き上げます。「お正月」のめでたい感じや賑やかな感じが出るように、「おもち」や「みかん」の大きさや美味しさを感じるような作品にしたい・・・子どもたちはそんな思いを描きながら作品づくりに励んでいました。

 

体育館では、4年生が体育で縄跳びに取り組んでいました。冬場の体力づくりにぴったりの縄跳び運動。いろんな運動感覚が養われる全身運動です。一定時間跳び続けられる力といろんな跳び方で跳べる力の両方を高めていきます。


 

縄跳びが得意な子もそうでない子もいますが、「頑張りカード」を励みに、自分自身の目標をしっかりと掲げて、根気強く取り組んでほしいと思います。

また、学級全体で取り組む「大縄跳び」の取組も始まっています。こちらは体力づくりの面だけでなく、学級としての団結力や、仲間同士の支え合いの力を高めるための取組です。「よその学級との競争」ではなく、「わが学級の記録をどこまで伸ばせるか」という目標を掲げて、しっかりと練習を積み上げていってほしいなと思います。


1階の廊下には「なわとびチャレンジ月間おおなわ」と書かれた掲示コーナーがあり、各学級の目標や記録が書き込めるようになっています。すでにいくつかのクラスが記録を始めています。どの学級も、「目標達成」、「自己ベスト記録更新」をめざしてがんばって取り組んでほしいです。

昼休みには、たくさんの子どもたちが雪の降る中、運動場で元気に雪と戯れていました。中休みには運動場に出てこなかった3年生もたくさん遊んでいます。3年生の子どもたちに「どうして中休みは運動場に行かなかったの?」と聞くと、3年生曰く、「中休みに雪で遊ぶと、その後がつらい。まだ授業がたくさん残ってるし、その間服が濡れているのはかなんから。中休みの時は、『外に出るのは、今じゃないな…』と思って、昼休みを待ってた。」と…。3年生なりに先を見通して、「判断」しているところに、妙に感心してしまいました。


 

案の定、昼休み終わりの放送が入っても、なかなか校舎に入ってこない子どもたちがちらほら…。気持ちは分かりますが、そこは「切り替えて」もらわないと困りますね。先生たちの「早くもどりなさい!」の声が響きます。

 「雪」というのは、大人にとっては「憂鬱」でしかないですが、子どもたちにとっては、昔も今も、子どもの本能を呼び起こす「最強のおもちゃ」なのですね。


15:16
2025/01/09

「卒業プロジェクト始動」

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私(校長)の一日は、朝7時前に出勤し、新聞に目を通すところから始まります。今日の新聞折込の滋賀報知新聞の一面には、「県内小5女子が全国最下位に」という見出しで体力・運動能力調査の結果が報じられていて、少し気落ちしましたが、続いて3面を見ると「空手で県勢ジュニア選手ら好成績~入賞13人が副知事を表敬訪問~」という文字が飛び込んできて、「文部科学大臣杯全国ジュニア空手道選手権大会」において、本校3年生のFさんが全国3位に入賞したことが写真入りで報じられていて、気分一転!なんだかとても嬉しく誇らしい気持ちになりました。全日本大会で3位の好成績…すごすぎます。Fさんは日頃の厳しい練習の成果が発揮できたんですね。本当におめでとうございます。

1時間目、いつものように校舎をうろうろしながら子どもたちの学習の様子をのぞきにいきます。階段を上がって廊下を見渡すと、なんだかとてもすっきり整っていてとてもいい気持ちになります。

校舎が古くて、教室も廊下も狭く、収納スペースがほとんどなくて、どうしてもいろんなものが散らかりがちですが、それなりにすっきりしていて、ゴミも落ちていなくて、気持ちのいい風景です。担任の先生たちのきめ細かな指導と、子どもたちのそうじでのがんばりの成果です。「ぼろく(古く)てもすっきりしている校舎」…それはとてもかっこいいことだと思っています。

あまりにも静かなので、「学年体育なのかな・・・。」と思いましたが、教室を覗くとちゃんと子どもたちがいます。低学年は、マジック(フエルト)ペンでの書き初めです。担任の先生の「今日は本番です。集中して、心を込めて書きましょう。」の声に、子どもたちが全力で応えます。教室は、水を打ったように静まり返っています。低学年と思えない「集中力」を見せてもらいました。



5年1組では、例の「国スポ・障スポ」の応援のぼりづくりが進んでいます。それぞれの県の名物や名勝を盛り込んだ自信作です。のぼりづくりに対する真剣さと、仲間同士の協力ぶりが、ひしひしと伝わってきます。5年2組は、国語で「新聞のよさや特徴をさぐる」学習をしています。子どもたちがしっかりと地に足をつけて、落ち着いて学習に向かっている教室空間にいると、とても安心した気持ちになります。


 

 

6年生教室では、学年で集まって「学年集会」です。卒業まであと46日。卒業までにすべきことは山ほどあります。これから「卒業プロジェクト」と称して、たくさんのことに取り組んでいきます。最も大切なことは、それらのことを「先生主導(先生任せ)」で「やらされる(やってもらう)」のではなく、卒業の意味を自覚し、一人ひとりが「主体」として、「自分たちの力」でやり切るということです。


 

担任のK先生が、卒業式までのタイムスケジュールを提示し、取組の見通しを持たせてくれました。あとは、「卒業アルバムグループ」、「カウントダウンカレンダー&給食感謝週間グループ」、「在校生へのプレゼント&卒業式の呼びかけグループ」、「6年生を送る会発表グループ」、「感謝の会グループ」の6つのグループに分かれて、それぞれに役割分担をしながら計画的に取組を進めていくのみです。見通しをもって、自分で計画的に物事を進めていく力は、中学校で最も必要とされる力でもあります。

 

子どもたち一人ひとりの様子を見ていると、まだまだ意識のばらつきを感じます。「自分ごと」としてとらえられていない表情や言動があちらこちらに…。まずは「卒業」の意味をしっかりと自覚するところからだと思います。人生を「竹」に例えると、小学校卒業は大きな「節目」の一つです。「竹」は「節」がしっかりしているからこそ、しなやかで倒れません。自分の12年間の成長をしっかりと振り返り、残り少ない日々でその「成長の姿」を余すことなく全力で発揮(表現)することが大事です。…それは下級生たちにとって「手本」となり、「憧れ」の姿を見せることになり、誇るべき北小文化(北小プライド)を築き上げるための「足跡」をしっかりと残すことになります。そしてもう一つは、12年間の成長を支えてくれた家族をはじめ自分の周りの人たちに精一杯「感謝の気持ち」を持ち、その気持ちを伝えることです。

それが「卒業」の意味であり、人生における確かな「節目」をつくることになると思っています。まずは、そのことを子どもたち一人ひとりがしっかりと自覚しないと、本当の意味での「すばらしい卒業式」を迎えることはできないと思っています。北小の最高学年である6年生の子どもたちの「底力」を信じたいと思います。必ず「本気」になってやりとげてくれる子どもたちだと思っています。


14:53
2025/01/08

「幸せあふれる一年を」

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今日は子どもたちの登校を迎えた後、午前中いっぱい市の校長会議に出ていたので、子どもたちの様子が全く見られず残念な一日でした。

3学期に入っても6年生のSTコンビは、変わらず木の葉かきを続けてくれています。何も言わずにただ黙々と木の葉を集める二人の姿に頭が下がります。本当にありがとう。

子どもたちを迎える前に、昇降口の下駄箱を整頓するのですが、さすがにまだ始まったばかりなので、きれいな上靴が並んでいます。かかとを踏みつぶされた「かわいそうな上靴」も少なく、このままこの状態が続いてほしいなと心から願います。

 2学期の後半は、「かわいそうな上靴」が徐々に増えてきていて、その状態に少し悲しさというか、心配を抱いていました。「はきものの乱れは、心の乱れ」…そのことに間違いはないと思っています。どうか子どもたちの心が落ち着いていて、地に足をつけて3学期の一日一日を送ってくれることを切に望みます。



校舎を歩いていると、何気ない掲示物にも、「新年をお祝いし、新たな明るい気持ちで一年を始めましょう」という気持ちが伝わってきます。何気ない風景の中にも、ちょっとした「気配り」や「工夫」が感じられる環境の中で、子どもたちに穏やかに育ってほしいと願っています。



「環境は人を育てる」…それもまた間違いのない真理だと思っています

 


15:11
2025/01/07

「明けましておめでとうございます」

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2025年巳年…新しい年を迎えました。明けましておめでとうございます。昨年中は、本校教育に対しまして格別なご理解とご協力をたまわり、誠にありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日は、3学期初日ということで、青少年育成市民会議の皆さんが校門に立ち、あいさつ運動をしてくださいました。すべての子どもたちが、元気に「おはようございます!」とあいさつできるわけではないですが、中には、立ち止まって「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と丁寧にあいさつしてくれる子も何人かいました。「楽しかった冬休みが終わる~。」という残念な気持ちと、「久しぶりに先生や友達に会える~。」というワクワクする気持ちが入り混じっているような、そんな子どもたちの表情でした。

3学期の始まりは始業式からです。全校が体育館に集まる時の子どもたちの心構えというか、姿勢は本当にたいしたものだと感心しています。400人近い子どもたちが一堂に会しているとは思えないほど静かで、座っている姿勢もしゃんとしています。

校長講話では、紅白歌合戦にB´zが初出場した話から始まり、「ウルトラソウル!」の後のかけ声は、「ヘイ!」ではなく、「ハイ!」が正式であるという意味のない話をしました。(もちろんこれは、講話の〆のフリ(布石)です)

その後、「巳年(へび年)」にちなんだ話に入り、「ヘビ」にちなんだ歌を歌おうと思ったのですが、なかなか思いつかなくて、唯一思い浮かんだ「ガラガラヘビがやってくる(byとんねるず)」を踊りながら歌ったら、聴いたことのない曲に、子どもたちはポカーンとしてしまい…これは、大失敗でした。

ちょけてばかりはいられないので、「ヘビは昔から神様の使いとされていて大変神聖な生きものである。」ことや、脱皮をしながら成長するところから「再生と誕生」の象徴とされ、巳年は「何か新しいこと(挑戦)を始めるのふさわしい年である。」こと、また、「毒もあるが、その反面、薬として使用され、医学や薬学の象徴として、緊急医療のシンボルマークである「スターオブライフ」にもデザインされていることなどを話しました。最後は、「一年の計は元旦にあり」のことわざを用いて、「一年の初めに、しっかりと目標を持つことの大切さ」や、短いながら大変大事な3学期を、しっかり目標をもって頑張りましょう。」という激励で締めました。

そして、最後の最後、「…この3学期が、みんなの頑張りで、みんなが楽しく、みんなの笑顔が輝くような…輝く?…輝くといえば…♪そして輝く、ウルトラソウル‼」の後に、全校の「ハイ!」が響き渡ったところで、「そのとおり!『ハイ!』が正解でした。」というオチで校長講話終了となりました。

校長講話の後は、保健のH先生から、風邪や感染症予防のための大切な話をしてもらいました。現在、インフルエンザやコロナウイルス、マイコプラズマ肺炎などの感染症がかなり流行しているので、手洗い・うがいの徹底をはじめとする予防対策をしっかりと行っていきたいと思います。

始業式の後は、大掃除をして、各教室で学活が始まりました。3学期の学習の大まかな流れを確認する教室、早速漢字の学習を始める教室、その様子は様々です。

 

低学年の教室では、冬休みの振り返りや、今までの学習のまとめを兼ねたゲームや、グループ学習で盛り上がっていました。先生との授業や、友達との交流やコミュニケーションが「学校の楽しさ」です。

冬休みの家族旅行や、家でのゲーム三昧、だらだら過ごすぐうたら生活も楽しくて、それはそれで幸せな時間ですが、学校で過ごす「先生や友達との時間」はやっぱり楽しい時間です。学校でしか味わえない大切な時間です。子どもたちの笑顔がどんどん広がっていく感じがしました。

 

 今日はまだ午前中で学校は終わりで11時半下校でしたが、学校近くの道で、ちっとも動かない集団を発見。

どうやら歩道に散乱していたゴミを、みんなで協力して拾ってくれていたようです。燃えるごみの袋2袋分くらいあったでしょうか…。「あ~汚い!だれやこんなとこにゴミ捨てやがって!」と怒るだけでなく、自分たちで拾い集めてくれる北小の子どもたち…さすがです。自慢の子どもたちです。「みんなほんとにありがとう。ちゃんと手を洗ってな。」とお礼を言って、途中からは北小の先生たちが引き受けてゴミの始末をしましたが、ゴミの多くはたばこの吸い殻…。「大人が散らかしたゴミを、子どもたちが拾う…」…何とも言えずもやもやした気持ちになりました。でもやっぱり、ちゃんとしている子どもたちに拍手です!今年もどうぞよろしくお願いします。


14:39
2024/12/24

「2学期もありがとうございました~2学期終業式~」

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2学期の後半は、マイコプラズマ肺炎やインフルエンザ等の流行により市内他校においては多くの学級閉鎖等を余儀なくされましたが、幸運にも本校には大きな流行は見られず、今日無事に2学期の終業式を終えることができました。

 

「2学期の最後だし、『はいよろこんで』の♪ギリギリダンス♬でも披露して、子どもたちを喜ばせてやろうかな!」と、ついこの間まで張り切っていたのですが、ここ2,3日、腰のヘルニアが絶不調で、よちよちペンギン歩きしかできなくなっていて、おまけに喉風邪をひいて、声も出なくなり、歌すら歌えない状態に・・・。何らかのサプライズを期待していたであろう子どもたちには本当に申し訳ないことになってしまいました。「ギリギリダンス」どころか、私(校長)の腰と喉が「ギリギリ」でした。

校長講話では、全校が「全力」と「協力」で創り上げた素晴らしい運動会を振り返り、各学年の「輝き」をもう一度確認しました。今年の運動会の後は、スマイルネットさんの「1時間特番」の影響もあって、本当にいろんなところで、たくさんの方々に、北小の運動会を絶賛していただきました。そのことを子どもたちに伝えたうえで、「今(2学期後半)も、この北小は胸を張って、八日市北小は最高です!すごい学校です!」と言えるかな…と問いかけました。

本校の校歌の3番には、「♪ポプラやなぎに 負けぬよう しっかと大地 ふみしめて~♬」という歌詞があります。「しっかと大地を踏みしめる」つまり、「しっかりと地に足をつける」ということが大切で、地に足をつけているからこそ、「真にかっこいい北小。素晴らしい北小であり続ける」ということを子どもたちに伝えたいと思っていました。「しっかり地に足をつけるということはどういうことか…。」それを考えることを、子どもたちへの、各学年への宿題としました。

私(校長)の話の後は、生徒指導担当のH先生が、冬休みの生活について、重要な部分を確認してくれました。福岡の事件を受けて、また、子どもたちが一年で一番「お金をもっている」時期であることを考えて、①4時30分(日没)までに帰ること②子どもだけでお店にはいかないこと③出かける時は、だれと、どこに、何をしに、いつ帰るかを伝えてから出かけることなどを話してくれました。

終業式の後は、大掃除です。子どもたちの、特に上学年の日頃の掃除の姿には「地に足がついていない」状況が多々ありますが、今日は年末大掃除。みんなそれぞれ一生懸命取り組んでくれました。

 

 

 

大掃除の後は、それぞれの学級で最後のしめくくりです。最後の片づけをしたり、プリント類をかばんにつめたりしてから、今年最後の学活です。3年生の教室では、今日で転出してしまうTさんとの最後のお別れです。この学級は、ここ1~2週間ほど「Tさんとの残り少ない日々」を大事に大事に過ごし、たくさんの思い出を作ってきました。学級の強くて温かな「絆」がとてもよく見えていました。私(校長)もTさんのファイルに、私の似顔絵とメッセージを添えさせてもらいましたが、Tさんに喜んでもらえてよかったです。

 


しばらく、よちよちペンギン歩きで校舎を回っていると、洗面台や排水溝を丁寧に掃除していてくれる6年生を見つけました。「みんなが嫌がる一番汚いところをそうじしてくれてありがとう。」と声をかけると、「別に、最高学年やし…。」と返事が返ってきました。ここにも「地に足がついている」姿を見つけられてほっとしました。

 

今日は、朝から本当にたくさんの子どもたちが、私(校長)の「腰」をいたわる優しい言葉をかけてくれました。優しい子どもたちが本当にたくさんいる八日市北小です。

保護者の皆様、地域の皆様には、本校の教育方針や活動について、格別なご理解とご協力をたまわり、本当にありがとうございました。また、このだらだらと長い「校長ブログ」を懲りずに読んでいただき、心より感謝申しあげます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。それでは皆様、よいお年をお迎えください。


12:45
2024/12/23

全力で応援の気持ちを込めて~5年国スポ・障スポ応援のぼり旗製作~

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天気予報に「雪マーク」が出てくるようになって、今朝も「積もるのかな…」と少し心配しましたが、ちらつくぐらいで済んでよかったです。(子どもたちは、雪が降って積もることを望んでいますが…)冬の空気は澄んでいて、雪化粧した瓦屋寺さんがくっきりと見えてとてもきれいでした。
昨日は毎年恒例の漫才番組をやっていて、史上初の2連覇を成し遂げたということで大変盛り上がっていました。私(校長)は、漫才がとても好きなので、昼間の敗者復活戦から見ていましたが、改めて「漫才師って、すごいなあ…。」って今更ながら、いたく感動していました。考えてみれば、「漫才」のように二人一組で、ボケとツッコミによる2人の「かけあい」によって人を笑わせる「芸」は他の国ではあまりないような気がします。欧米のお笑いはいわゆる「コメディアン」みたいなピン芸人が中心で、「見た目」で笑わせたり、華麗な話術によるブラックジョーク等で客を楽しませたりするイメージがあります。日本の芸人で、海外で大ブレークした人たちもみんな「ピン芸人」です。この辺の「お笑い」に対する考え方やセンスも、欧米ははやり「個人主義」が基本になっているような気がします。
ところが日本の「漫才」は二人以上の「かけあい」で笑いを創り出します。軽い「ツカミ」ネタで、自然と自分たちの世界観に引き込み、奇想天外な「ボケ」とジャストタイミングの的確な「ツッコミ」の応酬によって「笑い」のビッグウェーブを何度も創り出していきます…ちりばめた「ボケやツッコミ」の「伏線」も時々回収しながら、最後に「オチ」まで持っていく…計算しつくされた「組み立て」と、ひたすら練習で鍛え上げた二人の「呼吸(いき)」によって成立する「お笑い」であるところが、いかにも「日本的」であり、やはり誇るべき「日本文化」だと思います。「一人」では成立しない、「二人」がいて、その「間」のコミュニケーション(かけあい)で生まれる「お笑い」…いわば「人」と「人」の「間(あいだ)=センターマイク」で生まれる笑いだからこそ「人間らしい」温かさを感じる笑いになるのかなと思います。長年の下積みで培われたコンビ間の「信頼」や「慮(おもんばか)る心」が土台になっているのが「漫才」なんだと思っています。これからも若手漫才師の全力の頑張りを応援していきたいなと強く思った昨日の「〇-1グランプリ」でした。

そうそう応援と言えば、本校にも大変責任重大な「応援」に関する「お仕事」があったのを思い出しました。2025年開催の国スポ・障スポ滋賀大会において、各都道府県の代表選手たちを、道端で「応援」する「応援のぼり旗」の製作を、本校児童に任されているのです。(写真は、三重とこわか大会の時に作られた応援のぼり旗です。)本校が担当するのは、近畿(京都・大阪・奈良・兵庫・和歌山)、東海北陸(福井・三重)、四国(香川・徳島・高知・愛媛)の全12府県です。こののぼり旗を作製するには、まずは各府県の「ご当地自慢」を調べ上げて、それぞれの府県の選手が元気の出る「応援フレーズ」や「旗のデザイン」を考えなければなりません。「滋賀県の応援はとても温かい!」と喜んでもらえるよう、しっかりと研究して、デザインしていかなければなりません。各都道府県の特産物や方言などの学習が必要なことから、このミッションを5年生に任せることにしました。
 


5年2組では、四国4県と大阪・三重の6府県を、班ごとに分担して、それぞれの府県について情報を集め出しました。とりあえずは、特産物は何なのか、何が有名(名勝地等)か、ご当地キャラクターはあるのか、そしてその府県ならではの「方言」にはどんなものがあるのか…そんなところから調べ出しています。情報が集まったら、今度は、「何を取り上げることが、その府県の『誇り』になるのか『元気』になるのか。」を検討し、それらをどうのぼり旗に「図案」として落とし込んでいくのかを丁寧に計画していかなければなりません。めいっぱいの「おもてなし」の心をもって、最高の「応援のぼり旗」を創ってほしいと願っています。たのんだよ!5年生。


13:40
2024/12/20

「がんばる外国人児童の仲間たち~日本語指導教室にじ~」

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今朝は、ちょうど子どもたちの登校時間に、学校の前で、軽自動車が道路縁石に乗り上げ、電柱に衝突する自損事故がありました。

「ガシャーン!」と車がぶつかる大きな音がしたので、「もしかしたら子どもたちが…。」と本当に肝を冷やしました。幸い、車が子どもたちの列に突っ込んだのでもなく、子どもを乗せた保護者の車でもなかったので安堵しました。

事故の瞬間を目撃した子どもたちは、「校長先生!今、事故が起こった瞬間を見たで!」と興奮気味に報告してくれましたが、「ひょっとしたら自分たちの列に車が突っ込んでくることがあるかもしれない…。」という危機感はあまり持てていないようでした。ややもすると「野次馬化」してしまいそうになる子どもたちを校舎にいざないながら、子どもたちに何回も「本当に、みんなの登校の列に車が突っ込まなくてよかった…。本当によかった。」と繰り返しました。

私(校長)は、いつも交通事故を心配します。子どもたちがちゃんと並んで歩道を歩いていても、車の方が突っ込んでくることがまれに起こるからです。だから、毎日よく目立つ「交通安全」ののぼり旗をもって校門前に立っています。ドライバーへの注意喚起のためですが、「どうか子どもたちが事故にあいませんように…。」という「お守り」としての意味合いも強いのです。「交通安全」ののぼり旗に込めた、そんな私の思いを子どもたちは分かっていてくれるでしょうか。

 

さて、今日は久しぶりに日本語指導教室「にじ」を覗きに行きました。今、10名ほどが「にじ」教室に通級していて、主に国語や算数を個別に学習しています。私が覗きに行った時は、4年生のGさんが漢字の復習を、5年生のEさんが算数の復習をしていました。

 

日本に来て間もない子どもたちが、日本の学校で学ぶことは、本当に大変だなと…いつもいつも思います。「日常会話」については、子どもたち同士の関わりの中で、何となく身についていくのですが、教科書に出てくる「学習用語」や長い文章の意味理解については本当に難しく、子どもたちの学習を困難にしています。たとえば、英語で使う文字は「アルファベット26文字」だけですが、日本語は、平仮名、カタカナ、漢字の3つの文字を使いこなさなければならないので、個別支援しているとは言え、子どもたちには本当に「無理難題」を強いてしまっているなと…心が辛くなります。小学校時代だけでなく、その先の子どもたちの希望に満ちた未来を願うと、学校の果たすべき責任の大きさを感じざるを得ません。これからも、支援員さんや地域のボランティアさんの力をお借りしながら、子どもたちの学びを支えていきたいと思っています。

 

いよいよ2学期も残すところあと2日となりました。学習のまとめも終え、身の回りの整理や掃除を始める姿も見られます。今日は1年生が、机の中の引き出しを空にして、拭いたり洗ったりしてきれいにしていました。

 

ここにきて、風邪欠の人数が少しずつ増えつつありますが、あと2日、何とか無事に2学期の締めくくりができるようにと願っています。


12:45
2024/12/19

「みんな一緒に!はつらつと!~3年生体育~」

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近頃、3年生の子どもたちの様子を見ていると、今も不思議とあの運動会の団体演技(ダンス&フラッグ)の姿がよみがえってきます。「連繋・挑戦・達成」をテーマに、子どもたちの「全力」と「協力」の姿が最高潮に達した見事な演技、そして感動は、今もしっかりと心に残り、はっきり思い出せます。子どもたちが運動会で手に入れた「全力」とか「てきぱき動く力」「メリハリをつける力」、そして仲間との「支え合い(協力)の力」は、今もそのまま子どもたちの中で「日常化」していて、そのことが今の3年生の勢いや学年学級の温かさを創り出しているんだなと感じています。



写真は、ある日の体育の風景ですが、始めから終わりまで、ずっと「全力・協力」の姿がありました。

授業初めのM先生の説明や指示を聞く態度はとてもしっかりしていますし、最後に先生が「分かった?じゃ、どうぞ!」と声をかけたとたん、子どもたちは一斉に走り出し、それぞれの運動を始めます。まさに、「てきぱき&全力」です!その後のマット運動の練習をしていると、ちゃんと仲間で回数を数え合ったり、お互いにアドバイスをしあったり、まさしく「協力」「支え合い」の素晴らしい姿です。

 

こちらは、寒風吹きすさぶ中での外体育。寒さの中でも、「みんなで協力」して「てきぱき」と会場準備を進めていきます。キックベースボールの試合も、「みんなで試合に集中」して、声をかけ合いながら楽しみます。ちゃんと、みんなが関わり合っています。「蚊帳の外」の子は誰もいません。運動会でつけた力が、今もしっかりと子どもたちの中に定着していて、どんな場面でも、自分たちの力で「楽しい3年生集団」を創り上げています。


体育ですから、得意な子もいれば、苦手な子もいます。でも今の3年生の子どもたちの中に「消極的」な子はだれもいません。みんな、自分の課題に応じてどんどん挑戦していきます。苦手なことやできないことをバカにされるような空気感があると、苦手な子は消極的にならざるを得ません。でも今の3年生は、「みんなで応援し合う風土」が定着したんでしょうね。みんなが安心して、「自分の全力」でひたすら繰り返し頑張ります。マット運動が苦手な子が「校長先生、見てて!だいぶ足が上がるようになってん!」と自慢げに披露してくれることがたまらなく嬉しかったです。

運動会という特別な行事の中で、3年生の子どもたちが苦しみながらも、もがきながらも、それでも実感として手に入れた「全力を尽くすことの大切さ」、「集中して粘り強く頑張ることの大切さ」、「仲間で支え合うことの心強さ」、そして、「がんばればできるという自信」、「気持ちを前向きに明るく頑張ることの楽しさ」などなど…、今確かに3年生全体の「学年風土」として、それぞれの子どもたちの自分を高める「生きる力」として輝き始めているなと感じています。

頑張り続ける子どもたちにも、子どもたちに安心感を与えながら導いてくれている担任のS先生、M先生にも大きな拍手を送りたくなる、そんな体育の授業でした。

 



12:42
2024/12/18

「こんなことでヒーローに!?~2年生 昔遊び~」

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いよいよ2学期も終わりが見えてきました。今、市内の学校においてはインフルエンザ等が猛威を振るっていて学年閉鎖等も出ているような状況がありますが、本校は今のところ風邪欠が多いものの、インフルエンザ等の流行、感染拡大の状況には至っていません。このままひどい状況に至らず、無事に2学期が終えられることを願っています。

さて、この時期の子どもたちは、何となく浮足立ってくるというか、目の前に迫った冬休みやクリスマス、家族行事が待ち遠しくてしかたない様子が伺えます。登校の様子はいつもより活気があって、あいさつの声もいつもより少し元気になっています。先生方の指導もあって、ちゃんと手袋をしてくる子が増え、ポケットに手を突っ込んで歩いている子はかなり減りました。6年生のSNさんとTTさんの「朝のボランティアそうじ」もきちんと続いていて、最近はS兄弟も仲間に加わり、寒い中でせっせと落ち葉の始末をしていてくれます。彼らのがんばりが嬉しい限りです。

 

どこの教室も「学習のまとめ」や「2学期の振り返り」をしている風景が増えました。1年生の教室は、「まとめのテスト」に集中して挑んだり、「クリスマスカード」づくりをしたり…そしていつもの通り「すき間時間」には落ち着いて「読書」に浸る子どもたちの姿がありました。


 

そのとなり、2年生教室をのぞくと、何やら楽しそうな声がしてきます。子どもたちが「昔遊び」を楽しんでいました。私(校長)は、前から「昔遊び」って言葉がなんとなく気に入りません。「昔遊び」と言われると、「昔はやっていたけど、今はしていない遊び」みたいなイメージを持ってしまうからです。だから正確には「昔ながらの遊び」とか「昔から伝わる遊び」=「伝承遊び」と言うべきものだと思っています。「昔遊び」…いや「伝承遊び」は、今も子どもたちの「健やかな育ち」にとても有効な遊びだと思っています。

今日、子どもたちが楽しんでいたのは、「こま回し」と「けん玉」と「あやとり」の3つ。「けん玉」や「こま」はそれぞれの子どもたちが自分で用意したものだったのか、いろんなタイプのものがありました。「こま」は園時代から使っていたものでしょうか。芯も木でできた木製の軽いこまが多く、鉄芯のこまを持っている子は少なかったような気がします。


 

しばらく遊んでいる様子を見ていましたが、まだまだ子どもたちは「へたっぴ」で“初心者マーク”って感じです。もう少し練習して、上達しないと「楽しむ」というところまで到達できません。

たまりかねて、「ちょっと校長先生に貸してみ。」といって、「こま」を手に取り、一瞬でひもを巻いて、ぶるんと腕を一振りして、宙に舞った「こま」をそのまま手のひらで受けて、手のひらの上で回したかと思うと、そのまま手に渡したひもの上で「こま」を綱渡りさせてみる…。次の瞬間、子どもたちから大きな歓声が上がります。「すげ~っ!校長先生、名人や~!神業や~!!」と大絶賛の声。ほんの数秒で私(校長)は子どもたちのヒーローになれました。

次は、「けん玉」コーナーに行って、同じように「ちょっと校長先生に貸してみ。」と言って、一発で「止め剣=持ち手の「剣」を、玉の穴に入れる技」を決めてみる。またもや、子どもたちから「校長先生、すご~い‼一発で入れやった~。達人や~‼」と称賛の嵐…ここでもスーパーヒーローになれました。

私(校長)の世代にしてみたら「造作もない簡単なこと」が、子どもたちにしてみたら「魔法」に見えてしまうのがなんだかおかしかったです。「昔取った杵柄」という言葉がありますが、それではなくて、「小さいころから、遊びで鍛えてきた甲斐性がちゃいますわ!」って言いたい感じです。

「昔遊び」改め「伝承遊び」には、大きく「5つの効果」があると言われています。

効果1:脳の発達を促す…昔遊びには、五感を刺激する遊びが多くあります。また手先を細かく使うものも多数あるため、脳への良い刺激となり、脳の発達を促してくれます。

効果2:創造力を育む…昔遊びはおおまかなルールは決まっていても、遊ぶ人数や場所などに応じて、臨機応変にルールを変えやすいものが多いです。いっしょに遊ぶみんなが楽しめるよう、遊び方を変える経験は創造力を伸ばすことにもつながります。

効果3:集中力を伸ばす…あやとりやけん玉など、昔遊びには初めのうちは上手くいかないものも多いですが、練習を重ねれば上達していくもの。そうして努力する中で、楽しみながら集中力を鍛えられます。

効果4:身体を鍛える…昔遊びには、身体全体を使う遊びも多くあります。そんな遊びを繰り返す中で、子どもの身体能力やバランス感覚などを鍛えることができます。特にこま回しやけん玉は、体幹を鍛え、バランス感覚や協調運動能力を高めます。

効果5:コミュニケーション能力を育む…昔遊びは複数で遊ぶものが多く、友だちといっしょに遊ぶ中で、協調性やコミュニケーション能力の向上も期待できます。

(知育・幼児教育情報 oriori HPより一部引用)

 

年が明けると、1年生が「凧づくり・凧あげ」に挑戦すると聞いています。凧を作るだけでなく、自然の「風」に対する理解や感覚も身につけながら、がんばって楽しく遊んでほしいなと思います。

まあ、私(校長)は、百均の園芸ポール(180cmぐらい)なんかを骨にして、「巨大凧」でも作ってやって、1年生みんなで揚げられるようにしようと思います。また今度もヒーローになれるでしょうか…。


15:27
2024/12/17

「冬場はやっぱり縄跳びです~1年生初めての縄跳び体育~」

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昔から冬場の運動と言えば、「縄跳び」と相場は決まっていました。「なぜ冬場に?」と改めて考えてみると、「外遊びがしにくくなる季節でも縄1本あれば、どこでも気軽にできる運動だから。」、「単純だけれども運動量が多く、寒い中でも効率的に体温が上げられ、体力づくりにぴったりだから。」…そんな理由が思いつきますが、よくよく考えてみれば「縄跳び」という運動は、じつに「効果」がたくさんある運動であることに気づきます。

なわとびは体の47種類ほどの筋肉を使う全身運動らしく、特に上半身をまっすぐに保って跳ぶことで、下半身と体幹を鍛える体幹トレーニングとして最適です。当然調子よく跳び続け、跳躍に合わせてタイミングよく縄(腕)を回転させることでリズム感やバランス感覚、協調運動能力が鍛えられます。もちろん、有酸素運動ですから持久力や心肺機能も高められるわけです。

こんなにいいこと尽くめの「縄跳び運動」ですが、本校の子どもたちの中では、そんなに盛り上がっている感じはありません。学校によっては、冬場は、休み時間になると全校がひたすら「縄跳び」に燃えるような雰囲気がありますが、これも「校風」というか「伝統」的な要素が強いのかもしれません。運動会と一緒で、高学年が「めっちゃ縄跳びがうまい!すごい技をする!」というような「憧れ」の姿を示せると下学年がそこをめざして頑張る…みたいな運動文化が生まれるのかなと思います。

さて、今日の3校時、1年生が初めて体育での「縄跳び」を始めました。1年生の子どもたちはそれぞれに縄跳びと「縄跳びがんばりカード」を携えて体育館に集合しました。

 

1年生は教室でも体育館でも、「授業規律」がきちんとしているのが、いつもいつも気持ちいいです。「これから体育の学習を始めます!」の当番の元気な声で始まり、「はい!お願いします!」「お願いします!」という気合の入ったコマンドから授業を始めます。三角座りで説明を聞く姿勢も、先生の手本に合わせて、きちんと準備体操する一生懸命さも、本当に素晴らしいです。どうかこんな「真面目さ」や「一生懸命さ」が、学年が上がってもダレることなく、学習の「規律・文化」として継続させていってほしいと心から願います。


1年生の子どもたちは、園時代から「縄跳びあそび」をしてきたので、縄跳びが全く初めてという子はいないと思いますが、小学校では、「自分のめあて」や「できるようになりたい技」を明確に持って、ある程度「長く跳び続ける」ということも大事に「縄跳び」に取り組みます。そして、自分の頑張りの足跡を「なわとび頑張りカード」に残していきます。

1年生の縄跳びで大事なのは、まずは「縄の長さ」です。縄の真ん中を踏んづけて、縄の持ち手を体(胴)につけたときに、持ち手の高さが「おへそ」くらいから「乳首」の間くらいになるように調節します。それ以上長いと、縄が回しにくく、腕全体を回したり、脇を開けて縄を回したりするような跳び方になるので長く跳べませんし、縄を速く回せません。また、短すぎるとストレート系の技(前跳びや二重跳びなど)は跳べても、クロス系の技(あやとびやつばめ返しなど)がやりにくくなります。まずは、「縄の長さ」をきちんと自分に合う長さにすることが大切です。

 

早速今日から、3人一組になって、お互いの跳んだ回数を数え合って、跳べた数を「なわとびがんばりカード」に書き込んでいました。跳んだ数を正確に数えることも、カードの記入の仕方も1年生には結構な「学習」になります。

縄跳び運動は、1分跳んだだけでかなり疲れますし、新しい技をマスターするためには、根気強く粘り強く練習を続けないと上達しません。いっぱいいっぱい練習して、やっと新しい技が跳べた時の喜びをどの子にも味わってほしいなと思います。大人になった今でも、初めて「二重跳び」や「三重跳び」ができた日の嬉しさはよく覚えているものです。

今の時代の子どもたちにとっては、「単純」「しんどい」「継続しないと上達しない」というような運動は魅力が薄いのかもしれませんが、こんな時代だからこそ、「自分を鍛える」、「しんどくても粘り強く続ける」という力を、縄跳びを通してつけていってほしいなと願っています。


14:31
2024/12/16

「お米づくりには無駄がない~5年生注連飾りづくり~」

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毎年度、滋賀県の5年生は「たんぼのこ」学習に取り組むことになっています。市役所の農政部局や農業委員会、JAさんなどの協力を得ながら、子どもたちは豊かな体験学習をさせてもらっています。特に「稲作体験田」を管理して(実質お米づくりをして)いただく種村さんや地域コーディネーターの奥さんには年間を通じてずっとお世話になっています。

さて、今年度の「たんぼのこ」学習は、例年よりも充実した学習が行えたと思います。下手をすると、子どもたちは「田植え」と「稲刈り」だけをさせてもらい、春から秋にかけてほんの数回、田んぼの観察にでかけるくらいで終わってしまうことがあります。いわゆる「いいとこ取り」の学習で、本来学ぶべき「お米づくりの苦労や努力」そして「お米づくりの大切さ(尊さ)」について十分実感や理解ができないまま終わることがあります。

その点、今年度は「お米づくりの苦労や、大切さについてしっかりと体験的に学ばせたい」という二人の担任の熱意のもと、「田植え」と「稲刈り」だけでなく、刈った稲を天日乾燥させる「はさがけ」や昔ながらの足踏み脱穀機を使った「脱穀」、そして今日もみ米を取った後の「藁(わら)」を使って、お正月に飾る「注連飾り」を作りました。

 


注連飾りづくりを指導してくださったのは、地域コーディネーターの奥さん率いる建部北町&日吉の米づくりの達人5名の皆さんです。注連飾りを作るためには、藁を「縒る(よる)または綯う(なう)」=(何本かをねじり合わせて1本にする)必要があるのですが、これがとても器用さを必要とする技なのです。さすがにこれを子どもたちがいきなりするのは無理があるので、実は数日前に、班に1~2人の子どもたちは5年生を代表して、奥さんから事前にレクチャーを受けているのです。そうすることで、今日は子どもたち同士が教え合いながら、スムーズに注連飾りづくりが進められるようになっていたのです。

 

「注連飾りづくりをするのは、今年の5年生が初めてやで。」と言われると、「やったー、めっちゃラッキー!」と喜んでいる子どもたち…。この難しい作業に嬉しい気持ちをもって、一生懸命取り組める子どもたちは、すでに「米づくり」の大事な部分を理解できているんだなと感心しました。

達人たちのように、きれいでしっかりした注連飾りはできませんが、子どもたちは自分たちで創った注連飾りにとても満足そうな表情を浮かべていました。

 

  「お米づくり」の大切なこと…。お米は、長い歴史の中で、この国の人々の「命」や「生活」を支える中心にあったもので、それは人々にとって「なくてはならないもの」であり、「少しも無駄にしてないけない貴重なもの」であり、暮らしを支える「財産」でもあること…。「お米づくり」には一切無駄がない。いや、一切の無駄も許されない。「八十八」の苦労を重ねて、お米を育て、もみ米を取った後の「藁(わら)」は、わらじや筵(むしろ)、籠(かご)、や縄などに姿を変えて生活必需品となる。「もみがら」は緩衝材や燃料になり、玄米を精米した後に出る「糠(ぬか)」は漬物をつける糠床(ぬかどこ)となる。捨てるところは一切ないのが「お米づくり」なのです。米粒(白米)だけが貴重なのではなく、「稲」のすべてを無駄なく活かす…それが「お米づくり」の本質であり、そこを学んで初めて「たんぼのこ」学習の値打ちがあると私(校長)は思っています。

注連飾りづくりの後、達人たちに校長室で休憩してもらった時の話です。ある達人が、「校長先生、一人の子どもが、『これ、お米一粒落ちてました。』といって持ってきてくれたんですわ。「米一粒」を大事に拾える子どもの気持ちが、すごく嬉しかったですわ。」とおっしゃられて、子どもから預かった「米一粒」を校長室の机に置かれました。その話を聞いて、今年の「たんぼのこ」学習は、本当に意味のある学習になったなと、つくづく思いました。来年度は、さらに「もみがら」を使った焼き芋づくりと、「米糠」を使った漬物づくりができると、コンプリートです。

 


17:52
2024/12/13

「みんな北小の子 みんな仲間です!~養護学校との副籍交流~」

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昨日は、3年生教室で、八日市養護学校との副籍交流があって、3年生の子どもたちと、いつもは養護学校に通うTさんが一緒になって「共同学習(交流学習)」を行ないました。

 

「副籍」という言葉は聞きなれないかもしれませんが、昨年度から本格実施された新しい就学の制度です。つまり、主となる在籍(主籍)は養護学校にあるのだけれども、もう一つの籍(副籍)を地元の学校に置くことができる制度です。副籍を取得すると、年間数回、地元の学校で、地元の友だちと一緒に「共同学習」を行うことができます。単なる「交流」では、ありません。「学習」を一緒に行うのです。だから、「副籍交流」には、養護学校の先生も来られて、しっかりと学習の様子を見守られます。

Tさんは、昨年度から「副籍交流」を行っています。もう数回「共同学習」を行っているので、他の子どもたちともずいぶん打ち解けています。子どもたちもTさんが学校に来てくれると、「Tく~ん!久しぶり!」と歓迎ムード一色になります。昨年度は「音楽」や「体育」などで共同学習を行いましたが、今回は「学活」で「冬まつり(遊び屋台村)」を行ないました。「北小フェスティバル」の学級バージョンというところでしょうか。ボウリングや的当て、音当てクイズなど、いろんなゲームをみんなで楽しみ合う活動でした。Tさんもみんなと一緒に、いろんなゲームに挑戦していました。


私(校長)は、この副籍の制度はとてもいい制度だと思っています。なぜなら、「副籍」であっても、Tさんは、この北小に籍を置く「北小の子」であり、決してゲスト(お客様)ではない「3年生の子どもたちの仲間(級友)」になるからです。北小の子であり、級友ですから、教室にはもちろんTさんの机もありますし、ロッカーもあります。昇降口の下駄箱にもちゃんと名札が貼られています。みんなと同じです。毎日会える友達ではないけれども、これからもずっと一緒に頑張っていく仲間なのです。

北小にはもう一人、1年生にも「副籍」のあるNさんがいます。Nさんも1年生の仲間として、これから6年間一緒に育っていきます。TさんやNさんが、時々こうやって北小に来てくれて、みんな一緒に学習したり遊んだりできることを本当にうれしく思います。これからも北小に「副籍」を置いてくれる子どもたちが増えていったらなと思います。


14:36
2024/12/12

「やっぱり“生”の音は素敵です!~木猫隊 音楽コンサート~」

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今日は本校の「芸術鑑賞」の日。2時間目に体育館で「木猫隊」による音楽コンサートを全校で鑑賞しました。「木猫隊」は東近江地域を中心に活動されている、オーボエ、クラリネット、サックス、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、ピアノで編成されるウインドアンサンブルバンドです。それぞれに仕事を持ちながらも、子どもたちや地域社会のために、精力的に音楽活動をされています。「子猫」でなく「木猫」なのは、きっと「木管楽器」が中心の楽団だからだと推測します。

もともと、本校の子どもたちは、みんな「音楽」が好きなんだなと、普段から感じています。廊下で歌う声がよく聞こえてきますし、放送で流される音楽に合わせてリズミカルに体を動かしている(踊っている)姿も割とよく見ます。運動会でもダンスが好きな子はとても多いですし、音楽室から聞こえてくる歌声は、いつも明るく元気です。全校の前に立つたびに、突然歌いだす私(校長)の歌も、ちゃんと聴いてくれてます…。もちろん、「♪そして輝く ウルトラソウル!」と叫ぶと、子どもたちみんながノリよく「ヘイ!」と返してくれます。

 

今日は、基本的にピアノ、クラリネット、ソプラノサックス、ホルン、トロンボーンの5人編成で演奏をしてくださいました。大編成の吹奏楽団やフルオーケストラのような、大音量で迫力があり、超高音から重低音が響くような音楽ではないですが、素朴で柔らかく、あたたかさを感じる音楽をたっぷり聴かせていただきました。

 

最近の音楽は、音源がとても豊富で、テンポがすごく速くて、どこで息継ぎをしたらいいのかわからないような韻を踏む早口言葉的な曲が多いような気がします。歌の振り(ダンス)や「リズム」、「ノリ」の魅力が子どもたちの心をかき立て、躍らせる感じがあります。

それらの音楽に比べて、弦楽器や管楽器の音楽は、「音」自体が体や心に響くというか、すーっと入ってくるというか…「心地いい」という感覚になります。

特に、すぐ近くでその「生音(なまおと)」を聴かせてもらうと、音の温かみや、演奏者の息づかいまでをもダイレクトに感じられるのが、なんとも言えない「心地よさ」なのかもしれません。

 

今日、「木猫隊」の皆さんは、子どもたちがよく知っている定番ソングやアニメの曲をたくさん演奏してくださいました。しっている曲ばかりなので、とても親しみを感じながら鑑賞することができました。コンサートの途中から、アニメソングの演奏に合わせて、下学年の子どもたちが歌を歌いだしました。その歌声が、どことなく「えんりょがち」で、演奏の音がかき消されないように、演奏に「沿う」ような感じで子どもたちが歌っています。結果として、演奏の音と子どもたちの優しく柔らかい歌声が一体となって、この北小でしか生まれない素敵な曲が奏でられた…そんな素敵なコンサートでした。

 

楽しいコンサートの時間はあっという間に過ぎ…コンサートの終わりには、「アンコール」がかかって、最後は「ジャンボリーミッキー」が演奏され、我慢できなくなって踊りだす子どもたちも出てきました。

素敵な演奏で、楽しませてくださった「木猫隊」の皆さんに、運動会で応援団長を務めたITさんとNYさんからお礼の言葉と花束が贈られました。

今日の音楽鑑賞は、長い2学期を頑張りぬいた北小の子どもたちへの、ちょっと早い「クリスマスプレゼント」になりました。


15:35
2024/12/11

火はつけるものではなく、育てるものです 4年生もりのこ学習最終日

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今日は朝からお天気にも恵まれ、4年生が気持ちよく最後の「もりのこ学習」を楽しむことができました。一年を通じて何回もお世話になった「河辺いきものの森」。今日もスタッフ総出で子どもたちに貴重な体験をさせてくださいました。

最後のもりのこ学習は、「森林の恵み」である落ち葉や小枝、間伐や下草刈りで切った木や枝、そしてそれらを使って作った木炭などを使って、自分たちでかまど(BBQグリル)に火を起こし、炭に火を移し、最後はその炭火でウインナーソーセージをあぶり焼きにして食べるという体験学習です。実にシンプルで、目的が明確です。

現代の子どもたちは、家族でBBQをすることはあっても、森にあるものを使って一から火を起こす経験はほとんどしたことがないと思います。マッチを擦ることすら今までしたことがない子がいたかもしれません。石油ファンヒーターのスイッチを押せば…、ガスコンロのつまみさえ回せば「火がつく」便利な生活…いや、今やエアコンやIHが主流ですから家の中に「火」や「炎」はもう存在しないかもしれません。


そんな時代の子どもたちが、自然のものだけで火を起こす…それは簡単なことではありません。「何から始めたらいいのか。」「焚き付けや薪(たきぎ)を、どういう順番で、どんなふうに組んでいくのか。」、「マッチの火は、どこに着火するのか。」、「そもそもマッチはどうやって擦る?」、「どこをどう煽げば、火は大きくなり、何をどうすれば炎を落ち着かせることができるのか…。」…。私(校長)のような昭和の人間にとっては「あたりまえ」、「日常茶飯事」のことですが、子どもたちにとっては「未知」のことだらけです。小学校高学年の理科の知識があれば少しは「科学的」にチャレンジできるかもしれませんが、4年生にとっては「試行錯誤」しかありません。

 

いきものの森の「火の神様」の助けも借りながら、どこの班もなんとか無事に火起こしと炭火づくりができたようですが、ここまでくるまでに子どもたちは、けっこうな「試行錯誤」を繰り返したと思います。「ソーセージを焼いて食べる」という明確な「目的」があるからこそ、火をつけるという「課題」に対して、粘り強く「試行錯誤」ができます。やはりこれが「学び(学習)」の本質です。

一から火を起こすには、まず焚き付けとして、杉葉や枯れ葉が必要で、その上に小枝を空気が入るようにすき間を開けながら置きます。マッチで杉葉等に火をつけ、そうっと息を吹きかけて、小さな炎を少しずつ大きくし、小枝に火が移るようにします。その後、小枝より少し太い枝を上に組み、下から空気を送り込むように団扇で煽ぎ、しっかりと枝に火をつけます。最後にしっかりした太い薪(たきぎ)に火がつけばOKです。「火を起こす」というのは、何か簡単で手っ取り早い方法があるわけではないので「火をつける」というよりも、小さな火種から少しずつ大きくしていく…いわば火は「少しずつ大きく育てていく」という感覚が大事だと思います。


無事に炭に火が起こせて、お待ちかねのソーセージの焼き焼きタイム。一人1本半のソーセージを大事そうにじっくりじっくり焼いていきます。「まだかな…もういいかな…。あ~でももうちょっと焦げ目つけた方がおいしいかな…。」心の中で葛藤しながら、どこかで踏ん切りをつけて「パクッ!」。

「あ~美味しい!家で食べるより断然美味しい!」…子どもたちの満面の笑みが広がります。

 

現代の生活の中で、直接火を扱うことはほとんどなくなりましたが、やはり「火」は人類の進化の「真ん中」にあるものだと思います。「火」で暖をとり、「調理」をし、巻きが燃える「音」や炎がめらめらと揺れる「揺らぎ」に癒されて…数千年数万年。「火」の恩恵と必要性は、もはや人間のDNAに組み込まれているのでは…と考えたりします。

 

「火」がとても有用なものであることを学ぶ半面、「火」はとても危ないものであることも学んだ今日の体験学習。子どもたちの心に残る意味ある体験になったと思います。偶然ですが、今日の給食のおかずは「ソーセージ」でした。4年生の子どもたちにとって、どっちの「ソーセージ」が美味しかったのか…“言わずもがな”ですね。



19:26
2024/12/10

「冬の朝の風景 ~健気に続けるところに心打たれます~」

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日に日に朝の冷え込みが厳しくなり、防寒着が手放せない季節になってきました。人一倍寒がりな私(校長)は、すでにベンチコートをまとっています。登校してくる子どもたちも冬の装いに徐々に変わってきていますが、最近気になるのは、かじかむ手をポケットに突っ込んで歩いてくる子が増えたこと…。とっさの時に手が使えないので、転倒したりすると顔から落ちます。「危ないから寒いんやったら手袋しーや。」と声をかけますが、悪気なく普通に「めんどうくさい。」と返す子もいて…、これは困ったものだと思い、各学級で「寒い時はきちんと手袋をして、ポケットには手を突っ込んで歩きません。」という指導をしてもらいました。また、薄着(Tシャツ等)の上に直に外着(厚いジャンパー等)を着てきて、教室が寒いと外着を着たまま授業を受けている子が結構いて…、これも困ったものだと…、「教室では外着は脱ぎます。教室で脱いでも寒くないように着る服を調整しましょう。」という指導も一緒にしてもらいました。

さて、どんどん寒さが増してくる朝の風景ですが、その寒さを一時(いっとき)忘れさせてくれるような「温かな風景」も結構あって、最近心はとても温かで幸せです。一つ目の「心ぽかぽか」は6年生のSNさんのボランティア掃除の風景です。

6年生のSNさんは、毎朝登校すると、校門付近の掃除をしてくれます。もうかなり続いています。というか、だんだん清掃範囲を広げていってます。

 


最初は、校門のレールの溝にたまる落ち葉やごみを取っていてくれました。ほうきや火ばさみでとれない小さなごみは、素手(指)で掃除していてくれました。頼まれたわけでもないのに、自分で掃除道具を出してきて、一人黙々と作業します。こんな日が数日続いたでしょうか…。


ある日SNさんは、ほうきをもって、駐車場の方へ出ます。駐車場の門のところにたまっている落ち葉が気になったようです。それから2,3日駐車場の落ち葉はきを頑張っていてくれます。だれも頼んでいません。すべてSNさんの自己判断と自主的行動です。今日は、そこに同じ6年生のTTさん加わりました。今日までTTさんは、毎日SNさんが掃除をしているのを、興味深そうに眺めたり、そばに行ってちょっと手伝ったりしていましたが、今日は自分でほうきを取りに行って、2人で一緒に頑張ってくれました。明日からは2人のボランティア掃除が続いていくのでしょうか。

SNさんのえらいなと思うところは、「ひとつのことを黙々と続けること」と「自分で考えて自分で行動を決める」という点です。地味な活動だからこそ、とても値打ちのある活動だと思います。こういう姿に心動かされる子どもたちが増えていったらなと思います。

集団登校が一通り落ち着くと、その後は遅れてくる子がやってくるのを校門で待っています。特に6年生は卒業まであとわずか…、遅刻しないで、きちんと集団登校のリーダーとして、しっかりと登校してほしいと願いながら、始業時刻になるまでは信じて待つようにしています。

8時15分くらいになると、私(校長)に2回目の「心ぽかぽか」がやってきます。学校の校門近くのバス停から、ある子ども園の通園バスに乗る4歳児の〇〇ちゃんがいます。毎朝お母さんとバス停までやってきて、通り越しに「校長先生~!おはようございます~!」と大きな声であいさつをしてくれます。「〇〇ちゃん、おはようございます!寒くないですか~?」…「だいじょうぶ!寒くないです。」と言葉を交わします。私(校長)の心は、〇〇ちゃんの元気な声で一気に温められます。毎日のあいさつのやりとりが、毎日の楽しみになっています。

〇〇ちゃんの通園バスを見送り、始業時刻になったところで昇降口に入り、そこから全校児童の下駄箱の整頓に入ります。一番奥の3年生の靴から順番に「かかとぎり=靴のかかとと下駄箱の端を合わせること」の位置に整えていきます。下駄箱の整頓を始めてからだいぶ経ちますが、確実に子どもたちの下駄箱は整ってきています。少しずつ少しずつ…本当に少しずつ子どもたちの靴が“落ち着いて”きています。「靴が整う」は「心が整う」です。私(校長)はこれを信じて疑いません。

順番に整えていって、最後が1年生の下駄箱。6年生の靴を整えてから、1年生の下駄箱の方にくるっと回る時、3回目の「心ぽかぽか」がやってきます。

ここ1週間、1年生の下駄箱は私(校長)が整頓する必要はありませんでした。完璧に揃っていて、本当にすきっとしていて気持ちがいいです。この風景を見るのが本当に楽しみになってきました。

少し前「いったいこれはどうしたことだろう…。」と思って、こそっと観察していたのですが…、実は1年生の何人かが「みんな」の分を全部整えているのです。はじめは、ある2人が始めてくれたのですが、少しずつ人数が増えて…。今日1年生教室で、「朝、下駄箱は誰が整えてくれたの?」と聞くと10人近く手を挙げてくれました。「本当に気持ちいいよ。ありがとうね。」と丁寧にお礼を言いました。

寒い朝の温かな風景…もっともっといろんなところで、いろんな人の心が温まる風景が広がるといいなと願っています。


16:34
2024/12/09

「自分の夢が描けたかな…~6年生キャリア教育『夢訪問』~」

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毎年6年生が取り組んでいるキャリア教育『夢訪問』では、いろんな分野のプロフェッショナルに来ていただき、それぞれの仕事の魅力ややりがい、仕事をしている中での苦労や努力等についてお話を伺い、自分たちの将来の職業や夢について考える学習を重ねています。

今年度も、警察官・建築家・元プロ野球選手・消防士・カフェ経営者・ニードルワーカー・図書館司書・理容師の8つの分野(仕事)のプロにお越しいただきました。今日は、『夢訪問』の最終日で、小菅さんをはじめとする7名もの理容師さんが来てくださり、「理容・美容」の仕事について、やりがいや大切にしていることをお話しくださるだけでなく、実際に子どもたちに髪を切ったり、顔を剃ったりする理容の仕事を体験させてくださいました。

 

前半のお話(講演)では、「理容・美容は、やはりクリエイティブ(創作的)な要素が大きく、お客様のために最高の仕事ができるように努力している。」、「理容・美容は、お客さんの人生の節目や門出をお手伝いできる素晴らしい仕事です。」、「理容師は、日々新しいこと(センスや技術)を学び続けることが大切です。仕事が終わってからも毎日勉強します。」などの言葉が印象的で、とても深いなあと思いました。

また、「人や社会の役に立つ」、「人の人生や生活を豊かにする」ということは、どんな仕事でも共通して言える「仕事の意義ややりがい」であり、「いい仕事をするためには、努力し続けないといけない。学び続けないといけない。」ということもすべてのお仕事に必要不可欠なことだと改めて思いました。

 


お話(講演)の後は、理容(カットやセット)のデモンストレーションを見せていただきました。モデルは担任のK先生とF先生。このデモンストレーションは、「ちょっと触りだけ…」というものではなく、本当にガチの実技でした。F先生はかなり髪を切って、きれいに素敵に巻いてももらいましたし、K先生はモデルさんのような髪型に仕上げてもらいました。(見ようによってはスーパーサイヤ人っぽい感じ…)

会場の体育館には、実際に使う「はさみ」や「かみそり」なども並べていただき、この仕事にはとても道具が大事なことや、理容師さんが本当に道具を大切にされていることがよく伝わってきました。

後半はいよいよ、子どもたちがハサミとくしを使って、髪の毛を切ったり、かみそりを使って顔を剃ったりする体験をさせていただきました。普段「紙を切る」のに使っているはさみとは、持ち方も動かし方も違っていて、とても難しい体験でしたが、めったにできることではないので、子どもたちはいろんな体験に積極的に挑戦していました。

 

「子どもたちのお役に立てるなら…。」という気持ちで、本当にたくさんの地域の方々がこの「夢訪問」の学習に協力してくださっています。もちろんそれぞれに「自分がしている仕事の魅力やよさを伝えたい。」という気持ちもあると思いますが、それよりもやはり「子どもたちのためになるなら…」という気持ちで、お仕事が忙しい中を、またお休みを返上してまで、子どもたちのために時間と手間をかけてくださっていることに心から感謝申しあげます。この「夢訪問」を通して、子どもたちが将来の仕事や自分の生き方について、ぼんやりでも夢や目標が持てたらいいなと願うと同時に、「今、自分たちは、地域のいろんな大人(皆様)にお世話になりながら学んでいる、育っているんだな…。」ということも感じてくれたらなあと思います。

今日一日、「スーパーサイヤ人」で過ごすことになったK先生…。他の学年の子どもたちにもいろいろと突っ込まれることになるでしょうね…。


15:53
2024/12/06

「人権週間のまとめとして~友だち集会~」

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今日は、朝から全校児童が体育館に集まり、いつもの児童集会(全校集会)をしたあと、そのまま人権週間のまとめ的な集会となる「友だち集会」が開かれました。

冒頭、「校長先生の話」の時間をもらったので、いつものように「歌から始まる♪校長講話」をさせてもらいました。

歌った歌は、野口雨情作詞の「しゃぼん玉」です。♪しゃぼん玉とんだ 屋根まで飛んだ・・・♪という童謡です。♪しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた 風風吹くな しゃぼん玉とばそ♪…しゃぼん玉というのは「生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんの命」だと話しました。「家族や先生たちは、皆さんの小さな命がこのまま健やかに育ってくれることを心から願っています。あなたたちの命を脅かす“風”=「病気」や「犯罪」、「事故」、「災害」、「子どもたちの心を傷つけるもの」…そんなものが吹かないように、いつもいつも心から願っています。」そんな話をしました。低学年の子には少し難しかったかもしれません…よく分からず笑っている子もいましたが、さすがに上学年は、歌詞の意味を知って、歌に込められた家族や周りの大人の思いを分かって、少しじぶんの「命」について見つめ直してくれたようでした。

 

次に、にじ教室に通う外国にルーツをもつ子どもたちが、自分たちの国について紹介してくれました。母国語で流暢に説明してくれた後、それを日本語に翻訳してもう一度説明してくれました。翻訳がなかったら、私たちには、なにも意味が分からない説明になっていたと思います。よく考えてみれば外国にルーツを持つ子どもたちは、毎日よく意味の分からない日本語の説明ばかりを聞き、十分に翻訳もしてもらえない中で、それでも必死で理解しようと頑張っているんだということが再認識できました。にじ教室の子どもたちが、堂々と流暢に母国語で話す姿がとても格好よく見えました。彼らはすでにバイリンガルです。すごいです。彼らの母国の生活や学校について、大きな世界地図の中にまとめられたものが職員室前に掲示されました。日本との千賀がよくわかるようにまとめられています。ぜひ、見てあげてほしいと思います。

 


 最後は、各学級の代表者が、それぞれの人権作品(標語・ポスター・作文)を発表してくれました。特に、運動会の応援パネルづくりの時の「心の成長」を書いた6年生のYYさんの作文がとても心に残ったので紹介します。

 

「みんなで協力したパネル作り」

私は、運動会の準備で、「パネル作り」グループに入りました。もちろん最初は、みんなの意見がまとまりませんでした。「もっとこうがいい。」「これはいやだ。」など、自分の意見ばかり言って、ほかの意見を聞こうとしませんでした。私もその中の一人でした。他のグループはどんどん完成に近づいていくのに。私は、パネルを作る時間がいやになりました。ですが、ある時、自分の意見しか言っていなかった自分に気が付きました。周りには、私に負けず自分の意見を言っている人や、あきらめかけている人もいました。私は、以前の自分に後悔しました。ですが、後悔よりも、そのことに気づけたことのほうがうれしかったです。あのまま言い合いを続けていたらどうなっていたか、考えただけで怖くなってしまいます。私は、みんなの意見をたくさん聞きました。私の変化に気づいたのか、あきらめかけていた人も自分の意見を言っていた人も、みんなで協力するようになりました。

パネルに色をぬり始めたころ、私は改めてパネルの出来栄えを見ようとしました。ですが、パネルを見るよりも先に、みんなの真剣な眼差しに驚いてしまいました。もちろん、パネルの絵もすごく上手でした。私も、みんなのおかげで、やる気やうれしさが込み上げてきました。そして、運動会が終わり、パネルの前に立ってみると、パネルを作っていた一日一日が頭の中で音楽みたいに流れてきました。私は、パネルグループに入ってよかったと思います。パネルグループにいたみんなもそう思っていてくれるといいなと思います。

これからは、自分の意見も言うけど、相手の意見もちゃんと聞こうと思います。そのパネルは、今でもきっと光り続けていると思います。

 

運動会という大きな行事、ややもすると競技や演技ばかりに関心がいきがちですが、「応援」の中の一つの役割である「パネルづくり」に一生懸命取り組む中で、いろんな心の葛藤にもがきながらも、自分の心をひとつ成長させることができたと思えるYYさんが素敵です。

 

集会の終わりは、K先生が締めくくってくれました。「みんなが楽しく、幸せに学校生活を送るためには、『見えないもの』を見ようとする気持ちが大事である。」とまとめてくれました。見えているものだけに振り回されているようではだめですね。よく見ようとしなければ決して見えてこない「教室の仲間の気持ち」…そこがちゃんと見えてくると、みんなで支え合えるんですよね・・・。K先生の言葉が身に沁みます。今日の「友だち集会」の子どもたちの感想や、人権学習のまとめとして一人ひとりが書いた「人権宣言」が楽しみです。


15:58
2024/12/05

「北小絵本ボランティアさんによる『おはなし会』」

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昨日の昼休み、絵本の読み聞かせボランティアさんたちによる、第1回「おはなし会」を開いていただきました。この企画は、いつも「読書の時間」に各教室に絵本の読み聞かせに来ていただいているボランティアさんたちと図書司書のY先生、そして教頭先生が、普段の読み聞かせだけでなく、何か特別な読み聞かせイベントができないか…と考えてくださり、今回「ちょっぴりはやいクリスマス」と題して、「おはなし会」を開いてくださいました。会場の飾りつけは、前日の夕方、Y先生とスクールサポートスタッフのSさんが可愛く丁寧に準備してくれました。

昨日のロング昼休み。集まった子どもたちは低学年を中心として50人ほど…。初めての「スペシャルおはなし会」に、「何が始まるんだろう…?」とわくわくしながら待っていました。


クリスマスにちなんだ絵本の読み聞かせをしたり、お手製の紙芝居「ゆうしゃ(勇者)まさのりくん」を披露したりしてくださいました。ページがめくられるたびに子どもたちは、お話に引き込まれていき、「わあ~!」、「へぇ~へんなの~?」、「それはないわ~」などと自然と反応したり、突っ込んだりしていました。


お手製紙芝居「ゆうしゃ まさのりくん」は、イラストも全部手描きでとても手間がかかっていました。このお話は、完全オリジナルではなく、私(校長)が子どもの頃からある有名な絵本(お話)をなぞっているもので、主人公の名前を私(校長)にかえてつくりなおしたものです。

今回の「おはなし会」は、北小支援ボランティアの皆さんが中心になって実施してくださったことにとても大きな意味があると思っています。北小の学校目標は「みんなが楽しい!八日市北小学校」です。この「みんな」という言葉には、子どもたちや先生たちだけでなく、保護者の皆さんや地域の皆さんも含まれています。保護者や地域の皆さんも一緒になって…つまり、皆さんにもっともっと学校に関わってもらって、子どもたちのことを知ってもらい、「めざす子ども像」を共有しながら一緒に教育活動を進めていける機運を高めていきたいと思っています。めざすのは「地域とともに歩む八日市北小学校」です。

現在、常時、学校に関わっていただき、学校教育を支援くださっているボランティアさんは、絵本ボランティアさんをはじめ、外国人児童支援ボランティアさん、体育活動(ペース走大会、体力テスト等)支援ボランティアさん、家庭科(ミシン等)支援ボランティアさん、そしてスクールガード(安全見守り)さんなどです。

これからもっとこんなボランティアさんが増えていったらいいなと願っています。例えば、校外学習の引率ボランティアさんや昔遊びや昔の農作業を一緒にしてくださるボランティアさん、地域の貴重な教育資源(神社仏閣や史跡等)をガイドしてくださるボランティアさんなどなど…たくさんの保護者や地域の皆さんが学校に関わっていただけるといいなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 


13:52
2024/12/04

「寒風に負けず走り切る!~校内ペース走大会~」

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今日は、校内ペース走大会でした。朝早くから、体育部の若い先生たちが運動場の用意をしてくれていました。早朝勤務にもかかわらず、先生たちは笑顔で準備作業を進めていてくれます。そんな姿を見ていると、本当にただただ頭が下がります。


始業時刻の8時20分。校内放送で開会式を行いました。私(校長)からは、「自分のペースで、最後まで走り切ることを大切に頑張ってほしい。」という旨の話をしました。

ペース走大会は、子どもたちが校外の道(農道や歩道)を走りますから、交差点等での安全立哨が必要になるのですが、ここは地域のボランティアさん4名が支えてくださっています。寒い中、ほぼ半日ずっと、子どもたちの安全を見守りながら、懸命に応援をしてくださったと思います。本当に感謝感謝です。

 

今日のペース走大会、私(校長)は全校の子どもたちを全力で応援したかったのですが、市の校長会議があり、子どもたちのがんばりを見届けてあげることができませんでした。お昼ごろ学校に戻ってきて、廊下で出会う子みんなに「どうやった?がんばれたか?」声をかけると、どの子も「うん。めっちゃがんばった!」、「最後まで歩かんとゴールまで走ったで!」などととてもいい顔をして答えてくれて、ハイタッチをしてくれました。

保護者の皆様にも、たくさん応援に来ていただき、子どもたちも声援を受けて、練習の時よりうんと頑張れたと思います。

ただ、「大会」と名がつくと、子どもたちのがんばりの結果は「順位」という形で評価されがちです。「ペース走大会」と名称を変えた本来の目的を鑑みていただき、まずはどの子にも「最後(ゴール)まで走り切ったんだね。すごく頑張ったね。」と讃えてやってほしいなと願います。

まとめの話は教頭先生がしてくれました。以下、教頭先生のお話を掲載して、今日のブログを閉じたいと思います。

 

今日のペース走大会、皆さんどうだったでしょうか?風が強く、小雨も時折降り、コンディションとしてはあまり良くない日でした。そんな中、歯を食いしばって、最後まで走りきろうとする姿がたくさん見られました。3年生以上は、自分で走る距離を決めて行いましたが、決して速くはなくても長い距離を歩かず、走りきる姿が見られました。

朝の放送で校長先生からもお話がありましたが、今年から、マラソン大会でなくペース走大会と名前を変えて行いました。スポーツには勝ち負けを競い合うという面もありますが、もう一つは、健康づくりということを大切に考えてほしいと思います。

人生100年と言われていますが、健康で過ごすためには体力をつける必要があります。しかしながら、体力をつけられる期間というのは結構短くて、皆さんの年齢ぐらいから大学生ぐらいまでが一番つけられるといわれています。

今日でペース走大会に向けての取組が終了しますがこれからも体力づくりには取り組んでほしいと思います。体力をつける方法は普段の生活の中にたくさんあります。

外遊びをいっぱいするのは非常にいいことだと思います。これから寒くなっていきますが、できるだけ外遊びをしてほしいと思います。また、掃除を一生懸命頑張ることもいいですね。雑巾がけをなんどもやる、机をしっかりと持って運ぶなどもいですね。

これからも自分の健康のために体力づくりにがんばって取り組んでほしいと思います。


18:55
2024/12/03

「“涵養”って言葉が好きです~人権週間 人権絵本の読み聞かせ~」

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2週間の北小人権週間の間に、いろんな先生が「人権に関する絵本」を読み聞かせてくれる「読書タイム」が4回あります。今日はその3回目でした。人権について、子どもたちにしみじみとじっくり感じてほしい、考えてほしいという願いで、先生たちがそれぞれに「子どもたちに合う絵本」「子どもたちに伝えたい本」を選んで、各教室に読み聞かせに行きます。

でも、これらの本をそれぞれの先生が一から探すのは結構大変です。土日休み返上で図書館に出向き、たくさんの本から「これや!」という本を探し出さなければなりません。

 

しかし、その心配は無用。本校には学校図書館司書のY先生という強い味方がいてくれます。担当のK先生と連携して、あらかじめ「人権」に関わるあらゆるテーマの絵本を選び、職員室に期間限定の特別な書架を用意してくれます。おまけに、「いじめ」「命」「個性」…などのテーマごとに見出し(差込表示)まで入れておいてくれます。さらには、集めてきた人権絵本の一覧表(リスト)を作成し、それぞれの本の内容(テーマ)と対象学年について、まとめてくれています。

先生たちは、この書架とリストのおかげで、子どもたちにピッタリな絵本を選ぶことができるわけです。本当に「至れり尽くせり」で“ありがたい!”の一言に尽きます。「学級を担任する先生」や「授業する先生」たちだけでなく、子どもたちへの質の高い「教育(学び)」を支えるいろんな職種のスタッフによって、「チーム北小」は成り立っています。いつも北小はこの「チーム力」で勝負します。

私(校長)も、この書架のおがけで、とても素敵な本を見つけることができ、先日、1年生の教室で「わたしのいちばん あのこのいちばん」という絵本の読み聞かせをすることができました。

 十分練習して、還暦祝いに娘にデザインしてもらったスタバ風「KANREKIエプロン」をつけて、張り切って教室に乗り込みましたが、読み聞かせポジションで絵本を持った途端…字がよく見えない…いやほぼ見えない…。自分が「老眼」であることをすっかり忘れていました。ストーリーがぶれないように気をつけながら、アドリブで読む羽目になり、子どもたちにも、絵本の作者にも失礼なことをしてしまいました…。

 

今日は私(校長)の出番はなかったので、読書の時間は2年生教室を覗きに行きました。

1組では、にじ教室(日本語指導)のK先生が「世界の通学路」というお話を読み聞かせてくれました。いつも外国にルーツを持つ子どもたちに、日本語指導や学習支援をしてくれているK先生ですから、常に「世界」を意識していてくれます。「にじ」という教室の名前も、「この教室で学ぶ子どもたちが、世界のいろんな国をつないでくれる『架け橋』のような人に育ってほしい。」という願いを込めて、K先生自身が「にじ」と命名してくれました。


「世界の通学路」という絵本は、いろんな国の子どもたちの通学路や、登校の風景を紹介する絵本です。舟をこいで通学する子ども、道なき道を行く子ども、数十メートルの崖を上り下りしながら通う子ども、学校で使う水を家から水瓶を頭にのせて運ぶ子ども…教室の子どもたちにとっては驚愕の事実ばかりです。自分たちの「あたりまえ」や「ふつう」は、世界の子どもたちにとっては、全然「あたりまえ」でも「ふつう」でもないことを知りました。自分たちの幸せすぎる生活を実感できた子も多かったと思います。

となりの教室を覗くと、教務主任のH先生が、「ピンクがすきってきめないで」という絵本を読んでいました。「女の子らしく、とか男の子らしく、とかいうけど、その『らしく』ってどんなこと?」という内容の絵本でした。H先生は、子どもたちを惹きつけるのがとてもうまくて、どの子もH先生の読み聞かせに聞き入っていました。「どうして女の子は、男の子のものを好きになっちゃいけなくて、男の子は、女の子のものを好きになっちゃいけないの?」と絵本の主人公が親に聞いた場面では、思わず教室の子どもたちから、「確かに!」「そんなんおかしい!」という声が上がりました。好きなものや好きなことに、「男の子らしく」も「女の子らしく」もない…心の中で深くうなずいている様子の子どもたちでした。


絵本の読み聞かせって、学年を問わず、とても大切で、そして効果的な学びだと思っています。「みなさん、わかりましたか?」「はい。わかりました!」みたいな学びでなくて、子どもたちの心にゆっくりと、ゆっくりと沁みこんでいくような学びというか…少しずつ少しずつ、子どもたちにとって大切なことが、ゆっくりだけど、確実に心にたまっていく感じの学びというか…うまく言えませんが、…昔からある言葉に「涵養(かんよう)」というものがありますが、まさに「涵(うるお)しながら養っていく」という言葉がぴったりだと思っています。私(校長)の校門での挨拶や、下駄箱の整頓も、やっぱりこの「涵養」につながっていればいいなと願いながら、毎日続けています。少しずつ少しずつ、子どもたちの心に沁みこんでいくことを願いながら…。


16:04
2024/12/02

「『だいじょうぶ?』うれしかったよ、その言葉~北小人権週間~」

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11月25日(月)から12月6日(金)までの2週間を、本校では「北小人権週間」に設定しています。全国的、いや世界的には、12月10日の「世界人権デー」を含む12月4日(水)~12月10日(火)までを「人権週間」に定めているのですが、本校は「人権=みんなが安心して、幸せに生きられる権利」について、じっくり考えられる機会にしたいと、長めに2週間取り組むことにしています。



各教室前の掲示板には、子どもたちが「人権」について考えた標語(低学年)やポスター(中学年)、作文(高学年)が貼られていて、「人権」について全校で考える雰囲気が醸成されています。3年生の描いたポスターには、先日CAPプログラムを体験した際にファシリテーターの先生から教えてもらった「自分たちの大切な権利とは、安心・自信・自由である。」ということが、しっかりと心に残っていることが分かり、嬉しく思いました。

低学年の人権標語には、普段の何気ない友だちとのやり取りの中から、実はとっても大切なことに気づいてくれていることが嬉しかったです。「だいじょうぶ?」と心配してもらえること、友だちがそばでニコニコと笑っていてくれてること、話しかけてくれること、話を聞いてくれること…あたりまえのことだけど、それらはみんな「ありがとう」「だいすき」という気持ちさせてくれるもの。その大切さをかみしめてくれています。



高学年の作文には、「友だちの存在」のありがたさを改めて感じさせられたエピソードが綴られています。



6年生のORさんの作文は、「私は運動会が苦手だ。でも、小学校最後の運動会は、練習も準備も本番も全部楽しかった。」という書き出しから始まります。運動会の応援パネルを制作する担当だったORさんは、ある日、大切なパネルにうっかり墨をこぼしてしまいます。「どうしよう…みんなで一生懸命作ったのに。」と泣きそうになります。そんなにORさんに友だちは優しかった。「みんなはパネルのことより、私を心配してくれた。」…その時のORさんの気持ちがよくよく伝わってきます。

もうひとり、OSさんの作文は、「小学校生活で最後の運動会に出たかったのですが、体調不良で出られませんでした。悔しかったし、悲しかったです。」から始まります。しかしそのすぐ後に、「運動会の練習で、たくさんの思い出ができました。」と、運動会の取組が充実したものになったと自分で結論づけます。OSさんの作文は、苦手でしんどい組体操のことを中心に展開します。「…体の硬い私には、とてもつらい練習でした。…私の気持ちが動いたのは、…友だちの言葉を聞いた時です。『大丈夫?無理してない?』という気遣いの言葉や、『がんばれ!最後の運動会。かっこよくキメよう!』などの応援の言葉が心に響きました。それからは前向きな気持ちで練習に取り組めるようになり、体を動かすのが少しずつ『楽しい』と思えるようになりました。」…と、友だちの言葉で自分が前向きに、強くなれたことが書かれていました。

どの作品も、「人権」=「みんなが安心して幸せに生きられる権利」について、身近なところから考え直すきっかけを与えてくれる素敵な作品ばかりでした。

最後に、私(校長)がもっとも感心した3年生のSさんのポスターを紹介します。「自分のカタチは、自分で決める」…とても力強く、とても素敵な言葉です。あえて右斜め下向きに「自分」を描いていることがいいです。「自分は自分。みんなが決めた『自分』じゃない。自分らしさや、自分の生き方は、自分で決める!自分のカタチは自分で決める!」…すばらしい言葉ですね。


15:35
2024/11/29

「森の楽しさと大切さを知る~4年生やまのこ学習~」

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滋賀県では、すべての小学4年生が「森林の役割や大切さ」を学ぶ「やまのこ学習」に取り組んでいます。県が指定している「やまのこ体験学習施設」において、子どもたちがたっぷりと体験学習をします。県の事業なので、移動のバス借り上げ代は全額県が補助してくれます。今日は、4年生が「やまのこ学習」として、河辺いきものの森に一日出かけました。

本来、「森林の役割」には、①:水を蓄え、水害を防ぐ「水源かん養機能」、②:土壌の流出や土砂崩れを防ぐ「土砂災害防止・土壌保全機能」、③:二酸化炭素を吸収し、地球温暖化を防ぐ「地球環境保全機能」、④:生き物のすみかや生態系を守る「生物多様性保全機能」、⑤:音や風などを防ぎ、快適な生活環境を作る「快適環境形成機能」、⑥:健康増進や気分転換に効果的な「保健・レクリエーション機能」、⑦:行楽や芸術の対象としての「文化・教育機能」、⑧:木材やキノコなどを生み出す「物質生産機能」など、多くの機能があるのですが、もともと「河辺いきものの森」は、愛知川の氾濫(越水)に備える「防災林」の役割を果たしながら、同時に燃料としての木材や、食料としてのキノコや植物を提供してくれる「里山」として、この地域の人々の生活と密接な関係(持ちつ持たれつ)にあり、人々の努力によって保全されてきたという歴史があります。

現在の「河辺いきものの森」は、上記した「森林の役割」のうち、④:生き物のすみかや生態系を守る「生物多様性保全機能」という役割がメインの森ですが、子どもたちが四季折々の森の様子や、たくさんの「いきもの」の生態に触れられる貴重な学びのフィールドになっています。


午前中は、森の中を巡りながら「クイズラリー」をしました。いきものの森の専門員(先生)がいろんな「森の不思議」を教えてくださいました。「どんぐり虫はいつどんぐりに入るのか?」という問題の答えを、私(校長)はこの歳になるまで知りませんでした。実は、どんぐり虫の成虫である「ゾウムシ」がまだ青くて若いどんぐりに卵を産みつけているらしいのです。地面に落ちたどんぐりに、どんぐり虫が穴を空けて入っているのではなく、まだ樹の上にあるうちから、すでにどんぐり虫は潜んでいるわけです。穴の空いていないどんぐりを見つけて、「ラッキー!このどんぐり、虫入ってないわ。」と喜んでいた自分が恥ずかしいです。

午前中の後半は、子どもたちが「自分のテーマ(課題)」について、森を探索し、課題を探求していく「森探検」でした。「水辺の生きもの」に一直線の子どもたちや、キノコを探し回る子たちなど、それぞれに自由に活動していました。私(校長)は、森に生えている「ヤブニッケイ」という樹の葉っぱに興味を持ちました。葉っぱを折って嗅いでみると、「コショウ」というか、スパイシーな香りがします。「ニッケイ」は「ニッキ」のことらしいです。調べると、漢字では「藪肉桂」と書き、「肉桂」=シナモンです。いわゆる「月桂樹」の仲間です。いい香りがするはずです。「でもこの匂い、なんかどこかで嗅いだことあるなあ・・・。」と少しもやもやが残ります。「どっかで、嗅いだことあるよなあ…。あ~思い出せない。」


 ある女の子たちのグループがやってきて、「この葉っぱ、嗅いでみて。」と言うと、「なんかコショウみたいな匂いや。」、「緑の若い葉っぱは、レモンみたい匂いもする。」など、なかなか的確な感想を言ってくれる中で、一人の子が、「なんか虫よけの匂いがする…。」とつぶやきました。その瞬間、私の中ですごく「合点」がいきました。「そうや、そうや、そういう類の匂いや!」…私のもやもやは、その女の子の鋭い嗅覚のおかげですっきりしました。

 思い出したのは、「クスノキ(楠)」の葉っぱ。クスノキの葉っぱは、半分に折って割れ目を嗅ぐと、「樟脳(しょうのう)」の匂いがします。「樟脳」とは、昔タンスの中に衣類の虫よけとして入れてたやつです。いわゆる「防虫剤」です。キャンプで使う「虫よけキャンドル」なんかも同じような匂いがします。ということは、「ヤブニッケイ」も「クスノキ」も同じような仲間なのでは?…と予想できました。調べてみると、やはり「ヤブニッケイ」は「クスノキ科」の樹木でした。きっとこんなふうに、一つの疑問から、いろんなことが分かってくると、「探求学習って楽しいなあ。」と思えるんでしょうね。

午後は、里山の保全活動に取り組みました。この豊かな生態系を維持できているのは、日頃の地道な「保全活動」のたまものです。今日は、「竹林の間伐」と「木の葉かき」、そして「下草刈り」と「柴刈り」の4つの作業をグループに分かれて体験させてもらいました。


「森の中によく日光が届くように下草を刈ったり、地面の小さな花(植物)が木の葉に埋もれて育たなくなったりするのを防ぐために…。」子どもたちはその作業の意味をきちんと分かって作業していました。「昔むかし、あるところに…おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川に洗濯へ…」という桃太郎の冒頭のくだりの意味が、実感として初めて分かった子どもたちでした。

 

 

 

 

 

のこぎりで竹や小枝を切ったり、集めた柴をひもでくくったり…現代の日常ではなかなかできない体験をさせてもらって、子どもたちは午後の方が生き生きと活動していたように感じています。

河辺いきものの森の「もみじの林」には、永源寺からやってきたという、立派なイロハモミジの母樹があります。そのイロハモミジの紅葉が秋晴れの空に鮮やかに輝き、子どもたちの笑顔を照らしてくれていました。

 

 


17:52
2024/11/28

「本当に感心します…すごいです。~1年生の自習風景~」

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いつも授業中に校舎内をぶらついている私(校長)ですが、最近、「こりゃ、すごいわあ。めっちゃがんばってるし、めっちゃ素敵やわあ。」と感心した子どもたちの姿を紹介します。

それは、1年生の教室です。学期末に入ってきて、作品を最後まで完成させたり、テストやそのお直しをしたりする時間とかが増えてくるわけですが、そんな時はどうしても「すき間時間」ができてしまいます。つまり「手が空いた人は、本を読むとか、自分でできることをしていてください。」という感じの時間です。そんな時間に1年生が何をしているのか覗いてみると…たくさんの子たちが本を読んでいます。



 しかし、その読書の風景が、「えっ?これが本当に1年生の姿なの?」と思うぐらい、みんな集中して読書に入り込んでいます。動物のことについて書いた本の文章を、指で押さえながら、ちっちゃな声で一生懸命音読する子、とても1年生が読めるとは思えない「ちっちゃな字で埋め尽くされた文章ばかりの本」にくぎ付けになっている子が何人も・・・とにかく集中して、熱中している姿にびっくりしました。




それから、何やらひたすらノートに何かを書いている子たちもたくさんいました。ノートに自分で「テスト」を作って、自分で解答している子、外国人児童のZさんは、自分でひたすら「マンガ」を描き進めていました。しかも吹き出しはすべてベトナム語です。「わあ、これの和訳版を見てみたい!」と思ってしまいます。私(校長)は、自ら「ベトナム語」を勉強しようとはせず、通訳の先生たちに「これ、ちょっと訳してください。」と頼んでしまいますが、外国人児童の子どもたちは、日々、母国語ではない難しい「日本語」と格闘しています。子どもたちに頭が下がります。

子どもたちが「自由帳」に書(描)いているのは、もはや「お遊び」とか「お絵描き」ではなく、自分が大好きな「学習」であり、「作品づくり(制作)」なんだなと感じました。

 

 1年生が入学して約8か月…。園時代の生活から、小学校の「学校生活」に適応することは、そう簡単なことではないと思っています。「自分の机」「教科」「45分間の授業」「時間割」「集団(一斉)学習」、そして「授業規律」や「生活ルール」などなど、たくさんの「枠(フレーム)」に縛られながら学んでいかなければなりません。子どもたち一人ひとりは、それぞれにいろんな個性や特性をもっていますから、今の段階でもまだ「学校生活」「集団生活」に適応できない子どもたちがいて当然だと思っています。

そんな決して簡単ではない「学校生活」に果敢に挑み、たまにはけんかもして、しんどい思いや嫌な思いもしながら、それでも1年生は毎日毎日がんばってきました。

1年生の担任の先生や支援員の先生たちは、一人ひとりの子どもたちをめいっぱい愛し、子どもたちが安心して学べる学習(教室)環境を整え、学習規律を根気強く浸透させ…そんな惜しみない愛情のもとで子どもたちは安心し、そして今、子どもたちはそれぞれに「めいっぱい頑張れる自分」でいられるようになってきました。

園時代にめいっぱい「遊びこんできた」経験や、そこで手に入れた感性や甲斐性、そして人との関わり方…園時代に培ってきた「栄養やエネルギー」が、今ここにきて、一気に“芽吹いている”…そんな印象を受ける1年生の姿です。


14:59
2024/11/27

「自分たちで創る『みんなが楽しい!』~北小フェスティバル~」

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今日は、朝から何人もの子どもたちが、「校長先生~!知ってる?今日、たい焼きやで!」と声をかけてくれました。「今日、たい焼きやで!」…日本語的には、意味不明?な文章ですが、学校現場では悲しいことにこれで「すべて」通じてしまいます。正確に言えば、「今日、(給食のデザートに)たい焼き(がつくん)やで!」ということです。

いつも思うのですが、「今日の給食」というのは子どもたちの最大の関心事であり、珍しいものが出たり、子どもたちがお気に入りの「揚げパン」や「唐揚げ」、「カレーライス」が出たりする日は、必ず何人もが朝一に、「校長先生、知ってる?今日は〇〇やで!」と報告してくれます。

せっかく「たい焼き」の話題を振ってくれたので、「へーすごいな。ところでたい焼きは「つぶあん派」それとも「こしあん派」?」と聞くと、多くの子が「あんこは嫌やわ。わたし(ぼく)はクリームかチョコがいい。」と答えます。「あんこ嫌い」が多いのにも驚きましたが、「たい焼き=あんこ」で育った還暦じいさんの私(校長)にしてみれば、クリームやチョコのたい焼きっていうものに若干の違和感を覚えてしまいます。給食の検食で子どもたちより先に「たい焼き」をいただきましたが、昔ながらの「つぶあんのたい焼き」、そして「しっぽまであんこ有!」系のものでした。さて、子どもたちの反応はどうなるでしょう…?

さて、今日のブログの本題です。

今日のロング昼休みに、児童会のレクリエーション委員会が企画してくれた「北小フェスティバル」が行われました。これは、レクリエーション委員会の子どもたちが、大人(教職員)子ども(児童)を問わず、「遊びコーナーの設置」や「ステージ発表」をしてくれる人を募集し、たくさんの「有志」によって催される「北小まつり」みたいな企画です。今回は「ステージ発表」の募集はなく、「遊びコーナー」を広く募って、賑やかな「遊び屋台村」のような世界を創り出そうという趣旨のようです。

 

子どもたちの「主体性」が最大限尊重される、「子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのためのお楽しみ企画」なのです。しかし、「先生たちと子どもたちの一体感」をウリにしている本校なので、先生たちも黙っていません!先生たちや支援員さんも子どもたちの募集に自ら手を上げ、自分たちの遊びコーナーや体験コーナーを出典、運営してくれるわけです。この先生や支援員さんが運営する「お店」が、子どもたちのよい「お手本」となり、自然と子どもたちは「さらなるアイデア」や「運営の方法」などを学び、次の機会に取り入れ活かすことで、自分たちの「甲斐性」を高めていきます。

「北小フェスティバル」は、学校目標「みんなが楽しい!八日市北小学校」をめざして、子どもたちと先生たちが一丸となって、ドカ~~ンと開催する一大イベントであり、本校の誇るべき文化「北小プライド」の一つです!



 

今回の北小フェスティバルで出店があったのは、「腕相撲屋さん」「福引屋さん」「お絵描き屋さん」「千本引き屋さん」「モグラたたき屋さん」「バスケフリーシュート」「射的屋さん」「ボウリング屋さん」「クイズ屋さん」などなど全部で14のお店が並びました。レクリエーション委員会や高学年による出店だけでなく、3年生、4年生、そしてなんと2年生の子どもたちの出店もありました。

福引屋さんや、千本引き屋さん、モグラたたき(エイリアンバトル)などはその小道具(装置)が実によくできていて、子どもたちが入念に準備してきた努力がよく見えました。また、腕相撲屋さんでは、高学年と低学年が勝負する場面など、子どもたちの自然な交流の風景がほほえましかったです。

私(校長)が、「さすがやな。」と感心したのは、ボランティア委員会による、「プルトップ すくってピタリと当てましょう20g」ゲームです。ボランティアマンが、日頃の委員会活動を紹介しながら、集めている「プルトップ」を使って20gを量り当てるゲームを考えてくれました。結構な量をすくいとってもたかが20g。委員会が目標としている800kgには遠く及びません。「もっと、もっと頑張ってプルトップを集めなければ…」という気持ちを持ってもらうためのナイスな企画だったと思います。もちろん担当のK先生のサポートがあっての活動だと思いますが、回を重ねるたびにボランティアマンの数が増え、生き生きと活躍している姿を見ると、子どもたちの大きな成長を感じます。

 

また、先生たちが出店する「遊びコーナー」は、子どもたちのよい「お手本」になり、いい刺激を与えてくれる素晴らしい「遊びコーナー」でした。恒例となっている「コクランド」、K先生がいつも一人でアイデアをひねり出し、一人で運営してくれています。「こんなものを使って、こんな遊びができるんや…」、「こういうふうに記録を残していったら、順位も分かりやすく表示できるな…。」など、学ぶべきところがたくさんあります。さらに、支援員のI先生とN先生が開いてくれる「おもちゃづくり」のコーナーはいつも子どもたちに大人気です。いつも行列ができるので、今日は特別支援アシスタントのN先生がお手伝いに入ってくれました。「こんなものでこんな楽しいおもちゃができるんだよ。」という「ものづくり」の楽しさを教えてくれる貴重な機会です。作ったおもちゃでうまく遊べない1年生の子に、高学年の子たちが「まずこうして、それから20回くらい回して…」と教えながら遊んでやっている姿があってとてもうれしく思いました。

 


「楽しいこと」は、誰かがあたえてくれるものではなく、待っていればやってくるものでもなく、「自分たち自身で創り出していくものなんだ」という主体性を育ててくれる「北小フェスティバル」だと思っています。先生たちも、「子どもの自主性を大切にする」という大義名分のもと、すべてを子どもに任せっぱなしにするという構えではなく、「子どもたちの活動の質を高める(学びを深める)ために、自分たちが教えるべきこと、示すべきこと、そっと支えるべきことは何なのか。」をいつも意識して、自分の出番や立ち位置を考えてくださっています。その陰ながらのサポートに感謝しています。

 これからも、北小のよき「伝統」「校風」として、子どもたちに受け継いでいってほしいと心から願っています。


14:57
2024/11/26

「本物にふれる体験レイラック滋賀FC&東近江バイオレッツ体験授業」

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本校は、教育方針のひとつの柱に「体験と関わり」を掲げ、特に子どもたちの「本物体験」を大切にしています。5,6年生の「ものづくり体験教室」をはじめ、6年生のキャリア教育として取り組んでいる「夢訪問」、4年生の「もりのこ体験学習」などもその一環です。

先日の19日(火)には、サッカーのプロリーグである「レイラック滋賀FC」の選手の方々にお越しいただき、5年生の子どもたちに「サッカー体験教室」を開いてくださいました。


プロサッカー選手の「本物」のボールさばきに魅了されながら、子どもたちはサッカーの魅力に引き込まれていきました。すでにサッカーのスポ少等に入っている子も、今までサッカーボールを触ったことのない子も、一緒になってサッカーのゲームを楽しみました。正確に言うと、プロの皆さんが、どの子もゲームが楽しめるように、うまくボールをコントロールしてくださったり、雰囲気を盛り上げてくださったりしたおかげなのですが…。サッカーをやっている子どもたちにとっては、憧れであるプロ選手のスキルの高さを目の当たりにすることによって、より憧れや目標意識が高まったと思います。また、今まであまりサッカーと縁のなかった子どもたちには、サッカーというスポーツの楽しさをちょっぴり味わえた体験教室になったと思います。

 

また、21日(木)には東近江市を拠点に活動されている女子硬式野球チームの「東近江バイオレッツ」による野球教室が行われました。これは、毎年、市内の小学4年生を対象に行われているもので、女子の野球チームですが「野球人口の裾野を広げる」目的で活発に活動されています。

 当日は、バイオレッツから4名の方が来てくださいました。運動場に小型のバッティング用ネットやストラックアウトの台が設置されているのを見て、4年生の子どもたちはとても興奮していました。4年生は野球をやっている子が少なく、ほとんどが野球初心者ですが、バイオレッツの選手の皆さんが、子どもたちが楽しめるように、いろいろ工夫しながら指導くださったおかげで、子どもたち一人ひとりが「打つ」・「投げる」体験をさせてもらいました。

 

 

滋賀県には、「うみのこ」「やまのこ」「たんぼのこ」の体験学習や、びわ湖ホールでの音楽鑑賞、また「びわ湖一周環状線」事業など、子どもたちのための豊かな体験学習があり、滋賀の子は本当に子どもたちは恵まれているなあと思います。また、東近江市独自でも、今回のようなスポーツ体験事業や、行政(市役所や関係機関)の出前授業、体験学習補助金制度等が充実していて、本当に恵まれた環境で子どもたちが学べることに感謝したいと思います。もちろんそれらは「おんぶにだっこ」的なものではなく、学校の先生たちが、その目的や実施時期を吟味しながら、教育計画に組み込み、いろんな打ち合わせや準備を経て、これらの体験学習が子どもたちの「生きる力の育成」につながるように日々工夫努力してくれていることにも敬意を表したいと思っています。

 今回のスポーツ体験教室で、一人でも多くの子が、スポーツに興味を持ち、これからの自分のスポーツライフの一助になればいいなと願います。


11:53
2024/11/25

「子どもたちの気持ちが嬉しすぎて…幸せです~2年生からの手紙~」

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先日、たくさんの2年生の子どもたちが、校長室まで来て、私(校長)にお手紙をくれました。


実はだいぶ前に、2年生が私(校長)に手紙を書いてくれるみたいな雰囲気になっていることは分かっていました。あれは、国語か生活の時間の時間だったでしょうか…。国語の学習で「お礼の手紙を書く」という単元があって、生活科の学習で校外学習に行ったり、見学させてもらったりしたところにお礼の手紙を書こうという授業の流れでした。その時、たまたま私(校長)は教室を覗いていたのですが、ある子が「お礼の手紙やったら、わたし、校長先生にも書きたいわ。」と言い出したのがきっかけで、「毎日、靴そろえてもらってるし、いつも校外学習についてきてもらっているし…。」、「校長先生は1回だけ違うもんな。毎日やもんな…。」とあちこちから聞こえてきて…、何とも照れ臭く、穴があったら入りたいみたい気持ちになって、そそくさと教室を後にしました。

 

 

あれから一週間ほど経ったでしょうか。今日、みんなニコニコしながら、本当にいい顔をして校長室を訪れてくれました。私(校長)が、一番驚いたのは、子どもたちがどの子もとても丁寧な字で、しっかりとした文章でお手紙を書いてくれていたことです。「お礼状(お礼の気持ちを伝える手紙)」という意味をきちんと分かって書いてくれていることが感心することであり、嬉しいことでした。また、私(校長)が毎日していること、そしてその意味をきちんと分かっていてくれることが感じられて、それがまた嬉しかったです。

私(校長)は、「2年生のみんなは、いつもきちんとルールを守って、落ち着いて行動できていることがとてもいいと思います。それに、みんな、『書く力』がしっかりとついてきて、このお手紙も、それから校外学習の時の「メモ」もしっかりと取れていて、すごいなあと思っています。「書く力」については、めいっぱい自信もっていいですよ。」と、話すとどの子も私の顔を見て、ニコニコと自慢げな顔をしていました。2年生の子どもたちの優しい気持ちと、成長が感じられる素敵な「お礼の手紙」でした。

2年生のみんな、本当にありがとうございました。


14:22
2024/11/22

「仲間との想い出づくり・絆づくり~6年校外学習in荒神山~」

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昨日、6年生が彦根にある荒神山自然の家に校外学習に出かけました。本来6年生に秋の校外学習はないのですが、毎年行われている布引スタジアム(陸上競技場)での市内児童陸上記録大会が国スポ・障スポの関係で実施できなくなったので、その代わりにということで特別に校外学習を実施することにしました。

彦根市立荒神山少年の家は、数年前までは「滋賀県立荒神山少年自然の家」という県教委主管の施設でしたが、今は彦根市に移管され、「彦根市荒神山自然の家」になっています。実は私(校長)は、平成17~19年度の3年間「県立荒神山少年自然の家」時代に勤務していて、子どもたちや親子の野外活動(キャンプやアウトドアクッキング)の指導や、子どもたちの仲間づくりの仕事をさせてもらっていました。中でもPA(プロジェクト・アドベンチャー)というアメリカ由来のチームづくりの手法のライセンスを取得して、PAの活動を通して学級集団のチームワークの向上、高校の部活動や生徒会役員組織のチームビルディングに関わる仕事に力を入れていました。

今回、久しぶりに荒神山でのPA活動を通して、6年生の子どもたちのチームワークづくり、絆づくりを行うことになりました。荒神山自然の家の皆さんに、かなり無理をお願いして、PAプログラムを提供、そして指導をしてもらえることになりました。荒神山のPAトレーナー全員(3名)に指導してもらえることができ、6年生の各学級を2チームずつに分けて、合計4チームでPAプログラムを行なうことができました。一人足りないPAトレーナーは、私(校長)が担当することにしました。一つの学校にスタッフが3名もついてくださるのも「特別」ですし、午前中、子どもセンターの体育館を借り切って、しかも減免(無料)で使わせていただいたことも「特別」でした。「今日は『特別』だらけですよ。そのことを分かって、有意義な一日にしてくださいね。」と子どもたちに話しました。

 

午前中前半は、簡単なゲームを通して、子どもたちの緊張をほぐしたり、みんなで仲良く遊び、楽しめたりできる雰囲気づくりを進めていきます。次第に、活動に慣れてきて、子どもたちの距離(身体・心)が縮まってくるにしたがって、チームで協力して挑戦する「課題解決型のゲーム」に移っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4チームに分かれていますので、それぞれのチームで挑戦するゲームも違いますが、私(校長)が担当する6-2Bチームでは「仲間とのつながりと一体感!」をテーマ(目的)にたくさんのゲームに挑戦しました。「男子も女子も関係なく、チームとしての力が最大限になるようにそれぞれが、力を発揮し仲間と支え合う」ことができるチームにしようという意識を高めていきました。

 

午後は、荒神山自然の家に移動し、「エレメント」という大型装置を使った冒険的ゲームに挑戦しました。「冒険的要素」が強いのがPAの一つの特徴で、仲間との信頼関係を高めていくことで、「できるはずがない」という意識を、「できるかもしれない」そして「絶対できるはず!」に変えていきます。


 

「ジャイアントシーソー」という木製の大きなシーソーに20人が乗り、バランスを取りながら人が移動したり、両端にかたまったりします。微妙なバランスの崩れだけで、シーソーは傾き、「ガタン!」とアウトになります。「モホークウォーク」は、ケーブルの上を綱渡りしていくチャレンジです。チャレンジの目的は「自分が渡り切ることではなく、チーム全員が渡り切ること」ですから、互いに手を取り合い支えながら綱渡りをしていきます。


 

「ニトロクロッシング」は、ターザンロープを使って全員が、向こうにある島に乗るというチャレンジです。「ターザンロープでビヨ~ンと行くだけやん。」と思うかもしれませんが、輪っかにかけた足がなかなか外れなかったり、ビヨ~ンといった先に乗るスペースがなかったり…、個人の力では何ともなりません。仲間でサポートし合いながら、仲間のためにぐっとこらえながら、1m四方の台(島)に20人が乗っていきます。「1m四方に20人が乗る?…絶対無理やん!」とはじめ思っていた子どもたちは、いつしかみんなでつながり合い、肩を組み合い、しがみつき合い、最後はやってのけてしまうのでした。

難関チャレンジを突破した子どもたちは、何とも言えない達成感と一体感を、仲間とつないだ手、組んだ肩、しがみき寄せ合った体から感じます。先日校門を掃除してくれたSN君の振り返り日記には、「この仲間でよかった。みんなありがとう。」と書き綴られていました。

つないだ手のぬくもり、寄せ合った体の温かさと力強さ…仲間と本気になれば、「たいていのこと」は絶対やり遂げられる…そんな思いを持っていてくれたらうれしいなと思います。

 

 

 

 

 


13:12
2024/11/21

「すみれマルシェ開店!」

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昨日、学習参観日に合わせて、お昼休みにすみれ学級による「すみれマルシェ」が開かれました。すみれ学級の子どもたちが、生活単元学習の一環として取り組んできたもので、自分たちが菜園で育てたさつまいもや、自分たちで作ったブローチやマグネット、和紙を色染めし、それをクリアファイルやしおりなどに加工した商品を売るお店を開きました。

 


畑で野菜を育てるのも、いろんな創作活動をするのもすみれ学級の大切な学習です。そして、お店を開き、お客さんに対応することでコミュニケーション能力を育てます。保護者の皆さんにお客さんになってもらい、子どもたちは、「いらっしゃいませ!」、「おいしいお芋はいかがですか?」と積極的に声をかけながら、商品を買ってもらおうと一生懸命になっていました。



商品が売れていくと、残った商品を見栄えよく並べなおしたり、「おススメはこれです!」と勧めてみたり…慣れてくると自分たちで工夫できるようになりました。

お客さんに商品を選んでもらったら、案内係さんがいて、レジコーナーまで案内してくれます。レジコーナーには、レジ係(代金計算や代金の受け渡し)と梱包係さんがいて、代金を計算し、お釣りを渡し、買ってもらった商品を袋詰めして、お客さんに渡します。最後に「ありがとうございました!」と爽やかにお礼を言います。

 

 

 

自分の作ったものをお父さんやお母さんに買ってもらえた時の子どもたちの満足そうな表情がとても印象的でした。



20:18
2024/11/20

「谷川俊太郎さんを偲んで」~写真なしのブログですが…~

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今日の朝も気温が低く、寒い朝になりましたが、昨日みたいに“北風びゅんびゅん”ではないので、体感的にはあまり寒くありませんでした。今日は、低学年の子たちに「校長先生の手、温めてあげよう。」と言われなくていいように、ちゃんと手袋をして子どもたちの登校を迎えました。

みんなより少し早く登校した6年生のSNさんが、校門の門扉の溝にたまったゴミや砂を見つめ、しばらく指で集めた後、掃除用具倉庫からほうきや塵取り、溝からゴミが掻き出せるような細めの棒をもってきて、一人でせっせと掃除し始めました。たくさんの子どもたちが校門をくぐっていく中、一人で黙々とゴミや砂を掻き出し、塵取りに集めてくれました。

ずいぶん前に、一度だけSNさんに「暇やったら溝の砂を取ってくれるか。ほうきや塵取り用意するし、お願いしていい?」と頼んで、掃除をしてもらったことがあるのですが、SNさんはその時のことを鮮明に覚えているのでしょうか、今日は自分ひとりですべてを完結してくれました。SNさんの奉仕の心、自主性、行動力がとてもうれしくて、とても気持ちのいい朝になりました。

 

ところで、今日の朝刊の一面にとても悲しい記事を見つけました。「谷川俊太郎さん死去」…。悲しいことですが、老衰のために亡くなられたということで、心には「今まで数々の素晴らしい作品(詩)をありがとうございました。たくさん楽しませてもらいましたし、生きるということについて、たくさん考えさせられました。本当にありがとうございました。」という感謝の気持ちも大きい気がします。

谷川俊太郎さんの作品は、今まで国語の教科書にたくさん載っていました。また、子どもたちと音読を楽しむために谷川さんの作品をよく読みました。特に、「ことばあそびうた」という、ひらがなだけでかかれたリズミカルな詩に子どもたちは夢中になり、早口言葉のように、何度も何度も口ずさみ、延々と唱え続けるほど人気の詩でした。

 

ののはな  はなののののはな はなのななあに なずななのはな なもないのばな

 

かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた

 

いるかいるか いないかいるか いないいないいるか 

いつならいるか よるならいるか またきてみるか

いるかいるか いないかいるか いるいるいるか 

いっぱいいるか ねているいるか ゆめみているか

 

平仮名ばかりで読みにくいことこの上ないのですが、一度覚えてしまうと、そのリズミカルで、まあるくやさしい言葉の響きの虜になります。いつの時代も子どもたちが大好きな詩です。

それから、前まで6年の国語の教科書に載っていた(今の東京書籍の教科書には非掲載、光村図書の教科書には現在も載っている)『生きる』という詩は、卒業を間近に控えた6年生の心に強烈なインパクトを与えました。どの子にとっても、生まれて初めて「生きる…生きているとはどういうことなのか。」を真剣に考える機会になったはずです。

 

生きる        谷川俊太郎

 

生きているということ  いま生きているということ

それはのどがかわくということ  木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ  くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ  いま生きているということ

それはミニスカート  それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス  それはピカソ  それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして  かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ  いま生きているということ

泣けるということ  笑えるということ  怒れるということ  自由ということ

 

生きているということ  いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ  いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ  いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ  いまいまが過ぎてゆくこと

 

生きているということ  いま生きているということ

鳥ははばたくということ  海はとどろくということ

かたつむりははうということ  人は愛するということ

あなたの手のぬくみ  いのちということ

 

第1連では「生きているとは生体反応である」、第2連では「生きているとは美しいものに出会うこと、そして隠れた悪をこばむことである」、第3連では「生きているとは感情表現を自由にできることである」、第4連では「生きているとは他者と世界を認識することである」そして最後、第5連では「生きているとは命そのものであり、それぞれの命はみなつながりあっていること」が、淡々と「~ということ」という語りで綴られていきます。

この詩は、子どもだけでなく大人にも、生きることの意味を問い直し、心の豊かさを取り戻す機会を提供してくれる貴重な作品と言えます。生きていることの有難さを、改めて感じさせてくれるすばらしい詩だと思っています。谷川俊太郎さんの詩からは、本当にいろんなことを学ばせていただきました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


12:50
2024/11/19

「自分のペースで走り切る ~校内ペース走大会 試走~」

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今日は一段と冷え込み、校門(昇降口)には朝から冷たい北風が容赦なく吹きつけていました。

防寒着は着ているものの、手は凍えてきますし、鼻水がちょちょぎれます。

子どもたちにいつも通りあいさつしながら、「今日はほんまに寒いなあ。手がめっちゃ冷たいわ。」などと話しかけていると、低学年の子たちが、私(校長)の手を握ってきて、「ほんまやぁ。めっちゃ冷たいやん。私の手、温かいから温めてあげるわ。」、…「私もあっためてあげる。」と二人の子がしばらくの間手をこすりながら温めてくれました。おじいちゃんと孫のようなやり取りですが、おじいちゃん(私)はこんなことでも最近涙腺が緩みます。

 

さて、今年度「校内マラソン大会」から「校内ペース走大会」と変更した持久走の取組…「長い距離を走り順位を競う」のではなく、「適切な距離を同じペースで走り切る」ことを目的にし、中休みの「行間ペース走」などの取組を始めています。子どもたちの中には、従来の「校内マラソン大会」を楽しみにし練習を積み上げてきた子どもたちもいますので、今年度と来年度の2か年は移行期間として、従来の「長い距離のコース」と、学習指導要領の指導内容にあった「適切な距離のコース」の2コースから、子どもたちが自分で選択して取り組むことになっています。


そして、今日は「校内ペース走大会 試走」の1回目。全学年が実際のコースを走りました。

中学年から試走しましたが、驚いたのは従来の「距離の長いコース」を選択した子が多いことです。長距離走が得意でない子(どちらかと言えば苦手)も結構いるので、一人の子に「なんでこっちのコースにしたん?」と聞くと、「長い距離でも自分のペースで最後まで走り切りたいねん。」と答えてくれました。その子は、順位は最後でしたが、ゴールした後、はあはあ言いながら、「ぼく、歩かんと走れたし。」と答えた満足そうな表情に、とても力強さを感じました。

また、初めて挑戦する1年生の子どもたちのがんばりにも驚かされました。まだ十分にコースやペース配分も分かってないだろうに、ほとんどの子が歩かずに最後まで走り切っていました。あの運動会を全力でやり切った自信がエネルギーになっているのか、どの子も「ぼく(わたし)は、最後までがんばる!」という表情で、私の前を走りすぎていきました。入学してまだ一年もたってないのに、本当に力強くたくましく成長しているなあと感心しきりです。

 

最後は、高学年でした。特に6年生は、子どもたち一人ひとりの「自分の目標」を明確にして試走に挑んでいる気概みたいなものを感じました。従来の「長距離コース」を選択した子どもたちは、やはり今までの「マラソン大会」と同じ「真剣勝負」って気持ちで挑んでいるなという感じがしました。しかし中には、「私たちは、長い距離も『楽しく走る!』をめざしています。」と笑顔で言って、自分のペースで走り続ける子たちもいて、それぞれの目標に向かって、それぞれ一生懸命にペース走に向き合っている姿がとても素敵だなと思いました。

どの子にとっても、「自分は、自分なりに精一杯がんばれたな。楽な方に逃げないで、弱い自分に負けないで、ちゃんと自分としての全力尽くせたよな。」と満足できるような校内ペース走大会になるといいなと願います。

 

 


17:22
2024/11/18

「『なぜ?』から始まる探求学習 ~自由研究 県科学賞受賞!~

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この度、本校4年生のKSさんの研究「鉛筆の種類のひみつ」が、第78回滋賀県児童生徒科学研究発表会に、東近江市代表児童として出場し、第68回滋賀県学生科学賞県展と合わせて、賞(表彰状)をいただくことになりました。 

本校児童が東近江市代表として、大きな舞台で研究の成果を発表できたことは、本当に素晴らしいことであり、本校の誇りでもあります。KSさん、本当におめでとうございます。

昔から、夏休みの課題の定番だった「自由研究」。他にも「自由工作(アイデア貯金箱)」や「読書感想文」などが誰もがくぐってきた「夏休みの宿題」だと思います。私(校長)が子どもの頃は、これらすべてが「宿題」として出されていましたが、今は「選択制の宿題」になっている方が多いような気がします。特に「科学自由研究」については、年々取り組む子どもが少なくなりました。「理科離れ」という言葉の表れの一場面かもしれません。「科学自由研究」は確かに、子どもたちにとって少々ハードルが高い課題かもしれません。「なぜだろう?」から始まって、もった疑問を解決するために、どんな「実験」をすればいいのか、それをどう「分析」し、「まとめ」ればいいのか、最後にそれらをどう「表現・発表」すればいいのか?・・・「探求心」を持つところまでは、いいのですが、それをどう「調べ」、どう「分析」し、どう「まとめ」、「表現」するのか・・・最後まで完結するには「思考力」「判断力」「表現力」等たくさんの力が必要になります。正直、この研究の過程をすべて経るためには、子どもの「甲斐性」に合わない部分は大人がサポートする必要もあるでしょう。お家の方もある程度覚悟を決めなければなりません。

そういえば、私の長女が小学生の時「アリの研究」にはまっていて、「アリの集団行動を追う」目的で、何百匹というアリのお尻に「蛍光インク」をつけるのを一日中手伝わされた記憶があります。また、三女が「クモの巣をぶっ壊したらどうなるか?」という自由研究をした時は、娘が壊したクモの巣が、クモによって修繕されていく写真を、定点で何百枚も撮らされた記憶があります。「娘たちの研究のため」とはいえ、一日中、また何日も付き合わされるのはしんどかったですが、現在の娘たちの仕事ぶりを見ていると、子どもが小さい時に、それをしてあげておいてやっぱりよかったなと思います。

 

さて、KSさんの研究に話を戻して・・・。まず、KSさんが「なぜ?」って思ったことが、とても日常的で素朴なところがいいなと思います。確かに鉛筆と言えば、小学校では「Bか2B」が定番です。この「あたりまえ」を改めて「なんで?」と思うところからKSさんの「探求学習」が始まります。「そもそもBとか2B以外にどんな種類があるのか?」、「それらの違いは何?」、「実際いろんな種類の鉛筆を試したい!」、「結局、一番使いやすいのはどれ?」・・・KSさんの「探求」はどんどん広がります。


「実験」の方法を考え、それぞれを比較するときは「条件をそろえる」という実験の鉄則も頭に入っています。このへんは学校での「理科」の学習が活きています。

実際に字を書いて比べる時には、「1学期に習った漢字82字」を書くっていうのが、漢字の復習にもなっていて、効率的というか、抜け目がないというか、とにかく素晴らしい!

実験して分かったことを、表にまとめたり、グラフにしたり…算数で習ったことも活用させながら、「結局、どの種類の鉛筆が総合的に使いやすいのか?」という自分の課題に迫っていきます。


 

 

「小学校で使う鉛筆はBか2Bがふさわしい」という学校の「あたりまえ」について、自分で徹底的に調べ、自分自身で「Bか2Bが最も使いやすい!」という最適解(納得解)を導き出したことが何よりも価値ある学びだったと思います。

 ちなみに、「小学校ではなんでシャープペンシルを使ってはいけないの?」という質問をされますが、この質問については、私(校長)は明確な「最適解」をもっています。それは、「鉛筆を使う方が、筆圧にも気をつけないといけないし、鉛筆を適度に回しながら常に先端が丸まらないように使わないといけないという『不便さ』が手先を器用にしてくれるから」です。「便利」だからいいとは限りません。「不便」だからこそ、後々役に立つ『不便益』というものがあると思っています。

 KSさんを校長室で「特別表彰」しました。拍手係で一緒に来てくれた友だちととてもいい記念写真が取れました。KSさん、本当におめでとう!


10:41
2024/11/15

琵琶湖一周環状線の旅~4年校外学習~

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今日は雨こそ降りませんでしたが、本当はスカッと晴れていてほしい日でした。なぜなら、4年生が電車に乗って、琵琶湖をぐるっと一周するのに、電車から見える「様々な素敵な滋賀」をしっかりと美しく見せてあげたかったからです。残念ながら朝から雲や霧が厚く、鈴鹿や比良の山々の稜線や、湖西線から見下ろす雄大なびわ湖の風景はぼんやりとしか見えませんでしたが、旅の後半、近江舞子あたりでは身近に美しい琵琶湖を望むことができ、子どもたちも車窓からその雄大さに見入っていました。








この「琵琶湖一周環状線の旅」は滋賀県が推奨している事業で、電車賃がかなり補助されます。おまけに、偶然にも今の期間、近江鉄道は「10円切符」が発売されていて、子どもは乗り放題10円で行けるので、かなり「お得な校外学習」になりました。



今回の校外学習で大事にしたかったことは、一つは、実際に電車で琵琶湖を一周することで、ふるさと滋賀の名所を眺めたり、湖東・湖北・湖西・湖南、それぞれの特徴に気づいたりすること。二つ目は、公共交通機関を利用する際のマナーをしっかりと守り、周り(=一般の乗客)に迷惑がかからないようにすることでした。





電車の中では、車窓からの景色を見ながら、「びわ湖一周クイズ」に答えたり、琵琶湖の風景を眺めたりしました。ただ、電車に乗っている時間が長く、集中力が切れてきて、いつの間にか電車の中が「公」であることを忘れ、学校での休み時間のように、動き回ったり、大きな声を出したりして、他の乗客の皆さんに結構な迷惑をかけてしまいました。



途中「近江高島駅」で下車し、高島市街にあるビレッジ館で「オリジナルキャンドルづくり」を体験しました。この体験は子どもたちも楽しみしていたようで、どの子も躊躇することなく、どんどん自分好みのキャンドルを作っていきました。この体験での子どもたちの積極性や創造性には、とても感心しました。工房の先生も、「この子たちは、自分のイメージを大切にしながら、自由に創作していくので見ていて気持ちよかったです。」とほめてくださいました。4年生のよさが生かされる創作体験ができてよかったです。







「明日、弟の誕生日やから、そのプレゼントにするね。」・・・、「こんなきれいな蝋燭、絶対火をつけられへんわ。ずっと、飾っとくね。」・・・そんな子どもたちの会話を聞いていて、とても心が温かくなりました。キャンドルづくりの後、みんなでひしめき合いながらおいしいお弁当をいただきました。お弁当を食べ終わるころには、キャンドルもしっかり固まって仕上がり、自分の作品を袋に入れ、壊れないように大事そうに手に持っている子どもたちの姿が印象的でした。



日頃から、電車に乗る経験もあまりないであろう4年生。電車の旅がどんなものになるか、電車の中でどう過ごせばよいのか・・・、事前に指導されていたとはいえ、実際に「びわ湖一周環状線の旅」を体験してみて、分かったことや感じたことがたくさんあったと思います。マナーなどではいろいろと「失敗」があったと思いますが、今日の体験をこれからの自分の生活に生かすことが今回の目的でもあるので、来週にまたしっかりと振り返りをしてほしいと思います。慣れない電車の旅、子どもたちはかなり疲れたと思います。この校外学習を金曜日に設定しておいてよかったと思います。土日しっかり休んで、また月曜日、元気な顔を見せてほしいです。
19:15
2024/11/14

「歯は一生もの ~1.3.5年歯科指導~」

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火曜日のことになりますが、この日は1,3,5年生を対象に歯科指導が行われました。学年ごとに歯科衛生士さんに来ていただき、各学年に応じた「歯科(歯みがき)指導」をしていただきました。

1年生は、第一大臼歯を観察することから永久歯について理解し、歯みがき行動につなげることをめあてに学習しました。乳歯が20本あることを自分で確認し、その奥に4本の第一大臼歯(6歳臼歯)が生えてきているか鏡を使ってじっくり見てみました。「あっ、この歯や~。もう生えてるわ。」、「私は、生えてないわ。まだこれからなんやな。」、「あっ、なんかちょっとだけ頭出してる・・・これからもっと出てくるんかな。」など、子どもたちのつぶやきを聞いているのが楽しかったです。後半は、歯の染め出しをして、染まったところがきれいになるように、ブラッシングの仕方を教えてもらいながら念入りに歯みがきをしました。多くの子が普段からしっかりと歯みがきができていることや、保護者の皆さんが、最後「仕上げみがき」をしてくださっていることがわかり、歯科衛生士さんも感心されていました。



 

3年生は、「歯の汚れ(歯垢)を確認し、歯みがき行動の意欲につなげる」ことを目標に学習しました。歯垢はバイ菌のかたまりであることや、磨き残しのところに歯垢がたまってくることを学びました。後半は、染め出しをして、自分の歯垢の状態をよく確認しながら、正しい磨き方で丁寧に歯みがきしました。1年生同様に、「日頃の歯みがきがしっかりしていますね。」と歯科衛生士さんに褒めていただきました。

 

 

最後は5年生の歯科指導です。「歯ぐきの健康を通して、自分の体は、自分で守れることを学び、歯ぐきの観察の習慣化を促し、正しい歯みがき習慣を身につける」ことを目標に学習しました。歯肉炎の原因について知ったり、歯ぐきのサインの見分け方を教えてもらいながら、染め出しの状況を自分で確認しながら、歯みがきをしました。歯科衛生士さんが、それぞれの子どもたちの葉や歯茎の状況を診て、アドバイスをしてくださいました。

 

私(校長)は子どもの頃から、口の中の健康管理や歯みがきをかなりいい加減にしてきたために、すでに数本の歯が欠損しています。失った歯は二度と元には戻りません。「なんでもっとちゃんとしてこなかったんだろう。」ととても後悔していますが、「時すでに遅し」です。

今の子どもたちは園時代から、確実に「歯科指導(歯や歯茎の健康を守る学習)」を積み上げてきています。だからこそ、私が子どもの頃に比べて、歯のことについてちゃんと関心が持てていますし、歯みがき習慣もきちんとしているのだなと感じています。自分の歯は一生の宝物です。子どもたちには、これからも高い意識をもって、自分の歯を守る知識と習慣を身につけてほしいと心から願います。

 


14:57
2024/11/13

「ものづくりの心を知る ~6年ものづくり職業体験~」

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今年度も滋賀県職業能力開発協会さんのご協力を得て、「ものづくりマイスター(プロ職人)」の指導のもと、6年生が「ものづくり職業体験」をさせてもらいました。滋賀県職業能力開発協会とは、いろんな職業の技能検定(国家資格)を行うところですが、「ものづくりの魅力」を伝え広め、「ものづくり」に関係する職業の後継者育成にも力を尽くされています。
今回、本校の6年生が体験させてもらった職業(ものづくり)は、「建築大工」、「造園」、「建築建具」、「板金」、「和裁・着付」、全部で5つです。子どもたちは、自分の興味に合わせて、いずれか一つの職業(ものづくり)をじっくりと体験させてもらいました。




 「建築大工」は、「タブレットスタンド」を作るために、木材の①寸法取り②のこぎりを使っての切り出し③釘打ち④やすり掛けのすべての工程を自分でやりました。直角が取れる「曲尺(差金)」という専用のものさしを使って、ミリ単位で切る位置(線)や釘を打つ位置の寸歩取りをしました。鋸を使うと当然おがくずも出ますが、その辺のこともちゃんとわかって、せっせと箒ではく子どもたちの姿に感心しました。






 「造園」では、立派な孟宗竹を用意してくださり、その竹を器にして、その中に「ミニ庭園」を造りました。「仕事」で一番大事なのは「安全」。職員の皆さんは、服装も手袋もきちんとされています。作業している間に暑くなってきて、Tシャツ姿になっている子がいましたが、「仕事の根本」が分かっていません。鉈(なた)を使って竹を縦に割りましたが、「鉈は危険だから使わさない。」ではなく、「鉈が危ないことをちゃんと分かって、安全に使う。」ことを大切に、子どもたちにきちんと指導してくださいました。子どもたちは、お好みの「庭石」や「植栽(花)」、「苔」などを選んで、自分なりに「ミニ庭園」をレイアウトしました。どの子もそれぞれに「趣」のあるミニ庭園が仕上がりました。家の玄関に置くととても様になりそうでした。




 
次は「板金」です。下絵に書いた「文字」の周りを叩いて凹ませることで、文字を浮き上がらせます。背景の余白は、「点描」のように小さなくぼみをすき間なくつけて、文字が強調されるように仕上げます。最後に銅板を磨き、額に入れれば完成です。丁寧さと根気のいる作業ですから、それぞれの子どもたちの性格がもろに現れます。銅板に凹みをつけるのはかなり力作業なので、しばらくやっていると疲れてきます。そこで作業が雑になる子と、あくまで細かく、均一に銅板を打ち続ける子に分かれてきます。作品をよ~く見ると、仕上がりの差が分かりますが、ぱっと見はどの作品もきれいでかっこいいので子どもたちは大喜びでした。


「建築建具」では、木材を格子状に組み立てて、紙を張り「ミニ障子」を作ります。木材を組み合わせるための溝はすでに職人さんが彫っておいてくださいます。木材の溝と溝を合わせて組み立てるのですが、これがびっくりするほど正確で、ピタッと少しの隙間も段差もなく、組みあがります。あまりにもピッタリはまるので、ある子が思わず、「わあ~、気持ちいい‼」と声を漏らしました。きっとこの「気持ちよさ」が建具仕事の魅力(醍醐味)だと気づいた瞬間でした。この「ミニ障子」は、単品でも飾りになりますし、みんなの作品を合わせてひとつの大きな「障子」の作品にもなってとても素敵でした。
最後は「和裁・着付」です。

きれいな和風柄の生地を使って、ポケットティッシュ入れを手縫いしました。着物を着た師匠(先生)が、丁寧に上品に教えてくださるので、会場の空気そのものが落ち着いた和室のような雰囲気を醸し出します。後半は着付け教室となり、全員が新品の浴衣を着せてもらいました。



子どもたちのために、これだけの体験とものづくりの材料を用意してくださる「ものづくりマイスター」の先生方には、本当に感謝しかありません。「子どもたちに『ものづくり』のよさを知ってもらいたい。」・・・その一心で、ここまで至れり尽くせりでやってくださることに、心からお礼申しあげます。
本来「ものづくり(職人)」の仕事の基本は、「習うより慣れろ」。師匠(先生)は何も教えてくれないのが普通です。「自分で師匠の仕事を見て、まねて、まねて、まねて・・・そして自分のものにする。」・・・それが仕事の基本です。そしてそれは、「学ぶ」姿勢の基本でもあります。「学ぶ」という言葉は「まねぶ」=「まねる」が語源です。親切丁寧に教えてもらって当たり前、できなかったら手伝ってもらうのが当たり前・・・そんな「学び方」に子どもたちが慣れてしまっているとすれば、それは本当の「生きる力」にはなりえないかもしれません。「学ぶ意味」や「学び方」のあり方を、子どもたちと一緒に考えながら「学校での学び」を充実させていきたいと思います。
18:45
2024/11/12

「滋賀の誇りであり責任でもある~5年フローティングスクール~」

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先週の話になりますが、6日(水)・7日(木)の2日間、5年生がフローティングスクールに出かけました。航海を共にしたのは、布引小学校と八日市養護学校、そして八日市北小の3校です。お天気は申し分なかったのですが、2日目は予想以上の強風と冷え込みで、かなり揺れる船旅と初冬のびわ湖の厳しさを、身をもって体験することができました。

そもそもフローティングスクールは、約40年前の昭和58年に始まりました。初めて乗ったのは今51歳の人です。つまり51歳以下の人で小学5年生を滋賀で過ごした人はほぼみんな、この「うみのこ」に乗船し、フローティングスクールを経験していることになります。今日までに「うみのこ」に乗船した5年生は、約63万人。数だけで言えば、およそ滋賀県の人口の半分弱になります。

フローティングスクール=「琵琶湖に浮かぶ船の学校」・・・こんな学校は全国で唯一です。(ちなみに近江八幡市の沖島は、「湖」に浮かぶ唯一の「有人島」で、これまた全国で唯一です。)日本一の大きさを誇る琵琶湖自身も、その湖上で40年間脈々と続いてきたフローティングスクールも、滋賀県の誇りだと思っています。

 

子どもたちにとってフローティングスクールは、とても「特別な校外学習」です。そう思えるのは、一つは、大きな学習船「うみのこ」に乗れること、2つ目に「宿泊」を伴うこと、3つ目に他の学校の友だちと同じ班で共に行動することなどでしょう。ドキドキワクワク・・・楽しみでもあり、ドキドキハラハラ・・・大変不安でもあり・・・とにかくフローティングスクールは他の行事とは一線を画す「特別なもの」なのです。

「うみのこ」の生活は、1日目は、琵琶湖大橋港からの出航見学に始まり、開校式→避難訓練→船内見学・昼食→寄港地活動「長浜タウンウォークラリー」→夕食・シャワー→夕べの集い(交流活動)→就寝。







2日目は、起床→荷物整理→朝食→びわ湖学習→昼食→船内掃除→閉校式→下船(琵琶湖大橋港)と、割とタイトな分刻みのスケジュールで進んでいきます。

今回の子どもたちの乗船人数は、八日市北小62人、布引小31人、八日市養護16人、合計109人でした。圧倒的与党の立場にある本校の子どもたちは、他の2校の子どもたちよりも気楽な気持ちでいられたことだと思いますが、今日まで全く知らなかった他校の子どもたちと、いきなり同じ船の中で過ごし、同じグループで一緒に活動しながら積極的に仲良くなるというのは、そう簡単なことではなかったようです。「うみのこ」ですることすべてが初めてのことで、活動自体にも緊張しますし、ましてや「知らない仲間」と一緒にすることはもっと緊張します。最初の昼食は、別に楽しくしゃべりながら食べればいいのに、なぜか「黙食」を指示されたかのようになっていました。長浜でのウォークラリーでも、なんとなく一緒にぞろぞろ歩いている感じはありますが、学校の垣根を越えて会話が弾んだかと言えばそんな感じでもなく・・・。

そんな子どもたちの「硬さ」が取れてきたのは、ウォークラリーから「うみのこ」に帰ってきた時に、できた「すき間時間」で班ごとに「びわこかるた」を楽しんだ時だったような気がします。班で円になり、「かるた」というとてもシンプルな遊びをする・・・これが意外に盛り上がり、子どもたち同士の距離を一気に縮めることになりました。夜の集いでは、「ボッチャ」というパラスポーツを班対抗でやったのですが、八日市養護学校の友だちも一緒になって、とてもとても盛り上がりました。

男子は全体で40人ほどですが、一番大きな部屋で「40人全員」が寝ました。おまけに男の先生たち(本校で言えば、T先生、H先生、M先生)も一緒の部屋で寝てくれました。おそらくこんな大勢で一緒に寝ることは人生において最初で最後になるでしょう。本当にいい思い出になると思います。引率の先生たちはみんな、部屋ごとに分かれて、全員の子どもたちが眠るのを見届けてから、就寝しました。特に女性の先生方には十分に休んでもらえず申し訳なかったです。

 

2日目は、「びわ湖」について学び、考える「びわ湖学習」がメインの活動でした。びわ湖の水や水道水の透明度(透視度)調査、魚の観察、プランクトン顕鏡、湖底の観察、プラスチックごみ調査、びわ湖の漁業と食文化の6つのテーマ学習にローテーション方式で取り組みました。びわ湖の現状や課題について、新たな発見や気づきのある価値ある学習になりました。

 




私(校長)は今まで10回以上フローティングスクールに同行していますが、いつもいつも思うことがあります。フローティングの最大の魅力は、普段の生活では絶対できない「びわ湖側からふるさと滋賀を眺められる」という貴重な体験ではないかと・・・。沖の白石や多景島を間近に展望できることや、びわ湖から見る鈴鹿や比良の山々の連なり、そして伊吹山。甲板の凛とした空気の中で眺める朝焼け・・・。びわ湖越しに見るそれらの風景は、滋賀の宝物です。感動するくらい本当に美しいです。



 

私(校長)の願いは、子どもたちに「びわ湖」や「ふるさと滋賀」を素敵だと思ってほしいこと。びわ湖や滋賀をめいっぱい好きになってほしいこと。そして、誇りに思ってほしいことです。

日本一大きな湖「びわ湖」・・・周りの山々からは460本ほどの川が琵琶湖に流れ込んでいます。びわ湖の水は、私たちの大切な命の水となっています。そして、瀬田川から宇治川へ、最後は淀川となって、大阪湾に流れ出ていきます。びわ湖の水は私たち滋賀県だけでなく、京都や大阪の人たちの大切な水、近畿1,300万人の「水がめ」となっています。そんなすばらしいびわ湖がある滋賀県に住んでいることは、私たちの自慢であり誇りです。それと同時に、我々滋賀に住む者には、この母なるびわ湖の美しさを未来永劫守っていく責任があります。大切なびわ湖を「預かっている」という認識を持つことが大切だと思います。大げさに言えば、その「誇り」と「責任」を感じるために、「うみのこ」フローティングスクールはあると思っています。

2日目は、木枯らしを思わせる「北西からの強い風」が吹きました。予定の航路を行くと強風を真横から受けることになり、船が大きく揺れるため、航路を変更し、長浜から一旦マキノ方向に北上し、湖西の岸を舐めるように南下し、途中白髭神社を展望し、琵琶湖大橋港へと船を進めていただきました。船長さんはじめ、船員さんやフローティング所員の子どもたちに対する「安心・安全」の意識と心遣いには感謝しかありません。

最後に、2日目の最高気温は12~13℃にしか上がらず、大変寒い日になりましたが、朝の空気の冷え込みと温かな湖面(湖水)との大きな「差」のおかげで、びわ湖の湖面に蜃気楼を見ることができました。長いフローティング経験の中で初めて見る「自然の奇跡」でした。最後に、蜃気楼の写真を載せておきます。びわ湖の水面から少し浮くような形で、どこかの街並み?木立の風景が見えています。

 

 


16:15
2024/11/11

「芸術の秋です!~校長の図工作品解説シリーズ③~」

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先週は、フローティングスクールや出張等、学校を留守にする日が多かったので、3日ほど校長ブログが途絶えてしまいました。今日からまた毎日更新を目指したいと思いますので、よろしくお願いします。「校長の図工作品解説シリーズ」も3回目。今回は高学年の平面作品の紹介です。

まずは、5年生の作品です。

 

「銀河鉄道の夜」の世界を描いた作品です。主役となる機関車をしっかりと描き、背景は幻想的、ファンタジックな宇宙を表現しています。背景の描くのに「スパッタリング」と言われる、目の細かい金網を歯ブラシ等で扱いて、絵の具を飛沫状に飛ばす技法を使ったり、「タンポ」を使って機関車の煙や輝きを表現したりしています。

5年生ですから機関車の重厚感のあるメカニックな部分はしっかりと描きたいところです。特に「車輪の部分」もしっかりと丁寧に描くことで迫力や躍動感が出ています。どうしても「寒色系」の色ばかりになりがちなので、そこにどう「暖色系」・・・黄、橙、赤、茶等を入れていくかが大事なポイントで、「機関車のヘッドライト」や「窓」に暖かい色を入れたり、機関車の一部分に暖色のラインを入れたりするとうんと絵が明るく、生き生きとしてきます。また、背景の色数が少ないので、「スパッタリング」の技法で、ピンクや紫色の「天の川」的なものを入れたり、綿棒を「タンポ」にして、橙や黄緑の「星雲」的なものを入れたりすると、銀河(宇宙)の世界がより幻想的でファンタジックなものになるような気がします。

最後は6年生の作品です。6年生はタブレットPCを持ち帰り、自分のお気に入りの風景を撮影して、その写真を見ながら風景画を完成させました。



私(校長)が若い時は、図工の授業時間数がもう少し多くて、一年に一回は必ず「写生会」をして、じっくりと時間をかけて風景などを描いていたのですが、「総合」や「外国語」などの新しい教科も入ってきた今、図工の時間数は減ってしまい、時間をかけて「写生」するような学習はしにくくなりました。逆に、ICTの活用が進み、理科の観察記録や、図工の描きたい「被写体」探したり、撮ったりする場面ではタブレットが活躍するようになりました。


さて、6年生の作品ですが、どれも大変丁寧に描かれていて、また水彩絵の具のよさである「透明感」のある着色ができているので、とても美しい作品に仕上がっています。

こういう作品づくりをする時に、一番気をつけなければならないのは、「自分の好きな風景」を写真に撮る時です。

「何が絵の主役なのか。」=「自分は何に心を惹かれたのか」、「何を中心に描きたいのか」が明確になってないと、「なんとなくきれいだけど、どこを見ていいかわからない」作品になってしまいます。一番分かりやすい構図の取り方は、「一番描きたいもの=近景(大きく)と、中景、遠景(小さく)」を取り込むような構図にすると、主役がはっきりしますし、画面に奥行きも出ます。「あれもこれも写真に取り込みたい。」と欲張ると結果的に、主役のぼけた平面的な寂しい絵になってしまいがちです。

「永源寺」を描いた作品は、永源寺の「静寂さ」を表そうとする作者の意図がはっきりとわかるので、これといった主役はないのに、心が惹きつけられる作品になりました。淡くて陰影のある着色が秀逸です。次の「神社」の作品は、神社の荘厳な雰囲気に、参拝する家族を取り込むことでとても温かな雰囲気を醸し出しています。もう一つの「神社」の作品は、神社の「歴史と美しさを感じる細工彫り」の部分に心惹かれたことがよくわかります。描きたいもの(主役)が明確になった作品だと思います。

高学年になると、子どもたちも「絵のうまさ」=写実性に関心が行きがちになりますが、「絵の主役」が引き立っている作品や「描きたい思い(気持ち)」が伝わってくるような作品がやっぱりいいなあと思います。

保護者の皆様、学習参観日に子どもたちの力作をじっくりと見てあげてください。


14:32
2024/11/05

「芸術の秋です!~校長の図工作品解説シリーズ②~」

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11月に入り秋らしい日が続いています。今週は明日から5年生のフローティングスクールがあるので、なんとか安定した「秋晴れ」を期待したいところです。

前回から始まった「校長の図工作品解説シリーズ」。今日は中学年の作品を紹介したいと思います。

 


最初は3年生の作品です。ネットの生きもの図鑑等を参考にしながら、「好きな虫をドカーンと描いてみた!」的な作品づくりです。絵の「主役」がはっきりしていますから、そこは細部までしっかり描きこんで、色付けも丁寧にしていきたいところです。難しいのは背景の処理です。主役の虫は図鑑を見てしっかり描写しましたが、その虫を「どんなところ(世界)」に置くのかは、子どもたちの想像力にかかっています。あまり具体的なものを、あれこれと欲張ってがっつり描きこむと、せっかくの「主役」がぼけてしまいます。主役が引き立つように考えながら、水彩絵の具のよさを生かして、透明感のある背景に仕上げたいところです。写真の絵は、下手をすると画面を汚してしまう「黒色」を使いながらも他の色とのバランスを考えて、すっきりと楽しい世界を描いています。何よりも「主役」がしっかり主張できているのがいいなと思います。

 

次は4年生の作品です。「虫眼鏡を覗いてみたら・・・」みたいなテーマでしょうか。私(校長)の経験則ですが、中学年の発達段階として、「細かなものを、画面を敷き詰めるようにいっぱい描きこむ」というのが得意な特性があるような気がします。根気よく、丁寧に描きこんで、自分の世界を広げていくというようなイメージです。そういった意味で、写真の作品は、その特性をうまく活かせた作品だと思います。思わず虫眼鏡の中の世界をじっくり覗き込みたくなります。そして、たくさん描きこまれた小さな一つひとつをじっくりと眺めていると、子どもたちが楽しんで「虫眼鏡の中の世界」を描き広げていった気持ちがよく分かります。また、4年生ですから「虫眼鏡」の描写や、それを持つ「手」の描写は、稚拙にならないようにしっかりとよく見て描きたいところです。

子どもの絵の作品というのは、描きたいもの=「主役」が、“ば~~ん!”と明確になっているものが迫力があって素敵だと思いますし、子どもが楽しみながら描いている風景や気持ちが見えてくるような作品が「子どもらしく、子どもにしか創れない」魅力的な作品だと思います。


14:26
2024/11/01

「芸術の秋です!~校長の図工作品解説シリーズ①~」

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ハロウィンの時期も過ぎ、今日から11月「霜月」に入りました。季節はすっかり秋らしくなり、今学校は図工の作品づくりの時期を迎えています。まさに「芸術の秋」真っ只中という感じです。教室や廊下の掲示板には、子どもたちの図工平面作品が貼られ始めています。

そこで、これから何回かに分けて各学年の子どもたちの作品づくりのポイントを私(校長)なりの解釈で解説していきたいと思います。

今日は、まず1年生の作品を紹介しましょう。


先日のブログでも紹介しましたが、「鼻の孔」から描き始めた運動会の絵です。どうですか、この迫力!運動会での「全力ぶり」が伝わってきます。クレヨン(クレパス)も力強くしっかり塗り込めて、いい作品に仕上がったと思います。

 次は同じく1年生の「ふしぎな世界の列車」?みたいなテーマの絵でしょうか。とても色鮮やかに、楽しい世界が描けています。1年生の子どもたちは、園時代にスタンピング(はんこあそび)やローラーを使った色遊びなんかをたくさん経験していいますから、しっかりとその辺のスキルは身につけています。その経験を存分に生かして、さらに列車は「スクラッチ」の技法を使って、黒色でしっかりと列車を描くのと同時に、不思議な世界の色とりどりの美しさを見事に表現できました。とっても楽しみながら絵を仕上げていった子どもたちの思いが伝わってくる秀逸作品です。

 

 

 

 

 次は2年生の作品です。

 


 2年生は、電車で出かけた校外学習の様子を絵で表現しました。あっさりとしたスケッチ的な作品ですが、それらの作品には子どもたちの様々な思いがこもっています。駅見学で見つけた電車やホームの「ひみつ」…例えば「点字ブロック」や「乗降位置のマーク」、「電車のヘッドマーク」などが、印象に残ったのでしょう。そのことをしっかりと伝えようとしています。また、「みんなで電車に乗ったんだ!」という気持ちをたくさんの子どもを描くことで表現しようとしています。子どもたちの「思い出」がいっぱい詰まった図工作品…個人的に私(校長)は大好きです。

 

 最後に、付録として…

 いつも季節に合わせた素敵な「書」や掲示物を作ってくださっているH先生。H先生の教室の前には、子どもたちの「これぞ秋!」というような美しい、また美味しそうな作品が飾られています。本当にセンスが良くて見入ってしまいます。次回は中学年の作品を紹介します。

 

 

 


13:06
2024/11/01

「いつもと違う朝の風景~ひとりの大きさ~」

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ここ2,3日、朝一番早く学校に来るのが私(校長)になっていて、警備システムを解除して学校に入るところから一日が始まります。普段は労務員のKさんが、6時半には学校に来て警備を解除し、学校の朝の支度をいろいろとしてくださっているのですが、事情があって連休明けまでお休みされているので、結果として、だれか他の職員が学校に来るまで学校は閉じたまま、眠ったままになっているということです。

日頃は、毎朝学校に出勤すると学校はすでに開いていて、子どもたちを迎えるために昇降口や校門がきちんと開けられていて、職員室にたくさんあるゴミ箱は全部空っぽになっていて、校舎の周りはゴミひとつない状態に整っていて、そして、私(校長)の机には、当たり前のようにその日の新聞が置かれていて…。そんな風景が毎日の「当たり前」だったのですが、Kさんがお休みされるとそのすべてが止まってしまいます。そしてようやく「そのことを誰かがやらないと、学校の一日が始まらない。」と気づかされます。


13:03
2024/10/31

「大切な権利、大切な自分を守る!~3年生CAPプログラム~」

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今日は3年生がCAPプログラムを行ないました。

CAP(キャップ)とは、「Child Assault Prevention=子どもへの暴力防止」の頭文字をとってそう呼ばれています。子どもがいじめ・虐待・体罰・誘拐・痴漢・性暴力など様々な暴力から自分の心とからだを守る暴力防止のための予防教育プログラムです。本校では、毎年、CAPスペシャリストの寺井さん、高橋さん、鶴野さんの3名にお世話になりながら、この参加体験型プログラムを実施しています。

 

このプログラムは、ロールプレイ部分と話し合い(振り返り)の部分に分かれています。最初に「権利」(基本的人権)について学びました。「生きるためにどうしても必要なもの」…食べること、寝ること、トイレに行くこと、家があること、愛情をかけてもらうこと…、子どもたちが考えた「権利」の中で、“子どもの特別に大切な3つの権利「Safe(安心)、Strong(自信)、Free(自由)」について学びました。

「大切な自分の権利」(人権)について学んだ後、特別に大切な3つの権利安心・自信・自由を奪われる寸劇(ロールプレイ)を見たり、自分たち自身もロールプレイに参加したりしながら、その後話し合い、権利を奪われたときの気持ちや、その権利を守るために何ができるかを一緒に考えていきます。

 

CAPプログラムを見ていると、いつも思います。

「子どもをあらゆる暴力から守る」、「子どもの人権を守る」というのは、それは確かに「大人の責務」であることに間違いないのですが、それだけではなく、子どもたち自身に「大切な自分を自分で守る」という意識や力を育てることが大事だなと感じさせられます。

「子どもは大人が守るべき弱い存在」とみるのではなく、「子どもは無力で何もできない」と考えるのではなく、子ども自身の問題を解決する力を信じ、その内なる力を活性化(エンパワメント)させてあげることが大事なんだなと思います。自分の大切さを知り、大切な自分を守るための行動の選択肢と、それを使って自分を守ろうとする意志が働くことで、心とからだを傷つけること(暴力)から自分を守ることができます。

今日のCAPプログラムを通じて、子どもたちは、ただ「いやっ!」と言えることも、友だちや周りの大人に相談するということも、それらはすべて「大切な自分を守る」有効な手立てなんだと気づいてくれたと思います。これからも、子どもたち自身が、自分は大切な存在と思う感覚(人権意識)をもち、自分に迫る危険な状況を「いやっ!」という感覚で察知し、その危険な状況から自分を守るための行動の選択肢「No(イヤという)」「Go(その場を離れる)」「Tell(誰かに話す)」が選べるようになってほしいと思います。


14:51
2024/10/30

「引き渡し訓練 ~いざという時のために~」

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今日は、不審者が学校に侵入したという想定の避難訓練と、その後不審者(危険人物)が学校周辺(校区)になお潜伏しているという想定で、保護者への引き渡し訓練を行いました。

不審者対応訓練としては、玄関から不審者が侵入したと想定して、警察への通報、退去を求める対応や教室に近づけない対応について訓練を行いました。

 

子どもたちは、教室に鍵をかけ、できるだけ出入り口から離れたところで、静かに息をひそめるようにかたまってじっとしている行動をとります。

 

不審者を校舎から追い出し、校舎内の安全が確認できたところで、二次避難として全児童体育館に避難します。その後、保護者の皆さんに、「引き渡し」の連絡(メール)を配信し、引き渡しへと進めていきます。

引き渡し訓練とは、子どもたちが学校にいる時に地震などの大きな自然災害や事件などが起こった時を想定して行う訓練です。もし、子どもが学校にいるときに自然災害や事件が起こったときは、保護者に学校まで来ていただき、学校側は安全に子どもを保護者に引き渡さなければいけません。

非常変災はいつ、どんな形でやってくるか分かりません。今回は「不審者から子どもを守る」という想定なので、主に自動車で迎えに来ていただきましたが、これが大地震で道路が使えなくなるという事態なら徒歩で迎えに来てもらわなければなりません。

 

学校としては、今回の引き渡し訓練で、「駐車場の少ない本校で、果たしてスムーズに自動車による引き渡しに対応できるのか。」、「一度にたくさんの保護者が来られた時に、体育館においてスムーズな引き渡しが行えるのか。」…事前に段取りや役割分担をしていても、実際にやってみないとどんな事態になるか分からない…そんなことについてしっかりと検証しておく必要があると考えて実施させていただきました。

 

ある程度予想していましたが、思っていた以上に道路は渋滞し、運動場での誘導もうまくいきませんでした。学校の対応のまずさにご立腹された方も多かったのではと思っています。大変申し訳ございませんでした。しかし、やってみて初めていろいろな問題点が浮き彫りになったので、これらのことを今後の「引き渡し訓練」等に生かしていきたいと思いますので、どうぞご容赦くださいますようお願いいたします。

保護者の皆様にはお忙しい中、仕事等の都合をつけていただき、引き渡し訓練に参加いただいたこと、深く感謝申しあげます。また、各地区の民生委員児童委員さんにも、徒歩で帰る子どもたちの引率などで大変お世話になりました。本当にありがとうございました。


17:02
2024/10/29

「緊張する~!でもがんばった!~5年生研究授業~」

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今日は、東近江市の「三方よし学力向上プラン」の研究指定を受けて、本校を代表して5年生のT先生がたくさんの先生方の前で国語科「注文の多い料理店」の授業を公開してくれました。参観するのは、市内小学校の研究主任の先生や教育委員会の先生たち、そして講師には東京から大学の先生も招聘しています。大変大きな研究授業なので、いつもの教室では、参観者が入りきりません。そこで今回は体育館の軽運動室を教室にして、国語の授業を行いました。

 


授業を提案するT先生はもちろん緊張していますが、大勢の大人に囲まれて授業を受ける子どもたちはもっと緊張しています。「大人だらけやけど、大丈夫やでぇ~。いつもどおり頑張りや~。」、「T先生が緊張してるから、みんなの方が助けたってや~。」などと子どもたちに声をかけながら授業を迎えました。

 


T先生も子どもたちもいつも一生懸命頑張っていますから、緊張のせいでその頑張りが参観する先生たちに伝わらないと残念だなあと心配していましたが、心配無用でした。子どもたちはとても集中していて、自分ひとりでワークシートに向かったり、友だちと意見を交流し合ったりしながら学習を進めていきました。

今回、T先生が提案したかったのは、自分ひとりで課題に向かう「個別最適な学習」と、友だちと交流しながら、考えを比較したり、深めたりする「協働的な学習」を、それぞれの子どもたちが自由に行き来しながら学びを深めていくという授業のスタイルです。つまり、「学び方」を自分で選択しながら学習を進めるというものです。いつも前向きで創造的なT先生の授業づくりへの努力の姿勢にはいつも感心させられます。

 公開授業の後は、参観者が集まって今日の授業について研究協議を行いました。今日の授業について、その成果と課題をみんなで追究していきます。子どもたちが知らない先生たちの「よりよい授業づくり」のための努力の風景です。熱心に論議する北小の先生たちの研究会の風景は、私(校長)の自慢の一つです。

 

T先生と5年生の子どもたち、今日は本当にお疲れさまでした。先生たちのいい学びになりました。


19:25
2024/10/28

「ひとつの花 ~4年生国語~」

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今日は、4年生のG先生が国語の研究授業を公開してくれました。単元(題材)は「ひとつの花」。昔から教科書にある物語教材です。

だれでも小学校の時の「物語教材」は、大人になっても、印象深くずっと心に残っているものです。人によって好みは違うと思いますが、「ごんぎつね」とか「スイミー」とか…昭和世代なら、「スーホの白い馬」とか「石うすの歌」なんかも忘れない物語です。

今回の「ひとつの花」も昔からある教材で、戦時下での家族の愛情や願いを描いた作品です。簡単にあらすじを紹介すると、

 

…幼い少女・ゆみ子の口癖は「ひとつだけちょうだい」でした。戦争が激しい時代で、食料不足であり、ゆみ子の両親は育ち盛りの彼女にお腹いっぱい食べさせたくても食べさせてあげる事ができず、いつも「一つだけよ。」と言って聞かせていました。いつしか「ひとつだけちょうだい。」がゆみ子の口癖となり、「ひとつだけちょうだい。」と言えば、何でももらえると思っているのでした。

そんなある日、ゆみ子の父にも召集令状が来て出征することになりました。出征の日、見送りに来たお母さんとゆみ子。ゆみ子はお父さんのカバンの中にはおにぎりが入っていることを知っていました。それはお母さんが出征するお父さんのために家に残っていた貴重なお米で作ったおにぎりだったのですが、ゆみ子のいつもの「ひとつだけちょうだい。」が始まるのでした。ゆみ子はおにぎりを一つ食べた後も、何度も「一つだけ。一つだけ。」とねだり、とうとうお父さんのおにぎりを全部食べてしまいました。ゆみ子はその後もおにぎりを「ひとつちょうだい」とねだりますが、もう彼女にあげるおにぎりはありません。ゆみ子は機嫌を損ねて泣き出します。

困ったお父さんは周囲を見渡し、ホームの端に忘れ去られたように咲いた一輪のコスモスの花を摘んでゆみ子に渡しました。「さあ、一つだけあげよう。一つのお花、大切にするんだよう…。」と言ってお父さんは汽車に乗って出征するのでした。

10年後、お母さんと2人暮らしのゆみ子は成長して家の手伝いをするしっかり者の女の子になっていました。今日も元気におつかいに出かけるゆみ子の姿がありました。彼女が暮らす家の庭にはコスモスの花がたくさん咲いていました。

 

子どもたちはそれぞれに学習課題をもって、物語の叙述(言葉)から登場人物の心情を読み取っていきます。例えば、「お父さんはなぜ、一輪のコスモスをゆみ子に手渡したんだろうか。」という課題に対して、お父さんの気持ちがわかる(気持ちを表す)を文章の叙述から抜き出し、その心情について自分でまとめていきます。プリント(ワークシート)に自分の考えが書けたら、それをタブレットで撮影し、タブレットの共有アプリ「Padlet」を使って、それぞれのプリントを閲覧できるようにします。子どもたちは、自分と同じ課題に取り組んでいる友だちのプリントをタブレットで見ながら、自分の考えやその根拠になる叙述などについて、比較したり、参考にしたりしながら、さらに考えを深めていきます。

「自分で学習課題を選択して、いろんな情報を手掛かりにしながら、自分で解決していく」という『個別最適な学習』と実際にグループや全体で考えを交流したり、一緒に考えたりする『協働的な学習』の二つの学習を、子どもたちは自由に行ったり来たりしながら学習を進めていました。

 

今、求められている授業像は「子どもたちが主体的に、夢中になって課題に向かう授業」です。そのために「個別最適な学習と協働的な学習が一体化した授業」や「ICTを有効的に活用する授業」について研究を進めています。そういう意味において、今日のG先生の研究授業はよく考えられた授業で、子どもたちは主体的に学習に向かっていたと思います。私(校長)はICTがとても苦手なので、タブレットPCをささっと使いこなす若い先生たち(気の若い先生たちも含む)や子どもたち自身に置いてきぼりを食っていますが、学習のスタイルは明らかに変わってきているなと感じています。

 

「さあ、一つだけあげよう。一つのお花、大切にするんだよう…。」の言葉を最後に、お父さんは出征し、そのまま帰らぬ人となります。『ひとつだけあげよう』、『大切にするんだよ…』という言葉の意味、そしてお父さんの思いを、子どもたちはどのように考えてくれるでしょう…。

戦争にまつわる物語教材は、文章だけでなく、当時の状況や生活についてもきちんと理解しないと、登場人物の思いや、作者の意図(主題)に迫り切れません。

石垣りんの詩「弔辞」の中でおっしゃっている言葉、

『戦争の記憶が遠ざかるとき 戦争がまた 私たちに近づく』が再び頭をよぎります。「ひとつの花」は、国語の学習ではあるのですが、とてもとても大切な「平和学習」でもあると思います。

「かわいそうな象」、「ちいちゃんのかげおくり」、「ひとつの花」、「石うすの歌」などなど・・・改めてじっくり読んでみたくなりました。


16:48
2024/10/23

「将来の自分を描く ~6年生キャリア教育『夢訪問』~」

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 運動会の余韻に浸っている間もなく、各学年、次の学習や行事に向けて取り組み始めたところです。6年生は、毎年この時期に、「自分の将来や職業に対する関心を高め、これからの自分の生き方を考える」キャリア教育の一環として、あらゆる分野のプロの方を講師に招き、お話を聞く機会を設けています。その職業の概要ややりがい、苦労、そしてその方の職業に対する思いや生き様について、直接お話を伺うことで、自分の職業観を高め、仕事(職業)に対する憧れや目標をもつことで、これからの自分の生き方を考えるための学習です。何も今、自分が目指す「職業」を決めるということではなく、「仕事というものは、何のためにしているのか」、「その仕事のやりがいや社会における役割は何なのか」、「その職業に就くためには、どんなことが必要なのか」…などなど、いろんな分野の方にお話を伺う中で、自分の中の職業観、つまり「自分がこれから働くということ」を少し具体的にイメージする機会になればと思います。


第1回「夢訪問」のゲストは、東近江警察署八日市駅前交番 河原さんの「警察官として自分」について、自ご自身の人生も振り返りながら丁寧に話していただきました。

「市民(国民)の生命・身体・財産を守るのが、警察官の使命です!」…話の冒頭に、一番大切な「警察官の使命」について、話してくださいました。

テレビなんかを見ていると、警察=刑事、「犯人を捕まえる」みたいな印象が強くなりますが、交通安全やネット被害防止、獣被害対策、認知症患者の捜索等々、「市民を守る」仕事は多岐にわたることがわかりました。

仕事というものは、単に「お金を稼ぐ手段」だけなのではなく、自分自身のやりがい(充実感)や他者や社会への貢献(有用感)を感じてこそ一生懸命働けるということを、子どもたちは感じてくれたと思います。

「夢訪問」では、これからいろんなゲストに来ていただく予定をしています。たくさんのプロの方の話から、子どもたち一人ひとりの中に、「それって素敵…。私もそうなりたい…。」というような、憧れや目標が生まれることを願っています。「夢訪問」については、またブログで報告します。

 

<追伸>本日午後より私(校長)は徳島に出張に出なければならないので、ブログの再開は来週28日(月)になります。


12:43
2024/10/22

「心の扉を開こう~みんな知って こんな私です~」

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本校の学校教育目標は、「豊かな心と学ぶ力をもち 共に活きる子どもの育成」です。少し言葉が硬いので、子どもたちには「みんなが楽しい!八日市北小学校」というスローガンにして目標を伝えています。この学校目標にある3つの大切なこと…「豊かな心」=「人権尊重の心」と「学ぶ力」=「確かな基礎学力と、自ら学ぶ意欲」、そして「共に活きる」=「互いを理解しあい、支え合う力、自治能力を養い、主体的に社会(集団)に参画する力」…、これらの力を育むために日々、教育活動を進めています。

大切な3つのことを確実に、そしてバランスよく育てるために、本校では教職員を3つのチームに分けています。「心づくり」チーム、「学びづくり」チーム、そして「仲間づくり」チームの3つです。それぞれのチームが、本校の子どもたちの現状や課題に沿って、「心」と「学び」、そして「仲間」をつくる取組を全校的に進めるプロジェクトを展開しています。

今日紹介する「心の扉を開こう~みんな知って こんな私です~」いう取組は、「心づくり」チームが計画してくれたプロジェクトです。

 

チームリーダーを務める4年生担任のK先生の学級通信に、このプロジェクトの目的等が明確に書かれていたので、引用させてもらいます。

 

<4年生の学級通信より引用>

『運動会という大きな行事を終え、子どもたちは大変成長しました。個々の成長はもちろんのこと、学級・学年集団としてもまとまりがでてきました。子どもたちは、全員で大きな山を乗り越えたことでお互いを認め合い、関係性を深めることができたように思います。

 このような時期をさらに成長できる好機と捉え、全校で人権の取組「心の扉を開こう」を始めました。

 本校では、毎年、11月後半から人権に関わる取組を行って「他者理解」に努めていますが、今回は自分から「私は、こんな人間なのです」というふうに自分のことをみんなに知ってもらう取組を始めました。自己開示のテーマとして「私がすきなもの・お気に入りのもの」「得意なこと・がんばっていること」「将来のゆめ」「休みの日や自由な時間によくやること」「おすすめのものや場所」「わたしのヒミツ」の6つがあります。子どもたちは『これならみんなに教えてもいい』というものを選んでカードに書き、自分の写真の下に貼ります。1枚だけの子もいれば、10枚くらい書いた子もいます。廊下を通る他の学年の子どもたちも、立ち止まって見入っています。ここから次の人間関係が広がり、深まるといいなあと思っています。 』

 


毎年、12月の「人権週間」を中心に、人権に関わるいろんな取組をしていますが、K先生が言うように、どうしても「他者理解」の視点が中心になりがちです。「相手の気持ちを考えよう」や「友だちのいいところを見つけよう」というような取組を積み重ねてきています。

しかし、「共に活きる力」を育むためには、「自分を開くこと」=「自己開示する」「自分発信ができる」を大切にすることで、より「自己理解」や「相互理解」が進むと考えられます。

「私がすきなもの・お気に入りのもの」…ぐらいの軽い「自己開示」をきっかけに、「自分を知ってもらうこと」、「自分をわかってほしいこと」が発信できる子どもたちの心や、互いの仲間関係が育つといいなと考えています。

「私を見て!」「私を分かって!」というポジティブな発信だけでなく、苦しくてつらい時に、「苦しい」、「助けてほしい」などのHELPが発信できる子どもたちになってほしいと願っています。


12:48
2024/10/21

「『見えないこと』が多い今の時代だから」

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今日は朝からダイハツ工業さんから8名ものスタッフ(職人さん)が来てくださって、体育館を使って、自動車の製造工程を実際に体験しながら学べる出前授業「ダイハツものづくり体験教室」をしてくださいました。教科書では伝えにくい製造工程の原理を、実物の部品や工具を「見て」「触って」「使って」もらって体験できるので本当に「生きた学習」になります。

鉄板を500tの圧力でプレスして、車のフレームやパーツを作る「プレス工程」については、アルミ箔を金型にはめてプレスすることによって、プレスの原理を理解しながらパーツ作りを体験しました。

車のボディを塗装する「塗装工程」では、実際のスプレーガンを使って、車のドアを塗装する体験をしました。(吹き付けるのは塗料でなく水ですが…)

 

部品の「組付工程」では、実物のタイヤを、インパクトドライバーを使って組み付けました。

 

そして、「組付工程」の流れ作業(ライン作業)は、レゴブロックを使って、流れ作業で順に自動車を組み立てていき、製品検査も行う体験をしました。時間内に決められた部品を組み付け、次の担当に送る担当、部品が切れないように、部品を管理し補充する担当、出来上がった製品を検査する担当に分かれて、作業をしました。チームワークが問われる仕事です。一人でも間違ったり、遅かったりすると全体のラインが止まってしまいます。各自の仕事がそれぞれ責任重大です。
 

 

「ものづくり」と、あえてひらがなで書くことに大きな意味があると思っています。「ものづくり」=「製造業」ではないと考えます。生活に必要だったり、生活を豊かにしてくれたりする「もの」をつくる大切さや、それをつくる人の思いや願いも含めて「ものづくり」、「こんなものがあったらいいな…。」と願う想像力や、「もっとこうできたらいいな。」という改善意欲も含めて、みんな「ものづくり」なんだろうと思います。

 

「もの」があふれていて、「完成品」で埋め尽くされている今の時代。何もかも便利で気軽にできる時代ゆえに、「もの」の向こう側にある「大切なもの」が見えにくい時代でもあるような気がします。だからこそ「ものづくり」体験を通して、「もの」にじっくり触れ合い、その向こうにある「人」「努力」「願い」「夢」なんかを、しっかりと感じ取ってほしいなと思います。


14:28
2024/10/18

「電車でGO! ~2年生校外学習~」

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<10月17日(木)分です。昨日はサーバーエラーでアップできませんでした。楽しみにしていただいていた方々、申し訳ありません。 ホームページ担当より>

 今日は、2年生と電車に乗って、五個荘に行ってきました。私(校長)の「お天気男パワー」完全復活で、朝から快晴、むしろ暑いぐらいのお天気でした。


 学校を出発し、近江鉄道八日市駅に向かい、駅見学をした後、電車に乗って五箇荘駅へ向かいます。五箇荘駅についたら再び駅見学をし、その後は五個荘中央公園に行って、みんなでお弁当を食べて、めいっぱい遊びました。

朝、八日市駅に向かう2年生。グリーンベルトや歩道を歩くマナーはなかなかお利口さんです。何回も注意しなくても、みんなきちんとしています。

個人的には、やっぱり八日市駅はとても芸術的で美しい駅だと思いました。さすが映画「君の〇〇を食べたい」のロケ地になるだけはあります。

2年生は、生活科で「みんなでつかうまちのしせつ」というテーマで、公共交通機関について体験的に学びます。今日は「電車・駅」を学びます。旅行や買い物等で、家族で電車を利用することはあっても、自分で切符を買ったり、駅のしくみや工夫について、主体的に考えたりすることはないと思います。今日は実際に自分で切符を買ったり、駅の秘密について自分で見つけたり、駅員さんに聞いたりしながら、公共交通機関の役割や、利用する側のマナー等について体験的に学びました。

 

校外学習のしおりは、2年生にしてはボリューミーです。駅長さんから聞いた話をメモするページ、「謎解き」のように、しおりに書かれた「お題(ミッション)」に対して、自分で「ひみつ」を見つけ出し、解いていく形になっています。2年生の子どもたちの感心するところは、どんどん文字(文)が書いていけるところです。日頃から何の教科でも「書くこと」を大事に、「書くこと」の積み上げができているので、書くことに抵抗が少なく、どんどんしおりを「文字」で埋めていきます。確かな力をつけてくれていることをとてもうれしく思いました。

みんなで一緒に電車に乗る機会もそうそうないでしょう。今日は1両をほぼ「貸し切り状態」にさせてもらえました。近江鉄道ならではの、少し大きめの「ガタン、ゴト~ン、ガタン、ゴト~ン」の音と、車両の揺れがなんとも心地よく感じられました。今日は北小の子どもたちのために、特別に電車の昇降時は、すべてのドアを開けていただきました。

 

五個荘中央公園では、家族の愛情のこもったお弁当を楽しく美味しくいただいて、その後は元気いっぱい全力で遊びました。結構長い時間でしたが、誰も大きなけがをすることなく楽しく遊べて何よりでした。

ほとんどの子どもたちは、大型遊具を楽しんでいましたが、一部の子たちは遊具には見向きもせず、公園内に流れている小さな小川で、水を堰き止めようと何やらいろいろと試していました。どうやら国語で習っている「ビーバーの大工事」というお話で、ビーバーが懸命にダムをつくることが心に残っているようで、公園内の葉っぱや小枝、小石などをいろいろ持ち込んでダムを造ろうとしています。


「あかんなあ、石を置いても流されるわ…難しいなぁ。もっとたくさん石置かなあかん。」

「けっこう水冷たいなぁ、ビーバーは一回潜ったら15分ぐらい潜ってるって、すごいな。」

子どもたちの会話を聞いていると、国語の学習と目の前の遊びがリンクしていることが感じられて、とても楽しませてもらいました。

途中、竹の笹で「笹舟」を作ってあげたら、男の子も交じって小川で何回も「笹舟競争」を楽しんでいました。「校長先生、ぼく(わたし)にも笹舟作って~。」と何人もがおねだりしてきました。本当は「校長先生、笹舟の作り方教えて~!」と言ってほしかったのですが…。もっともっと子どもたちの「自分でチャレンジする!」という気持ちを育てないといけないなと改めて思いました。

 

全員、元気に八日市に帰ってこられて何よりでした。いっぱい歩いて、いっぱい学んで、いっぱい遊んだ一日、暑さもあってかなり疲れたと思うので、今夜は早めに休んでほしいなと思います。

 

明日は、朝から一日学校を空けますので、次の校長ブログは来週になります。今週もだらだらと長いブログを読んできただき、ありがとうございました。



14:08
2024/10/16

「道徳という勉強 ~1年生 ひつじかいのこども~」

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今日は、2校時に1年生の道徳の授業を参観に行くことになっていたので、そのことをブログに書きます。2日連続1年生ネタになりますがお許しを…。

高学年の子どもたちや中学生に、「道徳の勉強は好きですか?」と聞くと、結構な割合で「あんまり好きではない。」と返ってきます。「どうして、きらい?」と聞いて、「だって…分かり切っていることを、わざわざ時間かけてやるから…。」と返ってきたとしたなら、残念ながらそれは、その子が今まで受けてきた授業が「ちゃんとした道徳」ではなかったということ…。道徳の授業がまずかったというしかないと思っています。

以前ブログに書いた気もしますが、道徳という勉強の目的は、「よく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。」です。「道徳的価値」を学ぶ勉強ではなく、すでに分かっている「道徳的価値」についてより深く考え、自分の生き方に生かす勉強です。教える教師側にちゃんとした「授業力(指導力)」と「子どもたちとの心の交流」がないと、なかなかこういう勉強にはなりません。

今日の1年生の道徳は、「ひつじかいのこども」というお話を使って、「正直・誠実」=「嘘をついてはいけない」という道徳的価値について考えを深めていきます。

「嘘をつくことは悪いこと」…1年生だって、そんなことはあたりまえにわかっています。道徳の授業では、この「わかっていること」を改めてじっくりと深く考えていきます。つまり、お話の人物の心情を考えていくことで、「どうして嘘はいけないのか。」「嘘をつくとどんなことがおこるのか。」「嘘をつかないことでどんないいことがあるのか。」などをどんどん掘り下げていきます。そうすることで、今まで単なるお題目だった「嘘をついてはいけない」が、「わかってるけど、なかなかそうできない人の気持ち(弱さ)があるよな…。だれだって逃げたい時や、調子に乗ってしまう時があるもの…。」と人間の弱さに共感したり、「でもやっぱり嘘をつくことは、結局は信用を失うことになるから、余計に自分の値打ちを下げることになる…。」と、「自分ごと」として正面から向き合ったりしながら、そんな思いの積み重ねが、自分の生き方を少しずつ決めることにつながっていきます。

「ひつじかいのこども」のお話は、誰でも知っているお話で、いわゆる「オオカミが出た~!」とほらを吹いて、村の大人たちを振り回すお話で、最後には本当にオオカミが出たのに、誰も助けてくれなかったというお話です。子どもたちは「村の大人たち」になったつもりで気持ちを一生懸命考えます。道徳では「〇〇さんだったら、どうする?どう思う?」とは質問しません。すでに道徳的な価値はわかっているのですから、「あなただったらどう思う?」と聞かれて、マイナスな心情(弱い部分)をさらけ出せるほど、人は強くありません。だからあくまで「村の大人たちはどう思ったんかなあ?」と問います。そうすることで、誰もが持つマイナスな心情も正直に出せます。答えているのは「村の大人たちの気持ち」ですが、その気持ちには「子どもたちの気持ち」が反映されているのです。

1年生はまだ「多くの言葉」を持ちませんから、気持ちを言葉に表すことはまだまだ苦手です。だから自分の気持ちの「位置」を黒板に名札を貼ることで表したり、「動作化」といって、登場人物になり切って演じたりします。そんな子どもたちの「動作」や「動き」を的確にとらえて、「〇〇さんは今どうして、走ったんかな?」とか「名札貼るのを迷ってたね…何と何で迷ったん?」などと、問い直すことで子どもたちの心情を拾い出していきます。この辺のところが教師の「プロの技」の部分です。T先生は、子どもたちの何気ない「つぶやき」や「動き」を確実に拾い、全体に広げていき、村の大人たちの心情の変化を子どもたちと共有していきます。T先生、さすが!お見事でした!

 

子どもたちの振り返りの言葉を見ると、「嘘をつくのは悪いこと」という道徳的価値を深く考え、「嘘をつくと、信じてもらえなくなる。」とか「ほんとうの時(いざという時)、来てくれない(助けてもらえない)から嘘はだめ。」という具合に、自分ごととして考えられるようになっていました。

「道徳の授業は、好きとはいえないけど、とっても大事な勉強だと思う…。」子どもたちがそう言ってくれるように、我々(教師)が腕を磨かないといけません。


14:31
2024/10/15

はい!まず鼻の孔(あな)を描いて⁉1年生 運動会を頑張った自分

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1年生担任のT先生が、にっこり微笑みながら「はい!まずは鼻の穴を描きます~!」とあっけらかんと言うもんだから、子どもたちの方が「鼻の孔から…?」ときょとんとした表情になっていました。

1年生の図工。今日は運動会を精一杯頑張った自分自身の顔を画用紙いっぱいに描きます。でもスタートは「鼻の孔」から…。子どもたちは「顔」を描くのに、まさか「鼻の孔」から描くなんてこと今までしたことがないのでしょう。頭が???のまま、それでも先生を信じて、おそるおそる描き始めます。

「鼻の孔が描けたら、鼻を描いて、その次は口です。まずは唇があるでしょう…それから歯も見えるね…。」実際に、子どもたちに鼻や口や目の形を自分で確認させながら、描き進めていきます。

 

はじめは、半信半疑の子どもたちでしたが、次第に思い切りがよくなってきました。「なんやこれ!気持ちわる~!」なんて言いながらも、描くのが楽しくなってきたのかどんどん笑顔になっていきます。

 顔を描くのに鼻から、つまり真ん中から描いていく…。一見、普通じゃないように思えますが、小学校の図工の世界では、昭和の時代からの「常識」です。「酒井式」と呼ばれる方法で、顔を描く時に、「鼻→口→目→眉毛→顎→輪郭→耳→髪の毛…」という順番で、中から外へ外へと描き進める方法です。この順番で描くことによって、どの子の絵も小さくならず、めいっぱい大きく、ダイナミックになっていきます。


 

そして、「酒井式」の大事なところは、子どもたちに顔のパーツをひとつずつ触らせて、形や大きさを確認させながら描かせるところです。「口には、唇があるね。」「目にはまつ毛が生えている。」「首の太さは、口の幅より広いねえ。」「髪の毛はどこから生えてきてる?」…きちんと自分の顔を触って、顔のパーツを確認しながら描き進めていきます。

そうすると不思議なことに、どの子の絵(顔)にも生命感というか、生き生き感があふれてきます。大きすぎて、頭なんかはみ出している絵もたくさんありますが、なんとも言えず「子どもらしい(=子どもしか描けない)作品」に仕上がっていきます。

子どもの絵というのは、描く対象に対しての「思い」やその時の「気持ち」がはっきりと現れます。目の前で見た「牛の大きさ」が印象的なら、牛の絵はめっちゃ大きく描きます。収穫したさつまいもがずしんと重い大きなものだったら、その絵も大きくずっしりしたものに自然となります。「見たまんま」「感じたまんま」が絵になります。

今回は、自分の顔を触りながら、顔をメインにどか~んと描いていきますから、当然腕や足を描くスペースはほとんどなくなります。でも子どもたちは、少しの空いたスペースに腕や足を、ねじ込んで描きます。曲がっていようが歪んでいようが、無理やり押し込みます。これがまた、子どもらしい「味」になって、素晴らしい作品が生まれます。子どもしかできない名人芸であり、神業です。
 

 最近は、タブレットがありますから調べたいことを調べたり、描きたいものの画像を検索して、それを画用紙に描き写すことが手軽にできるようになりました。しかし、タブレットにある画像を見て、それを画用紙に描くのは、単なる「描き写し」、所詮「2次元→2次元」ですから、そこにはなかなか「味」や「面白さ」は出てきません。やはり子どもの絵は、目の前にある「3次元」の本物を、その本物に対する「思い」も含めて、無理やり「2次元」の画用紙にぶち込むからこそ、「味」と「魅力」が生まれてくるのだと思っています。

 1年生の作品の仕上がりがとても楽しみです。きっと、めっちゃがんばった運動会への満足感も絵に現れてくるでしょう。


15:05
2024/10/11

「運動会のねうち ~競技や演技でないところで~」

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1週間も「延期」になってしまった運動会が、秋晴れのもと予定通りのプログラムで実施することができて、心からほっとしています。一度は意気消沈した子どもたちが、ここまで見事に輝ける運動会ができたこと…子どもたちの力は本当にすごいなと驚いています。

運動会当日、私(校長)はできるだけプログラム以外のところをしっかり見ようと心がけています。

 

例えば、各組のスローガンが書かれた団旗…あたりまえのように掲げられていますが、この団旗をつくるのにも6年生の苦労が見えてきたり、「たぶん、絵の上手な子とか、字がきれいな子が活躍してくれたんだろうな…。」と想像できたりします。

 


高学年が役割分担してくれている係の仕事。得点係の仕事は目立ちませんが、迅速で正確な計算が求められる結構タイトな仕事です。徒走やリレーで活躍できなくても、こんなところでめっちゃ活躍している子どもたちがいます。


競技前に子どもたちを招集、集合、整列させる招集係の子どもたち…。大きな声で、低学年にもよくわかるように言葉選びや指示の仕方を工夫しています。たてわり班別に並ばせることもけっこう大変ですが、しっかりとリーダーシップをとって号令も明確です。こんなところにも子どもたちのがんばりと輝きがあることを忘れてはいけません。

競技後の退場にまぎれて、これもまた目立ちませんが、競技に使った道具を腕いっぱいに抱え、片づけてくれている用具係の子どもたちのがんばりも見逃せません。

他にもたくさんの係があって、それぞれのところで、子どもたちが運動会を支えていてくれました。競技や演技ばかりに目が行ってしまう運動会ですが、運動会を支える仕事を懸命にやっている子どもたちの姿にも大きな称賛を送りたいと思います。

 今年度の運動会は、とても「常時応援」が盛り上がった運動会でした。「仲間を精一杯応援する」という気持ちと行動は、運動会で得られる大切な成長です。特に6年生の競技の時、5年生が音頭をとって、チームで応援する姿がたくさん見られたことがとても価値ある風景だと感じました。5年生にも来年の自分たちの姿が見え始めています。

 


子どもたちが主役の運動会ですが、子どもたちを主役にするための先生たちの「黒子のサポート」もなくてはならないものでした。

 

高学年の組体操の演技を裏から見て見ると、先生たちの姿勢や目線に子どもたちに対する思いがしみじみ見えてきます。何としても「成功させてやりたい…」、先生たちの子どもたちに対する愛情がいたるところに垣間見える運動会でもありました。

最後に、開会式であいさつをしてくれたKさんと閉会式であいさつをしてくれたTさんのあいさつが本当に立派でした。Kさんはふざけた校長挨拶の代わりに、式をビシッと締めくくってくれました。こんなに立派にあいさつできる子たちがいるのも北小の自慢です。これがあいさつの「手本」=「ゴールイメージ」となり、それが毎年受け継がれることによって、校風が創られていきます。

それにしても、閉会式のTさんのあいさつは心にしみました。自分たちのがんばりを称えるとともに、最後は周りの人への「感謝」の気持ちでしめくくる…本当に気持ちのこもったあいさつであり、自分たちをきちんと「主役」として認識しているところが素晴らしかったです。

閉会式の最後まで、たくさんの保護者の方に残っていただきました。競技が終わると閉会式を待たずにぞろぞろと帰られる…他の学校ではよくある風景ですが、本校の閉会式はたくさんの保護者の皆様に見守られながら、子どもたちが最後の最後までやり通せた、あたたかな運動会でした。

本当にありがとうございました。

3連休はゆっくりと休んでほしいなと思います。北小のこどもたち…本当にお疲れさまでした。


17:10
2024/10/10

「本当にお待たせしました。いよいよ明日です!」

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運動会、最初の実施予定日から8日。三度「延期」をさせてもらった今年度の運動会が、ようやく明日実施できます。子どもたちはモチベーションを維持するのが難しかったですし、先生たちは予定が大きく変わったことで、運動会のことを気にしながら、次々と次の学習や学年行事もこなしていかなくてはならなくなりました。保護者の皆様には、変更のたびに仕事の都合をつけていただくというご負担をかけることになり…1週間、運動会が延びることが、「あらゆる負担」を増大させることになること…校長の責任の大きさを痛感しております。

待ちに待った分、明日は爽やかな秋晴れの下、フルプログラムで運動会ができそうです。本番に強い本校の子どもたちですから、1週間のブランクを感じさせない「全力」と「協力」の姿を見せてくれると信じています。

 

低学年は、団体演技のおさらいと、1年生は50m走、2年生は団体競技の練習を行いました。勝っても負けても、友だちに声援を送り続けられるのが低学年の素敵なところです。「仲間を応援する」という低学年なりの「協力」の姿がしっかりと見られます。1年生の50m走のスタート時には、名前を呼ばれて「はい!」と元気に返事をする1年生の「全力」も見ていてとても気持ちがいいです。

 

中学年は最後まで「達成感」や「美しさ」にこだわって、しっかりと練習を繰り返しました。自分たちで感想を出し合いながら、「気をつけること」「改善すること」を明確にしながら練習していました。モチベーションの低下を感じさせない、元気な声ときびきびとした動きがとても気持ちよかったです。

 

高学年は、組体操の動きを確認したり、不安な部分について重点的に練習したりしました。残念ながら明日どうしても参加できない友だちの役割を、誰が代わりに行うのか、ペア・グループの組みなおし等も含めて、細かな調整をしていました。先生たちのサポートの動きも確認しながら、明日の本番が「成功」するよう、最後の練習を行いました。本番の成功に向けて、本気で練習に取り組む高学年の凛々しい表情がとても輝いて見えました。


最後にミーティングでは、私(校長)から、「貴方たちは、明日の運動会の主役の中の主役です。貴方たちには、主役中の主役を張る「誇り」と「責任」があります。競技、演技、応援、係の仕事…すべてにおいて、下学年のあこがれとなる姿を見せる責任があります…。」そんな話をしました。学校文化を創るべく「あこがれ」の存在でいるという高学年の自覚と責任感、そしてそのことのかっこよさを「自分ごと」としてとらえられている子どもたちが多くいることを願います。下学年がいくらがんばっても、はるか及ばない高学年の「雄姿」と「威厳」を誇示できる運動会であってほしいです。

 

あとは、子どもたちの力を信じるだけです。どうか、「みんな」にとって最高の運動会になりますように…。

 


18:53
2024/10/09

「たくさんの学びがある『もりのこ学習』」

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今日は4年生が、河辺いきものの森に「もりのこ学習」に出かけました。「秋の自然を探求する」というのが今日の学習の目的だった気がします。

そもそも「河辺いきものの森」は、もともとは愛知川の川沿いに広がった「河辺林(かへんりん)」です。「河辺林」というのは、そこで生まれる植物や樹々、農作物が人々の生活と深く結びついていた「里山」としての役割と、川の氾濫(洪水)の被害をくい止める「防災林」の役割があり、人々の手でその自然は大切に守られてきました。ところが、人々の生活が変化して、「里山」の自然をあまり必要としなくなったため、「河辺林」は放置状態となり、保たれていた生態系は崩れ、やがて生命力の強い竹林に覆われ、荒廃していきました。

そんな荒れた「河辺林」を昔のような「里山」に戻そうと、心ある人たちが長い時間をかけて整備、保全してくださり、今の「河辺いきものの森」になったという経緯があります。「河辺いきものの森」で自然について学習するというのが主たる目的ですが、別の角度から考えると、この地域の宝である「里山(河辺林)」について知り、その魅力を実感し、これからもその「里山」を守っていくという心を育てることもとても大切な学習の目的になります。

今日は、子どもたちが「探検地図」をもって、「秋の自然」を探索に行く学習です。それぞれがタブレットをもって、見つけたもの、興味を持ったものを写真で記録していきます。

服装は長袖、長ズボン、そして長靴。今日の「いき森」に入るには必須のアイテムです。担任の先生の指示ですが、本当は、なぜこの「服装」でないとだめなのかを自分たちで考えられる、判断できる力をつけてほしいと思っています。いわゆる「危機回避能力」です。子どもたちからすべての「危険」を事前に取り除くことは不可能です。これから生きていくうえで大切なのは、「何が危険なのか。」、「なぜ危険なのか。」、「その危険を避けるためにはどうすればいいのか。」を自分で考えることが大切だと思います。そういう意味で「もりのこ学習」は「安全教育(学習)」としての側面も持っています。

 

今日の場合、一番の危険は何か?・・・大きく3つ。秋とはいえ、まだまだ気温が高いので、「スズメバチ」の活動が盛んであること、今は「マムシ」の繁殖期で、とても神経質になっていること、雨上がりで特に「木(橋、木道等)の上」が非常に滑りやすいこと・・・です。

そのことを考えると、今日の「服装」が見えてきます。例えば、長靴を履いていれば、万が一「マムシ」を知らずに踏んづけても、「マムシ」は体調が短いので、鎌首を持ち上げたところで、足をかまれることはありません。ハチや蚊、「ウルシ」などの有害植物から身を守るためには長袖、長ズボンは必須です。今日、黒い服を着ている子が結構いましたが、本当はあまりよくありません。「ハチ」やムシは「黒」によってきます。


 

子どもたちは、興味を持った植物やムシたちを写真に収めていきました。「いき森」の井田先生が、しっかりと安全を確保しながら、「スズメバチ」の観察もさせてくださいました。「危険」をきちんと教われる貴重な経験でした。

教室に帰ってから、自分たちの「タブレットに収めてきた生きものは何なのか?」について、ネットなどで詳しく調べていました。

これからは、自分の興味を持ったテーマごとに、自分で探求学習を進めていきます。テーマは、①森にすむ動物・虫等について②森に自生する植物について③森(の自然)の役割について④森(の自然)を守ることについて、の4つです。自分でテーマを選びます。子どもたちがどんなところに「関心」をもち、どれだけ自分の考えを深めていけるか…楽しみです。

 

 

話は変わりますが、3階の廊下から運動場を見下ろすと、一人黙々とロープを張る作業をするH先生の姿がありました。「ロープ張りはH先生の仕事」と決まっているわけでもないのに、H先生のように少しの隙間時間に人知れず「仕事」をしてくれる先生が多いのが本校です。

そして大切なことは、その「人知れずの仕事」を周りの者(教職員)がきちんと知っていることだと思っています。いろんな「隙間の仕事」は、できる人、それに気が付く人がやればいい・・・ただそのことをみんながきちんと知っていることが大事で、そこにお互いに「感謝」の気持ちが生まれ、組織の「同僚性」が高まり、結果として強力な「チーム力」=「学校力」が発揮できる…そんな北小の先生たちです。

 H先生、本当にいつもありがとうございます。


18:09
2024/10/08

「勢いありすぎてびっくり! 静かすぎてびっくり!」

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運動会当日までがやたらと長く感じる今週です。「子どもたちの達成感や満足感」を真ん中に据えて、運動会実施の可否を考えると決意したものの、度重なる延期で、保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけしています。いろんな都合でどうしても11日(金)に観覧していただけないご家庭もあるかと思います。本当に申し訳ありません。

学校としては、当日観覧いただけない保護者の方々に、「団体演技の前日リハ」を自由に参観していただけるようにしたいと思います。(完全な発表ではなく、あくまで通し練習ですが…)また、運動会の当日の演技や応援合戦をビデオに録り、それを後日、YouTubeで限定公開配信したいと思います。運動会に来ていただけなかった方々に、少しでも運動会の雰囲気が味わっていただければと考えています。詳しくは「コドモン」で案内させていただきます。

 

さて、運動会が延期になったからと言って、まだまだ練習できるというものではありません。教育課程上、もうほとんど「運動会の練習」に費やす時間はありません。あとは前日リハ練習ぐらいです。子どもたちのモチベーションの維持がなかなか大変なところです。

そんな中、応援団長さんをはじめとする応援リーダーが頑張っていてくれます。今日の朝いちは、応援練習がありました。

 

私(校長)は、朝遅刻してくる子どもたちを迎えてから、雨合羽を着たまま急いで各教室で行われている応援練習を見て回りました。今日一番驚いたのは、3年生の応援の声の大きさと勢いでした。前で応援を仕切ってくれる6年生の声がとても大きく堂々としていて、それだけで気持ちいいのですが、それに負けじと3年生が「ド真剣」に声を出したり、ペットボトルを叩いたりするのが、本当にすさまじい勢いで、お腹にどーんと響いてきました。「この感覚って、甲子園の1塁側スタンドにいる感覚に似てるな…。」と思いました。子どもたちのテンションがぐーんと上がった感じがとても楽しかったです。

 

一方、本校の午後いちは「読書タイム」から始まります。掃除が終わった後、「気持ちを落ち着けて15分間読書に浸る…」そんな時間です。担任の先生も一緒に読書をします。読書タイムの時間に校舎を見回っていると、とびきり静かに読書に没頭している学級を見つけました。2年生の教室です。本当に静かに、子どもたちが読書に浸っています。低学年ですから、ほとんどが絵本なのですが、中にはかなり文字数の多い本を読んでいる子たちもいてびっくりしました。

 

読書が習慣になって、「生活の一部」にまでなってくれるといいなと思います。「たかが15分、されど15分」…毎日の15分の積み上げが「確かな力」として育っていきます。「タブレット(スマホ)もいいけど、読書もね!」そんな風に言える子どもたちに育ってほしいです。

 

明日からは「秋晴れ」が戻ってくるかな…あと少しの辛抱です。


18:18
2024/10/07

「ぐっとこらえて、力をためて…」

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秋晴れのもと、最後まできっちりとやり切らせてあげたい…そんな思いを真ん中において、再々延期を決めました。「今日は何とかできたのでは…」という声も多く、心苦しく思いますが、本校の子どもたちの頑張りにふさわしい「秋晴れの運動会」をあきらめきれない…そんな思いでいます。結果として保護者の皆様を振り回すような形になってしまい本当に申し訳ございません。

朝の校内放送で、子どもたちに延期したわけを説明し、運動会までの4日間、①やる気と力を蓄えておいてほしいこと、②けがや病気がないように気をつけて生活してほしいこと③授業や他の行事のことも同時進行になるので、けじめをつけてがんばってほしいこと、の3つをお願いしました。

何度も延期になって、気持ちがダレてきそうですが、今まで本当に一生懸命頑張ってきたのだから、ここはぐっとこらえて、そして力をためて…すべての力を、すべてのエネルギーを11日(金)の運動会で爆発させてほしいと思います。

 

給食前の時間には、ふたりの団長さんに来てもらって少しお話ししました。

「団長が中心になって一生懸命やってくれているのに、なかなか運動会が実施できず申し訳ない。」ことを謝った後、ふたりの気持ちを聞きました。

「やっぱり晴れた日に、最後までしっかりやり切りたい。」、「全部出し切ったと思える運動会にしたい。」

ちゃんと前を向いていてくれる二人のまなざしは力強くまっすぐでした。

「副団長や周りのリーダーは頼りになりますか?」と聞くと、二人とも即答で「はい!」と返事をしてくれました。「最高の運動会になるよう、それぞれの団を盛り上げてしっかり頑張り切ってください。」とお願いして、話を終わりました。頼りがいのある二人の団長の背中を見送りながら、少し心がすっきりしました。

 

昼休みの運動場には、リレーの練習をする子どもたちの姿がありました。一生懸命なんだけど、みんな笑顔で練習しています。「やらされ感」のない感じがなんともいいです。特に6年生は体も大きくなり、走りに力強さとスピードが増し、とても見ごたえがありました。

5年生は、校外学習の計画をしていました。今年度はホンダ自動車工場の見学なので、もれなく「鈴鹿サーキット」がついてきます。「運動会をめっちゃ頑張るから、そのご褒美旅行やあ。」と子どもたち…。校外学習は15日(火)。運動会が終わって、三連休明けの校外学習…まさに「打ち上げ」的な校外学習になりそうです。子どもたちの声がうきうき弾んでいました。

 

今日から、教育実習の受け入れが始まりました。教諭志望のY先生と、栄養教諭志望のS先生です。S先生は、今日までもボランティアで学校に来ていてくれているので、子どもたちもよく知っています。お昼休みは、さっそく子どもたちに囲まれていました。運動会の助っ人としても頼りにしています。Y先生は4週間、S先生は1週間の実習になります。よろしくお願いします。
 

 


18:16
2024/10/04

それぞれのふんばり・忍耐が報われますように~延期の続く運動会~

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今日も予報通り、朝からしっかり雨が降り、運動会は再延期となりました。子どもたちの運動会に対する意気込みや目標意識が次第に弱まっていくのではないかな…と不安な気持ちが膨らんでいきます。先生たちは、「子どもたちのために…」と一生懸命頑張っていてくれますが、運動会が延期が長くなるほど、毎日の授業計画や校外学習の準備・事前学習が圧迫されて、本当にすべてがきちんとやりきれるのか…不安と焦りの気持ちが大きくなり、それが精神的なしんどさになっていると思っています。保護者の皆様にとっては、「早く実施日を確定させてほしい。でないと、仕事の都合もつかない…。」とイライラする気持ちをぐっとこらえて、じっと学校からの案内を待っていてくださるのだろうと思うと、それも大変申し訳なく思っています。

今日は、朝から応援練習をして、その後どの学年も少し運動会の練習を入れました。

 

低学年は、今までと同じように笑顔いっぱいにダンスを踊ります。「発表の練習」というよりも、今は踊っていることが純粋に「楽しい!」いった表情に見えます。私(校長)がちょっとお邪魔して、子どもたちに交じって不細工なダンスをすると、子どもたちは余計にニコニコ顔になって、さらに張り切って踊ってくれます。雨が続くせいで悶々としている気持ちが、一気に楽しい気持ちに変わります。本当に低学年の子どもたちに元気をもらっているな…と心から感謝したい気持ちになります。

 

中学年は、変わらず「いい緊張感」を保ったまま、きびきびとした動きでフラッグの演技のおさらいをしています。中学年の子どもたちは、「このダンスとフラッグを早く多くの人たちに見てほしい!」という気持ちでいっぱいです。中学年の子どもたちの自信に満ち溢れている表情に、「たくましさ」と「大きな心の成長」を感じずにはいられません。これが運動会の力だなと思います。


 

高学年の大技は、子どもたち一人ひとりの「気合い」や「タイミング」、「息」がぴたっと全員揃わないと成功しません。下段の子どもたちは、上に乗る人の「重み=命」をずっしりと感じながら、重みや痛みに耐えます。上段の子どもたちは、下段の人たちの「必死の支え」を感じながら、その支えを信じて「勇気」をもってジャンプして上に乗り、しっかりと顔を上げます。すべてが揃わないと完成しないのが組体操の難しさですが、難しいからこそ、大技が決まった(完成した)時の達成感と一体感はとてつもなく大きなものになります。「つながり、支え合い、信じあう」ことの向こうにある「達成感・一体感」を実感する経験は、間違いなくこれから生きていくうえでの大きな目標にもなり、エネルギーにもなります。大技「学年ピラミッド」の本番での成功を祈っています。

来週こそ、子どもたちがすべてを出し切れる運動会をきっちりとやりたい。


13:14
2024/10/03

「天気には抗えず… ~運動会延期に子どもたちは何を思う?~」

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朝6時前、校長室に集まった教頭先生、体育主任のT先生、教務部の2人のH先生。職員室には、会場準備に備えてたくさんの先生たちが来ていてくれました。まだ空は明るく、「ほんとにこの後降ってくるのか…?」、「ひょっとしてこのまま降らないのでは…。」…ついついそう思ってしまうほど、先生たちは「何とか運動会をさせてあげたい。」という気持ちが前のめりになっていました。

いろんな天気予報を手掛かりにしながら「やはり今日は雨がずっと降り続く」と判断し、「延期」を決定し、教頭先生に「コドモン」配信をお願いしました。

 

登校時刻になって校門で子どもたちを迎えます。昨日はたくさんの子が「校長先生、明日は絶対運動会してや!雨が降ってもしてや!」とお願いにきたので、今朝は、「校長先生!なんで延期にしたんよー‼」と責められる覚悟で立っていましたが、誰一人私(校長)を責める子はいませんでした。子どもたちも、先生たちと一緒で、雨が降るまでは、「雨で延期になることは覚悟してるけど、なんか奇跡が起こりそう…」というわずかな望みを持っていながらも、雨が降り出した道を歩いてくる間に、「まあ、しかたないよな。」と「延期」を受け止めてくれたんだなと思いました。今日が本当は「運動会」だとは思えないほど、子どもたちは「平常通り」登校して、「平常通り」あいさつをして、校舎に入っていきました。


 

子どもたちは「運動会延期」に落胆し、力が抜けるというか、空虚感みたいなものを感じながら力なく授業を受けているのかな…と心配していましたが、教室での授業の風景も「平常通り」でした。気持ちを切り替えて、学習に向かっている子どもたちの意外な「落ち着き」にとても感心しました。いろんな経験をくぐりながら、子どもたちはちゃんと「成長」しているんだなと思いました。

6年生の副団長Kさんの机の隅には、「てるてる坊主」と鉢巻がそっと置かれていました。授業中に「学習に関係ないものは出さない」というのがルールですが、今はKさんの気持ちが痛いほどよくわかるので、そこには触れないでいることにしました。

子どもたちは、「中途半端」な形ではなく、「フルスペック」で全競技をやり切りたいと強く思っています。特に6年生の子どもたちは…。

そんな思いをぜひとも叶えてあげたいと強く思っているのですが、明日の運動会実施も厳しそうです。雨が降らなくても、今日これだけ降ると、水はけの悪い本校の運動場は、使い物にならない状態になります。来週もまだ天気が回復しない予報になっています。校長としては、大変判断に悩みます。

 

児童昇降口の「ありがとう&すごいなメッセージ」には、運動会に関する「ありがとう」がたくさん貼られています。特に最近は運動会の指導をしてもらっている先生たちに対する「ありがとう」が多くあります。先生たちと子どもたちの「運動会にかける思い」が一つにつながっている様子がうかがえてうれしくなりました。


そして、最後に最高にうれしい「ありがとう」メッセージを見つけました。4年生の
Nさんが書いてくれたものです。

「ささえてくれたひとへ… ささえてくれたひとのおかげで、いい運動会がむかえられそうです。

ぼくは運動会を楽しみにしています。」

 

「全力」と「協力」がテーマ(目標)の運動会。Nさんのメッセージはまさにこのテーマを具現化した

とてもあたたかなメッセージだなと、心がほっこりしました。

子どもたちのために、いい運動会にしてあげたいです。

 


15:15
2024/10/02

「心が苦しい一日 ~運動会前日~」

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3週間前ぐらいから、毎日週間天気予報を気にしながら、「何とか10月の1週目は、いい天気サイクルにはまってほしい。」と切に願ってきましたが、無情にも「明日から雨」、「来週一週間もずっと雨…」という予報に天を恨みたい気持ちになっています。

朝、登校してくる子どもたちからは、「校長先生、明日雨らしいけど、雨が降っても運動会してや。どうせ着替え持っていくから濡れても大丈夫!」とまっすぐなまなざしでお願いされ、「子どもたちのやる気や期待」と「最悪な天気予報」の真逆さに、心がちくちくと痛みだしました。

「ごめんな。校長先生のパワーが足らなくて、明日までお天気をもたせることができんかった…。申し訳ない。」と子どもたちに謝ると、「そんなん、校長先生のせいやないやん。お天気を決めてる空の誰かのせいやわ!」と返してくれる言葉に、心がじーんとするやら、余計に痛くなるやら…。

 

「校長先生、どうしても運動会したいから、てるてる坊主作ってきたんやで。」とランリュックからてるてる坊主を取り出して見せてくれる子どもたちの笑顔を、愛おしく思うのと同時に…「こんな素敵な子どもたちばかりやのに、なんで明日晴れさせてくれないんだ…!」と心の中の憤りが膨れ上がります。

 

運動会前日の今日は、子どもたちの天井知らずの「元気はつらつさ」と、運動会に向けた「やる気と自信」、そして子どもたちの「会心の笑顔」が満ちあふれていました。

昨年度、なかなか運動会の取組に参加できなかった子どもたちも今年度は「自分のがんばりどころ」や「ちょっと楽しみにできるところ」を手に入れられたようで、友だちと一緒に一生懸命練習に取り組んでいる様子が見られ、とてもうれしく思います。もちろん、運動会に「大きな不安」を抱いて、悩み葛藤している子どもたちもいます。そんな不安が少しでも取り除けるよう、学校としての組織的なサポートや、子どもたち同士が支え合える仲間づくりに力を入れて取り組んでいます。

 

最後のリハーサル練習。低学年の子どもたちに「ダンスをやっていて楽しいか?」、「このダンスを家族や上級生に見てほしい?」と尋ねると、みんなが「は~い!」と元気よく自信満々に答えてくれました。「見てほしい!」と思える気持ちこそが、今日までのがんばりの証であり、自分の成長の実感なのだと思います。

 

中学年は、さらに動きに「キレ」が出てきて、フラッグの動きや振る音が「見事にそろう」美しさを表現できるようになりました。高学年に負けない、いやその上をいく「元気な声」「きびきびとした動き」「演技への集中力」、動きが「そろう美しさ」…心から「いやぁ、かっこいい~!」と唸ってしまうほど、演技の質を高めました。中学年の演技を見て高学年は、そのプライドに火をつけられることになるでしょう。

 

演技の仕上がりの遅れを心配した高学年ですが、さすが高学年。本番までにきちんと仕上げてきました。子どもたちの表情も「凛」としたものに変わってきて、下級生の「あこがれ」となる、見ごたえのある組体操を披露してくれることになるでしょう。

昼休みも自主的にリレーの練習をしたり、組体操の練習をしたりする子どもたちの姿が見られました。そんな子どもたちの表情からは、「明日は雨が降って、運動会ができないし…。」というような「あきらめ感」や「がっかり感」は微塵も感じられませんでした。明日のお天気に関係なく、子どもたちのボルテージは最高潮に達している…そんな子どもたちの思いの強さがまた一段と私(校長)の心を苦しめます…「なんとしても運動会をしっかりやってやりたい…」。

最悪な天気予報に心を折られそうになりながらも、奇跡的な「予報外れ」を期待する自分がいます。当日朝の実施判断になり、保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。


16:09
2024/10/01

「書籍で調べるよさ~ものしりライブラリー~」

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いよいよ明後日が運動会。各学年、仕上げの練習に励んでいるところです。校内の雰囲気は運動会一色ですが、昼休みに図書室を覗きに行くと、ちゃんと読書に浸っている子どもたちがいることに安心します。

この2学期から図書室前の少しスペース(元3階給食配膳室)を改装して、「ものしりライブラリー」という「調べ学習」のためのコーナーを設置してもらいました。このコーナーの企画は、図書司書のY先生。そして部屋のレイアウト(内装)を考えてくれたのはスクールサポートスタッフのSさんです。いわゆる「先生=教員」ではない学校スタッフの皆さんが、子どもたちのために労を惜しまず、進んでいろんな仕事や気配りをしてくださることにいつもいつも感謝しています。このような「縁の下の力持ち」的なスタッフがたくさんいてくれるのが、北小の強みというか温かさです。

 

 

さて、「ものしりライブラリー」は調べ学習に特化した図書スペース。図書の分類別、調べるもののテーマ別に調べ学習用の書籍が分類されています。一人1台タブレットPCが日常化した今、教室での調べ学習ではタブレットのネット情報に頼ることが多くなっているのが現実ですが、それはやはり「効率化」や「個別最適化」をねらいにしたものであって、果たして本来の「調べ学習の値打ち」に叶ったものであるかどうかは微妙なところです。

ネット情報は知りたいことに「ピンポイント」にアプローチできる「速さ」「気軽さ」があり、便利なことは間違いないのですが、その情報の「確からしさ(信憑性・信頼性)」にはかなり怪しいところもあります。また、調べたいことに瞬時にアプローチできますが、その範囲は狭く、限定されたものになりがちです。一点集中…狭く深く…的なアプローチのような気がします。

一方、書籍の情報は「正確」ですし、出典(情報の出どころ)がはっきりしていて信頼性があります。

そして一番いいのは、ネットよりも「広角」に情報が見えるということです。わかりやすく言えば、調べたいことについてだけでなく、その周囲にある「ついでの情報(周辺情報)」まで見えることで、子どもたちの興味や探求心をより広げてくれます。(新聞を見ていて、いろんな情報が目に入ってくる効果と同じ)

 

昼休みに「ものしりライブラリー」に来ていた子どもたちに、「ここの部屋の居心地はどう?」と聞いてみると、「めっちゃくつろぎながら本が読めるから好き。」という返事が返ってきました。下に敷いたマットの感触が心地よくて、ついつい寝そべってしまうようです。子どもたちの評判も上々です。

 

ネットで検索をかけるより、書籍を開いて、ページをめくっていくのは一見「効率的」ではない「手間のかかる」学習かもしれませんが、「必要な情報は何か?」を考えたり、「適切な資料」を選んだりする力も自然と身についていきます。今の時代に合った「ICTの活用」も進めながら、学びの「不易」の部分としての、「読書」や「書籍による調べ学習」を大切にしていきたいと思います。


16:42
2024/09/30

「正々堂々と競い合う! ~たてわり綱引き~」

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今日は、朝7時過ぎから、何人かの先生で緊急ミーティングをしました。議題は「たてわり種目の綱引き」についてです。

実は、先週の金曜日に、運動場で「たてわり綱引き」の練習をしたのですが…、その時は入退場や移動の仕方をマスターすることに意識を置いていたので、練習試合の結果にはあんまり気を留めていなかったのが正直なところです。

ところが、結果を見てみると、ほぼほぼ「田んぼ側」に陣取ったチームが圧勝していたことがわかって…。「ひょっとして、本校の運動場は校舎側が高くて、田んぼ側が低い…かなり高低差がある?」、「場所によって有利不利があったら、子どもたちも結果に納得いかないんじゃない?」、「かといって場所を入れ替えて2セットずつ試合をすると、時間がかかりすぎる…」、「一生懸命頑張っている運動会が、こういうことが原因で、気持ち悪さが残るのは絶対よくない。」…などなど。

金曜日の夜は、職員室で先生たちが意見や改善案を出し合いながら、長い時間議論をしてくれていたようです。しかしどの案も一長一短でなかなか結論は出ませんでした。

今日の朝、「何が一番大切にするか、それで改善策を決めましょう。ベストはないのでベターにしかなりませんが…思い切って決めましょう。」といってミーティングを始めました。

担当のK先生も、この土日の間、悶々としながらいろいろと考えてくれていたようでした。K先生の思いを尊重しつつ、「子どもたちの納得感を第一に考える」、「子どもたちが混乱しないように大きな変更を加えない」ことを共通理解して、各試合を「一本勝負」ではなく、「場所を入れ替えての2セット勝負」に変更しました。もちろんその分「時間」は伸びることになりますが、入れ替えの方法を工夫し、また他の競技の競技時間を厳守することで、大きな時間超過にならないよう配慮することを確認しました。

 

子どもたちが登校し、朝の校内放送でK先生から「たえわり綱引きのルール変更」について案内がありました。それを受けて3校時、「たてわり綱引き」の練習をもう一度行いました。思いのほか、校舎側チームが勝つことも多くあり、結果として「運動場の高低差」はあまり考えなくてよかったようです。それでも「場所を入れ替えての2セットマッチ」には納得感がありますし、何よりも子どもたちにさらに気合いが入ります。先生たちの旗振り応援にも次第に力が入ってきます。

 

「たてわり綱引き」はただの綱引きではなくて、「お助け綱引き」といって、「よーいどん!」で1~3年生は綱引きを始めますが、4~6年はトラックを少し走ってからコーンを回り、綱のところに行き、そこから1~3年生に加勢することになります。

 

ところが、ここに新たな問題が生まれてきます。4~6年生の「勝ちたいがためのルール違反」が横行するわけです。「走り出しのフライング」、「既定のコーンを回らず、内回りをする」…そして相手チームの反則を見つけては、お互いその文句を「先生に言いつける」という調子…。

「正々堂々」と勝負できるように2セットマッチに変えたのですが、・・・別のところで自分たち自身が「正々堂々」でないところを作り出してます。そしてその解決を「先生」に求めてきます。

主役は自分たちです。先生たちは、子どもたちにできない状況判断や環境づくりはしますが、「自分たちの問題(課題)」は自分たちで解決しようとしてほしいと切に願います。上学年なら、自分たちで振り返り(話し合い)を行い、「正々堂々」と競い合う大切さや気持ちよさを、みんなで確認したうえで、最大限の「全力」と「協力」が発揮できる運動会にしてほしいなと思います。勝っても負けてもきちんと納得がいくように…。

 

 お天気が心配でなりませんが、木曜日以降天気は悪くなる一方なので、何とか予定通り木曜日に運動会を実施できたらなと、ずっと祈っています。

 


17:42
2024/09/27

「それぞれの“よさ”が輝いている!~団体演技~」

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運動会を来週に控え、団体演技も運動場での練習に入っています。ダンスの振りや隊形移動などもほぼマスターできたようで、演技している子どもたちの顔が、自信ありげで楽しそうな表情に変わってきました。

 

 

低学年の団体演技といえば、何をしていても「かわいい~!」、「楽しそう~!」となるものですが、本校の低学年の子どもたちは、それだけでなく、「一生懸命」さと「全力で頑張る!楽しむ!」という姿が光っています。小さな体をめいっぱい動かして、全力でダンスをする子どもたちの誇らしげな表情を見ていると、「よくここまで頑張りぬいたなぁ。」と、その健気でまっすぐな一生懸命さを愛おしく思わずにはいられません。

 

中学年の団体演技(ダンス&フラッグ)は「連繋・挑戦・達成」を合言葉に、中学年の「総力を表現する」ことを目標に取り組んできました。中学年の団体演技といえば、「元気いっぱい!」「大きなかけ声!」のようなイメージを描きますが、本校の中学年の団体演技のよさは、それだけではなく、子どもたちの「気合い」と「集中力」を強く感じられるところにあります。


 演技中だけでなく、演技前の「構えている」瞬間も、演技が終わった後、「整列している」瞬間も、全身からみなぎる「気合い」と「集中力」を感じるのです。「一人ひとりが持てる力を余すことなく全力で挑む!」、「中学年全員で一つの大きな作品を完成させる!」そんな強い決意と仲間意識が伝わってきます。中学年のはつらつとした動きがとても気持ちよかったです。

 

運動会当日、保護者や地域の皆さんにも「感動」してもらえる団体演技になりそうです。演技の「できばえ」だけでなく、子どもたちや先生たちの演技に込めた「思い」が伝わるような団体演技になることを願っています。お天気が心配ですが、子どもたちの頑張りと思いがお天道様に伝わりますように…。


16:50
2024/09/26

「子どもたちの 子どもたちによる 子どもたちのための『応援合戦』」

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運動会というと、徒走や団体競技(リレーや綱引き)、そして団体演技がメインの種目で、保護者の皆さんの関心も高いと思います。それに比べ、「応援合戦」というのは、どことなくアトラクション(余興)的なイメージがあるかもしれません。確かに種目として行われる「色別応援合戦」は赤組・青組が互いの「団結力」を見せ合うという色が濃いような気がします。

 

 

私(校長)は運動会において、「応援」というものはとても大切だと思っています。「応援合戦」だけでなく、他の種目(競技)中の「常時応援」こそが、「応援」そのものの目的だと考えています。「一生懸命頑張っている仲間を、称え励まし、元気にし、仲間の力を最大限パワーアップするための「声かけ」が応援です。精一杯の「頑張り(挑戦)」に精一杯の「声援」を送る…そんな子どもたちの姿こそが「全力と協力」という目標を具現化したものだと思っています。特に、6年生の徒走やリレーの時の「応援」が楽しみです。チームを引っ張る6年生がいない児童テント席でいったいどんな動きが起こるのか…代わりに5年生がリーダーとなってチームを導くのか、それとも自然とチームでまとまった応援ができるのか…常に「応援」の絶えない児童テント席であってほしいなと節に願います。

もう一つ、運動会の応援には、「学校文化の伝承」という大きな役割があります。それは端的に言うと「応援団長」や「応援リーダー」の存在です。子どもたちにとって「応援団長(リーダー)」には特別な輝きを放つ「憧れの存在」となります。「6年生になったら、自分もあんなふうになりたい!」と思える憧れであり目標です。毎年「応援団長(リーダー)」を決定する過程でいろんなドラマが生まれ、立候補する者の強い思いと責任感に共感する中で、彼らを称え、支える仲間意識が大きく育ちます。そして運動会という大舞台で、応援団長(リーダー)を中心とした「あるべき最高学年」としての6年生の姿がはっきりと見えてくるのです。そのような「かっこいい6年生」の姿が代々受け継がれていくことで学校文化=校風が創られていきます。そういう意味で「運動会の応援合戦」というものは、子どもたちにとって、とても大切なものだと思っています。


 コロナ禍以降、いろんなことが「簡略化」される傾向にあるのかなと感じています。少しでもリスクのあるもの、余計な手間がかかるものがどんどん省かれて、無難化・効率化一辺倒になっている気がします。時代の流れ的にしかたがない部分もあると思いつつ、「手間をかけなければ育たないもの」も多くあると強く思っています。学校という世界は「子どもたちが育ちあう」ところです。いつも子どもたちを「主語」にしながら、かけてあげられる「手間」はしっかりかけてあげたいと思っています。八日市北小学校はそんな学校です。


15:27
2024/09/25

「気もち(思い・意識)をそろえる ~運動会練習も佳境に~」

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朝から気持ちのいい秋晴れ。カラッとしていて、熱中症指数も20台前半で、外での運動もしっかりできます。今まで体育館で練習してきた団体演技も、今週からは外での練習です。人と人との間隔も広くなり、動く範囲も広がりますし、隊形移動の場所を覚えるのも大変です。

先生たちは「完成(ゴール)」のイメージが持てていますから、今の演技の出来具合や子どもたちの意識の状態が、順調なのか、遅れているのか…経験的にわかりますから、指導の「熱」も変わってきます。いわゆる「檄を飛ばす」的な熱血指導になりがちなのですが、この「先生たちの熱量」に子どもたちの気持ち(思い・意識)がついてくるかが重要です。子どもたちの意識がついてこないと、だんだんと「やらされ感」ばかりが増してきます。先生たちの気持ちと子どもたちの気持ちを「そろえる」…今、一番大事なことです。

中学年の練習…。М先生が今日の練習の目的などを子どもたちに伝えた後、「さあ、行こかっ!」の先生のかけ声に、子どもたちが一斉に駆け出します。「走ろう!」、「早うしよう!」、「静かにしよう!」…子どもたち同士が声をかけあいます。М先生の「今日はここまでやりたい!」という思いと、子どもたちの「時間を大切にしてしっかり練習しよう!」という思いがかみ合います。

子どもたちの中にはいろんな子がいて…集団行動が苦手だったり、集中力が続かなかったり、じっとしていることがどうしても難しかったり…、自分たちの仲間は「いろいろ」なのです。みんなに「気合い」が入ってくるとどうしても「厳しい声」が飛びがちになりますが、そのことも分かったうえでいろんな先生から「お互い元気になる、温かい声かけをしようなあ!」という言葉が飛んできます。運動場にいる「みんな」の気持ちがちゃんとつながっているなと思える中学年の練習風景でした。

 

体育館では、高学年が組体操の「大技」の練習に入っています。もうそろそろ成功させたい時期に来ていますが、あと少しのところで「本気」がそろいません。


 

組体操は、どこか一か所がうまくいかないだけで、いとも簡単に全体が崩れてしまいます。先生たちは、「本気」の表情と声で「絶対、次は成功させるで!いいか!」と伝え続けますが、どこからかまだ無駄な「話し声」が聞こえてきたり、「へらへらした表情」が見えたり…「気持ち」がそろいきりません。

全員の「気持ちをそろえる」ことは簡単なことではないですが、そろわないことには決して技は完成しません。逆に全員の気持ちがそろった時の「力」はとてつもなく大きなものになり、そこに「完成(成功)」が生まれ、観衆の「拍手喝采」に包まれた時、一人では決して手に入らない、大きな「感動」や「達成感」、仲間との「一体感」を得ることになるのです。それが組体操の醍醐味であり、運動会でしか手に入らない大きな成長と学びです。大げさに言うならそれが「学校」の値打ちです。

でも、私(校長)は期待しています。先週に比べ、高学年らしい「きりっとした」かっこいい表情は増えてきていますし、子どもたち同士の声かけも増えてきています。子どもたちの思いと力を信じつつ、明日からの練習も楽しみにしたいと思います。あまりたくさん写真をお見せすると「ネタバレ」になってしまうのですが、こちらの演技はきれいに仕上がってきています。完成が楽しみです。

 


14:45
2024/09/24

「みんなが楽しい!北小学校をめざして 校内環境にもひと工夫」

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2週連続で3連休となり、今週も火曜日スタートとなりました。少し連休疲れを感じる子どもたちですが、今週も運動会の練習に一生懸命取り組んでいます。

最近の校長ブログは、やはり「運動会」ネタが多くなる傾向にありますが、本校には「子どもたちのために」、「学校に来てくださる人のために」、ひいては「みんなが楽しい学校づくり」の一助になればという思いで、人知れず「校内環境の充実」のために頑張ってくれているスタッフがいます。

さて、最近の校内環境の大きな変化といえば…まずは、玄関に置かれた大型モニター(電子黒板)です。いわゆる「ウエルカムボード」の代わりをしてくれるもので、来校くださった方々に「ようこそ八日市北小学校へ!」という歓迎の気持ちを表すために設置されました。仕掛けてくれたのは本校ICT担当のF先生です。ちょっとした歓迎のアニメーションや、子どもたちの活動の様子をスライドショーで紹介しています。ちょっとおしゃれに、来てくださる方を楽しい気持ちにしてくれます。

 

続いての変化は、私(校長)の趣味を勝手に持ち込んで設置した「メダカ水族館」のコーナーです。週替わりでいろんなメダカを展示しています。メダカについての説明や「改良メダカの変遷」なんかも解説しています。運動会の練習で疲れた子どもたちの、少しばかりの『癒し』になってくれたらなと思って設置しました。思いのほか、メダカ好きの子やお家でメダカを飼っている子も多く、メダカ談議に花が咲きます。

 



それから、保健室前の掲示も充実しています。養護教諭のH先生や、栄養教諭のS先生が、今の「運動会の時期」に合わせた大切なことをレクチャーしてくださっています。


 

保健コーナーは「どうやって手当てをしたらいいのかな?」という掲示です。運動していて起こりそうな「けが」の手当てについて、ゲーム的に解説しています。また、食育コーナーには「すききらいしないでたべると、いいことがあるよ。」というテーマで、特に体力の必要なこの時期、しっかりといろんなものを食べるよう呼びかけています。

学級担任の先生たちは、毎日子どもたちと向き合うことで、一人ひとりに「安心」と「楽しさ」が生まれるように努力していてくれます。そして担任以外の先生たちもまた、それぞれの専門分野で、子どもたちに「安心」と「楽しさ」が生まれるように日々、工夫努力していてくれます。前にも紹介した職員室前廊下の「カエルくん」。今は、運動会の「おみこしリレー」がモチーフになっています。先生たちの事務軽減や校内環境整備を仕事とするスクールサポートスタッフのSさんが、季節に合った「カエルくん」のコスチュームを製作して展示してくれています。こんなちょっとしたところにも、Sさんの「子どもたち、がんばれ~‼」という応援の気持ちが込められています。こういうそれぞれの人の思いが、きちんと伝わる(わかる)子どもたちでいてほしいなと思いますし、「人の思いがわかる」子どもたちに育てることが、「みんなが楽しい学校づくり」そのものなのかもしれません。


 

 実はもう一つ校内環境の「大きな変化」があります。それは、「ものしりライブラリー」の開館です。図書館司書のY先生の肝いりの「新コーナー」設置です。詳しくは、後日また校長ブログでお伝えしたいと思います。Y先生の子どもたちへの愛情と、子どもたちを本好きにさせる工夫がいっぱい詰まっています。乞うご期待!



17:04
2024/09/20

「稲刈りから、ご飯がお口に入るまで ~5年生稲刈り体験~

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今日は5年生の稲刈り体験の日。晴れることは分かっていましたが、心配なのは「暑くなりすぎる」こと…。熱中症指数が「危険域」になると、外での活動はすべて中止することになります。

朝から少し風が吹いていて、指数も27~28℃に収まっていてくれたので、水分補給をまめに取りながら何とか稲刈り体験をすることができました。

今日もたくさんの地域の方々にお世話になりました。たんぼの管理をしてくださっている種村さん、地域学校協働活動推進員の奥さん、農業委員会の高村さん、梅原さんをはじめ、写真にあるように、JAの皆さんや市の農業水産課の職員さんなど、たくさんの方々のサポートを受けて、稲刈り体験をさせていただきました。子どもたちのためにこれだけの方々が汗をかいてくださることに本当に感謝しないといけません。このへんの「地域の温かさ」や「有難さ」を子どもたちは、どう感じていてくれているのだろうと…いつも思います。「してもらう」ことに慣れてしまっている子どもたちは、ひょっとしてこの「稲刈り体験」も、「自分ごととしての学習」ではなく、「お客さん意識で参加するイベント」みたいにとらえているんじゃないだろうかと不安になったります。常にものや人の「有難さ」がわかる子どもたちでいてほしいと願っています。

 

田んぼに行き、稲刈りの仕方を聞いて、早速作業に入ります。3人一組になって、①稲を刈る人②稲を束ねて、麻ひもでくくる人③くくった稲束を軽トラに運ぶ人、役割を分担し、また役割を交代しながら、自分たちが植えた稲を収穫していきます。

 

鋸鎌(のこぎりがま)を使って、稲を刈り取ることは割とたやすくできるのですが、刈った稲を数束集めて、根元の方を麻ひもでくくるという作業に子どもたちは悪戦苦闘している様子でした。軍手をしているのでやりにくさはあるものの、やはり「しっかりくくる」という作業は、今の子どもたちの生活の中にはほとんどないので、ほとんどの子がうまくできません。運動靴のひもがほどけている子を見かけて、「靴のひもがほどけてるよ。」と教えてあげても、「はーい、だいじょうぶでーす!」と言って、一向に結びなおすこともしないまま、そのままでいる子が結構います。「ひょっとして、ひもがくくれないのではないか…。」と疑ってしまいます。例えば、「新聞紙の山を十字に縛る」…それができるこどもがどれくらいいるのか…この子どもたちの「生活経験」や「甲斐性」の課題を私(校長)は結構気にしています。

熱中症予防のため、稲を刈る作業は最小限にして、残った稲は種村さんに、コンバインで刈ってもらいました。コンバインは、明らかに「手作業で刈る」数十倍のスピードで次々に稲を刈っていきます。おまけに、刈った稲から穂・籾(もみ)だけをとり、コンバイン内のタンクに貯めていき、残りの稲藁(わら)は粉砕して、たんぼにまいていきます。コンバイン内に貯めた籾(もみ)は、コンバインの煙突のようなところから出るようになっていて、袋に入れたり、軽トラに積んだりできるようになっています。まさに「一石五鳥」くらいの働きをするスーパーマシンです。コンバインが見事に「あっけなく」稲刈りをしていく様子を見て、子どもたちは何を思ったでしょうか。

こんなに暑くなかったら、自分たちが田植えをした分は、責任をもって自分たちが全部刈る…というところまでさせてあげたかったのですが…致し方ないです。本当は、腕や腰が痛くなるまでひたすら稲刈りをすることを経験しないと、「機械のありがたさ」も、なぜ、昔のおばあちゃんたちは「腰が曲がった方が多いのか」…ということも深く考えたり感じたりすることはできない気がしています。

 

 担任のY先生とT先生の強い思いがあって、今年は稲刈りだけでなく、刈った稲を「稲架(はさ)がけ」に乾燥し、昔ながらの「足踏み脱穀機」で稲から籾(もみ)を外す作業も体験します。毎日「あたりまえ」に食べている「白ごはん」が、どんな過程や作業を経て、ようやく「白米」になるのか、そして白米になるまでに、どんな人のどんな苦労をくぐってきているのか…しっかりと探求心をもって学んでほしいと思います。生活の「あたりまえ」を深く掘り起こし、「あたりまえ」でないことを知る…とどのつまり「有難み」を知ることが学習のゴールだと思います。

今日の子どもたちの姿を見ていて、興味深げにコンバインを凝視する子や、稲を刈った後に、落ちている穂(落穂)をもったいなさそうに拾い集める子など、関心をもって、意欲的に最後まで働き続ける子と、そうでない子の差が結構大きいなと正直感じました。「ものや人に対する興味関心」や、「勤労意欲」を、学校はどう育てていけばいいのだろう…と、新たに課題意識を持った稲刈り体験でした。酷暑の中、子どもたちのためにきめ細かにサポートしていただいた地域の皆さん、本当にお世話になりました。


15:52
2024/09/19

「この暑さの中、いかに運動会練習を成立させるか!?」

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昨日は中秋の名月、夜中にはきれいなお月様と、心地よい虫の音で「秋」を感じることができていたのですが、朝になって、校門で子どもたちを迎える時間になると、また「真夏」が戻ってきます。

「おはようございます。」とやってくる子どもたちは、もうすでにサッカーを1試合してきたかのような、汗だくの表情です。

8時半には、熱中症指数は30℃近くまで上がり、運動場での練習も厳しい状況なってきました。

1校時は4年生がリレーの練習をしました。走順の確認、バトンパスの仕方、コーナートップ等のルールの理解…しっかり時間をかけて練習したいところですが、「暑さ」がそれを許してくれません。短時間集中、「一回通すだけ」の練習時間しか確保できませんでした…。「もっとリレーの練習がしたい!」という子どもたちの表情と「こんな状態で満足いくリレーの競技ができるのか気持ちが焦りだす…。」という先生たちの表情…でも「安全が第一」、気持ちを切り替えて校舎内に入りました。子どもたちも分かってきています。「短時間で、集中して練習するしかない!」だんだんと子どもたちの動きが、てきぱきしてきます。

3校時は、運動場で初めての全校練習をする予定でしたが、「暑さ」には勝てず、予定を変更して体育館での練習に切り替えました。「入場」や「開会式」の流れについて確認しました。運動会全体の仕切りは体育主任のT先生です。「どの子も目標とやりがいをもって取り組み、大きな達成感や自分の成長を実感できる、『子どもが主人公』の運動会にしたい。」という熱い思いを胸に子どもたちに語りかけます。

全校が集まった時の子どもたちの「意識と言動」は本校の自慢です。学年を問わず私語もなく、背筋をしゃんと伸ばして臨める子が多いです。「ここは、ちゃんとビシッとするところや。」とちゃんとわかっている子どもたちです。

私(校長)にも、少し話す機会(校長挨拶)をもらったので、いつものように「ちょっと笑わせる歌でもかましてやろう!」と思っていたのですが、私が話す前に、T先生が子どもたちに「開会式・閉会式は気持ちを落ち着けて、きちんとした態度で臨みましょう。」と話してくれるのを聞いて、「危ない…もうちょっとで、校長自らふざけてしまうところだった…。」と思いとどまり、反省する私がいました。

 

別の時間…高学年が組体操の大技(多人数でつくる技)の練習を始めました。組体操については、何年か前から、組体操での「事故防止」の観点から、運動会で組体操自体に取り組まなくなった学校や、やっても1人~3人技ぐらいの安全な技に留めておく学校が増えました。

本校も「事故防止」、「安全」を第一に考え、従来のような「4段塔」や「5段ピラミッド」などの危険性の高い技はしませんが、組体操に取り組む値打ち…すなわち、「人の重み(=命の重み)と温かさを肌で感じながら、心を一つに、支え合いながら一つのことを成し遂げる達成感と一体感」を感じるために、「高さ」や「重さ」を限定し、安全に十分留意しながら、組体操に取り組んでいます。

写真は、5人で作る技ですが、土台の者は、上に乗る者の体重をぐっと支え、上に乗る者は、土台を信じて、勇気をもって体を伸ばし、腕を開きます。土台がぐらつくと、上の者はバランスが崩れますし、上の者が怖がって体が揺れると、土台は支えられなくなります。「力」と「バランス」と「仲間同士の信頼」が不可欠です。

今日の練習では、ほかのチームが心配して、サポートに回ったり、応援したり、拍手をしたりする場面が見られて、「これがこの6年生の温かい文化」なんだな…と改めて感じました。

「力(忍耐)」と「バランス(勇気)」と「仲間同士の信頼」が揃ったとき、技が決まり、会場からの大きな拍手に包まれながら、体の奥底からこみあげてくる達成感や一体感を感じることができるでしょう。

そんな感動がたくさんたくさん生まれる運動会にしたいなと心から思います。

北小のすべての子どもたちが、笑顔で締めくくれる運動会に…

 


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